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「……勇太兄さん!」
京都駅近くの路地裏で、ふたりの男が向かい合っていた。
捨てられたゴミと、割れた酒瓶の匂いが漂っている。
逃げ道のない行き止まりで、男はサングラスをかけたまま暗殺者を見ていた。
男が兄の勇太であることは、疑う余地もない。
着ている服が違っても、京都という見慣れない場所で会ったとしても、兄と他人を見間違うはずなどなかった。
男はポケットに手を入れ、財布を取り出した。
それから中にあった顔写真付きのカードを、暗殺者に差し出す。
暗殺者は手にしたカードを見つめた。
身分証明書だった。
「五味勇気?」
身分証明書には、はじめて見る名前が刻まれていた。
暗殺者は身分証明書を男に返してから、鼻で笑った。
「見事な偽造だな。しかも律儀に『勇』の字だけは残しておいて」
「偽造だって? 俺は五味勇気という者だ」
「おふざけは時間の無駄だ。それならなぜ目が合った途端に逃げて、追い詰められたからと急に身分証明書を見せた? それが普通の行動だとでも思っているのか」
「人は慌てれば、つじつまが合わなくなる。こんな場所で弟に会うなんて、どう考えても脳の処理がすぐには追いつかないさ」
「あっさり弟とか言いやがって。最初から言うつもりだったなら、どうして余計なことをしたんだ」
「偽造した身分証を自慢したくてな」
「クオリティの高い偽造品なのは認める。ただ、それより知りたいことが多すぎるんでな」
暗殺者は道路側を一度確認した
「さっさとどこかに行って話を聞かせてくれ。そもそも、その安物の服とサングラスは何だ? 兄さんの好みでもないし、色々と複雑な事情がありそうでならない」
「事情ねぇ。あるといえばあるし、ないといえばない」
「あるってことだな。さっさと行くぞ。さっきの商店街もそうだし、このあたりの鼻を突く匂いは俺には合わない」
暗殺者は足元に捨てられたゴミを見ながら言った。
*
ふたりは、京都駅の中にあるコーヒーショップに入った。
暗殺者は空腹を自覚したためパスタセットを注文し、勇太は熱いブラックコーヒーを頼んだ。
「聞くべきことだらけだが、とりあえず腹を満たしてからだ」
「好きにしてくれ」
勇太は暗殺者が昼食を摂っている間、スマートフォンを取り出してWeTubeを見はじめた。
平日の昼の京都駅。
駅の中にあるコーヒーショップには、それほど人の姿は多くない。
少し離れた席に座るカップルが、手をつないで見つめ合っていた。
「あそこのふたり。すごく悲しそうな表情をしてるな。おそらく、どちらか1人はこのあと京都を離れ、どちらか1人はここに残るんだ。予想では、男ではなく女が去るような気がする。勇信、おまえはどう思う?」
「兄さんが人間ウォッチング好きだってことは最近知った。ただ、今の俺はパスタにしか興味がない」
「そうか。なんで女が離れるかわかるか? ふたりの間に置いてあるトランクのデザインが決め手だ」
暗殺者はちらりとカップルを流し見た。
女の悲しそうな表情を見た途端、昨日一緒にいた女性バーテンダーが頭に浮かんだ。
もしあと数日ここに滞在していれば、自分たちも東京へ帰る際、あのカップルのような姿で座っていたのだろうか。
そんな考えが浮かんだこと自体が、暗殺者にとっては不思議だった。
増殖してからというもの、キャプテンを殺すという信念以外にも、心に多くの変化が起きている。
自然を楽しみ、休息を満喫し、はじめて会った女と寝た。
これらの変化は意図的なものではなかった。
すべて成り行きによって起きたことだ。
属性。
属性とは、たったひとつの要素だけではないのかもしれない。
キャプテンを殺すという決定的な欲求が生まれたからには、それに付随する周辺の欲求も自然と変わっていくのだろう。
外国語を理解するためには言葉だけでなく、文化を理解しなければならないように。
