コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「……勇太兄さん!」
京都駅近くの路地裏で向かい合ったふたりの男。
捨てられたゴミと、割れた酒瓶匂いが漂っていた。
もう逃げ道のない行き止まりで、男はサングラスをかけたまま暗殺者を見ていた。
男が兄の勇太であることは疑う余地もない。着ている服が違い、京都という見慣れない場所で会ったとしても、兄と他人とを見間違うはずなどなかった。
男はポケットに手を入れ財布を取り出した。それから中にあるカードを暗殺者に手渡した。
暗殺者は手にしたカードを見つめた。男の身分証明書だった。
「五味勇気?」
身分証明書にははじめて見る名前が刻まれていた。
暗殺者は身分証明書を男に返してから、鼻で笑った。
「見事な偽造だな。しかも律儀に『勇』の字だけは残しておいて」
「偽造だって? 俺は五味勇気という者だ」
「おふざけは時間の無駄だ。それならなぜ目が合わせた途端に逃げて、追い詰められたからと急に身分証明書を見せたんだ? それが普通の行動だとでも思ってるのか」
「人は慌てれば、つじつまが合わなくなる。こんな場所で弟に会うなんて、どう考えても脳の回路の処理がすぐには追いつかないさ」
「あっさりと弟とか言いやがって。最初から言うつもりだったなら、どうして余計なことをしたんだ」
「偽造した身分証を自慢したくてな」
「見事な偽造品であるのは認めよう。ただそれよりも知りたいことが多すぎて、さっさとどこかに行って話を聞かせてくれ。そもそも、その安物の服とサングラスは何だ? 兄さんの好みでもないし、色々と複雑な事情がありそうでならない」
「事情ねぇ。あるといえばあるし、ないといえばない」
「あるってことだな。さっさと行こう。さっきの商店街もそうだし、ここいらの鼻をつく匂いは俺には合わない」
暗殺者は足元に捨てられたゴミを見ながら言った。
暗殺者と勇太は京都駅の中にあるコーヒーショップに入った。
暗殺者は空腹を自覚したためパスタセットを注文し、勇太は熱いブラックコーヒーを頼んだ。
「聞くべきことだらけだが、とりあえず腹を満たしてからだ」
「好きにしてくれ」
勇太は暗殺者が昼食を摂っている間、携帯電話を取り出してYourTubeを見はじめた。兄が使っていたものとは異なる機種の携帯電話だった。
平日の昼、京都。
駅の中にあるコーヒーショップには人の姿は多くない。
少し離れた席に座るカップルが手をつないで見つめ合っている。
「あそこのふたり。すごく悲しそうな表情をしてるな。おそらくどちらか1人はこのあと京都を離れ、どちらかひとりはここに残るんだ。予想では男ではなく女が去るような気がする。勇信、おまえはどう思う?」
「兄さんが人間ウォッチング好きだってことは最近知った。ただ今俺はパスタにしか興味がない」
「そうか。なんで女が離れるかわかるか? ふたりの間に置いてあるトランクのデザインが決め手だ」
暗殺者はちらりとカップルを流し見た。
女の悲しそうな表情を見た途端、昨日一緒にいた女性バーテンダーが頭に浮かんだ。
もしあと数日ここに滞在していれば、自分たちも東京に帰る際にあのカップルのような姿で座っていたかもしれない。
そんな考えが浮かんだこと自体が、暗殺者にとっては不思議だった。
増殖してからというもの、キャプテンを殺すという信念以外にも、心に多くの変化が起きた。
自然を楽しみ休息を満喫し、はじめて会った女と寝た。
これらの変化は意図的なものではなかった。
すべて成り行きによってやってきたことだ。
属性……。
属性とは、たったひとつの要素だけではない。
キャプテンを殺すという決定的な欲求が生まれたからには、それに不随する周辺の欲求も自然と変わっていくのだろう。