そうだ。
俺は暗殺者になったからこそ、女性バーテンダーと一夜を過ごした。
つまり、暗殺者になったからこそ、再びしそね町に戻らなければならない。
気づくと、パスタはすべて腹の中に収まっていた。
「京都には遊びに来たのか?」
勇太がスマートフォンをテーブルに置いた。
食事が終わるのを、ずっと待っていたようだ。
「ああ。最近ちょっと面倒なことが多くて、気晴らしをする必要があったんだ」
「で、なんで京都だったんだ?」
勇太はサングラスのふちに一度触れた。
「別にどこでもよかった。東京から離れて、少しだけ遠くに来たかっただけだからな。ところで兄さんは?」
「俺も似たようなものさ。同じく京都を選ぶなんて、血は争えないな」
「いつまでサングラスをかけておくつもりだ? 目が見えないからもどかしい」
「ものもらいがひどくてな」
「嘘をつくのはもうやめてくれ」
「なんで嘘だってわかるんだ」
「吾妻グループの副会長だってバレないために使っているんだろ。でもここには人もほとんどいないんだから、外せって」
勇太は何も答えなかった。
ふたりは同時にカップを持ち、コーヒーをすすった。
「サングラスをつけるのが癖になってしまったんだ。そのままでいさせてくれ」
「言ったろ。面倒が多くてここに来たって。面倒を追加しないで、さっさと外してくれ」
暗殺者がそう言うと、勇太は小さく笑った。
「久しぶりに会ったのに、面倒な兄だと思われるのは心外だからな。わかったよ、外すよ」
勇太がサングラスを外した。
隠れていた彼の目は、勇信が昔から知る優しい目だった。
「で……兄さんはどこまで知っているんだ? 東京の状況を」
「一般人よりは多少興味を持って見ていた。そんな程度だ」
「具体的な会社の変革や、その他の細かいことは何も知らないってことか?」
「まあな」
暗殺者はしばらく考え込んだ。
整理すべき情報が多すぎる。
「吾妻グループとはまったく別の人生を歩いてきたのか? 独り立ちした吾妻勇太とでもいうべきか」
「ほぼ正解だ」
「兄さんを見た瞬間に大体わかったよ。服もそうだし、自然体で商店街を歩いているのもそうだ。観光でここに来たわけじゃなく、京都に住んでいるんだろ?」
「今度は完全な正解だ」
「でも、東京の勇太兄さんじゃないと感じた決定的な証拠がある」
「何だ?」
「その耳と頬」
「……」
勇太は指で自らの頬に触れた。
「痛々しい傷跡がない。頬が破裂して再生したような、深い傷跡がな」
事故死のニュースが報じられたあと、生きて戻った勇太の頬と耳には深い傷が刻まれていた。
それに加え、人が変わったように冷淡となった兄は、現在吾妻グループ全体を恐怖へ陥れている。
「兄さんのその目、昔に戻ったみたいだ。もしかして、事故死のニュースが流れる前まで、兄さんが副会長をしていたのか? そのあと、しそね町のビスタに視察に行ってから、今の兄さんと入れ替わった。つまり兄さんは今、京都で悠々自適に生活している」
勇太はしばらく窓の外を眺めた。
「京都での生活は、3か月目に突入した」
「うん? なら前の副会長はどこに行ったんだ……。いや、その前に、兄さんは今何人いるんだ?」
「俺の知る限りでは、俺と東京にいるヤツだけだ」
「2人?」
吾妻勇信は現在9人存在する。
そんな中で、勇太がたった2人だという言葉は信じられなかった。
しかし暗殺者は、すぐに考えを変えた。
暗殺という属性が、ひとつの推理を可能にした。
「兄さんは増えた。だが、その後に減った。母体の勇太を含め、他の勇太を皆殺しにしたのか?」
勇太は何も言わず、コーヒーを飲んだ。
それから突然、席から立ち上がった。
「勇信。昨日来たんだって? もう1日くらい満喫していくといいさ」
勇太は一方的にそう言って、暗殺者の反応も見ずに店を出ていった。
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