外国語を理解するためには言葉だけでなく、文化を理解しなければならないように。
そう、俺は暗殺者になったからこそ女性バーテンダーと一夜を過ごし、暗殺者になったからこそ再びしそね町に戻らなければならない。
気づくとパスタはすべて腹の中に納まっていた。
「京都には遊びにきたのか?」
勇太が携帯電話をテーブルに置いた。食事が終わるのをずっと待っていたようだ。
「ああ、最近ちょっと面倒なことが多くて、気晴らしをする必要があったんだ」
「で、なんで京都だったんだ?」
勇太はサングラスのふちに一度触れた。
「別にどこでもよかった。東京から離れて少しだけ遠くにきたかっただけだからな。ところで兄さんは?」
「俺も似たようなものさ。同じく京都を選ぶなんて、血は争えないようだな」
「いつまでサングラスをかけておくつもりだ? 目が見えないからもどかしい」
「ものもらいがひどくてな」
「嘘をつくのはもうやめてくれ」
「なんで嘘だってわかるんだ」
「吾妻グループの副会長だってバレないために使ってるんだろ。でもここには人もほとんどいないんだから外せって」
勇太は何も答えなかった。
ふたりは同時にカップを持ってコーヒーをすすった。
「サングラスをつけるのが癖になってしまったんだ。そのままでいさせてくれ」
「さっき言ったはずだ。最近面倒なことが多くてここにきたって。今もなかなか面倒だ。さっさと外してくれ」
暗殺者がそう言うと、勇太は小さく笑った。
「久しぶりに会ったのに、面倒な兄って思われるのは心外だからな。わかったよ、外すよ」
勇太がサングラスを外した。
隠れていた彼の目は、勇信が昔から知る優しい目だった。
「で……兄さんはどこまで知ってるんだ? 東京の方の状況を」
「一般人よりは多少興味をもって見ていた。そんな程度だ」
「具体的な会社の変革や、その他の細かいことは何も知らないってことだな?」
「まあな」
暗殺者はしばらく考え込んだ。整理すべき情報が多すぎるためだ。
「吾妻グループとはまったく別の人生を歩いてきたのか? 独り立ちした吾妻勇太とでもいうべきか」
「ほぼ正解だ」
「兄さんを見た瞬間に大体わかったよ。服もそうだし、自然体で商店街を歩いているのもそうだしな。観光でここにきたわけじゃなく、京都に住んでるんだろ?」
「今度は完全な正解だ」
「でも東京の勇太兄さんじゃないと感じた決定的な証拠……その耳と頬」
「耳と頬?」
勇太は指で自らの頬に触れた。
「痛々しい傷跡がない。頬が破裂して再生したような深い傷跡がな」
事故死のニュースが報じられたあと、生きて戻った勇太の頬と耳には深い傷が刻まれていた。それに加え人が変わったように冷淡となった兄は、現在吾妻グループ全体を恐怖へと陥れている。
「兄さんのその目、昔に戻ったみたいだ。もしかして事故死のニュースが流れる前まで、兄さんが副会長をしていたのか? そのあと、しそね町のビスタに視察に行ってから、今の兄さんと入れ替わって、今は京都で悠々自適に生活してるのか?」
勇太はしばらく窓の外を眺めた。
「京都での生活は3ヶ月目に突入した」
「うん? なら前の副会長はどこに行ったんだ……。いや、その前に兄さんは今何人いるんだ?」
「俺の知る限りでは、俺と東京にいるヤツだけだ」
「2人?」
吾妻勇信は現在9人存在する。
そんな中で、勇太がたったふたりだという言葉は信じられなかった。しかし暗殺者はすぐに考えを変えた。暗殺という属性が、ひとつの推理を可能にしたのだ。
「兄さんは増えた。だがその後に減った。母体の勇太を含め、他の勇太を皆殺しにしたのか?」
勇太は何も言わずコーヒーを飲み、突然席から立ち上がった。
「勇信。昨日きたんだって? もう一日くらい満喫して行くといいさ」
勇太は一方的にそう言って、暗殺者の反応も見ずに店を出ていった。