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第26話:命令を使わなかった文明
それは、記録にすら“残されない”まま、
都市樹の根の奥、さらに深く埋もれていた層。
命令が発明される以前。歌が都市を動かす以前。
“棲むこと”だけで築かれていた文明の痕跡。
枝に足をかけたシエナの羽が、ふわりと広がる。
ミント色の羽根は深層の温かな光を映し出し、
透明な尾羽は静かに、脈打つ根の呼吸と重なるように揺れていた。
肩にはウタコクシ。沈黙したまま、まるで空気を聴いているようだった。
隣には、ルフォ。
金の羽根に、かつての“操作士”の面影は残るものの、
尾羽の反射層は今や光ではなく、感覚の粒子を感じ取るための器官となりつつあった。
彼らが立つのは、**文明断層(ぶんめいだんそう)**と呼ばれる空間。
そこには、都市を命令で制御し始める前に存在した、
**“非命令的構造体”**が静かに眠っていた。
それは棲家ではなく、建物でもなく、
ただ**「集まり」「留まり」「分かれた痕跡」**。
記録はない。命令の形跡もない。
けれど、枝と枝、根と根のあいだに、
確かな“意図”が折り重なっていた。
「誰かがここで、命令を使わずに棲んでた。
それだけじゃない……都市を構築してた」
ルフォの声が揺れる。
彼の尾羽がわずかに反射し、
空間の片隅で、**“空に開いた枝の輪郭”**が浮かび上がった。
「……これ、街だ」
けれどそこには、命令がなかった。
操作の痕跡も、棲歌の残響も、翻訳虫の道もない。
ただ、枝の太さ、空間の間隔、風の流れ――
それぞれの“棲みかた”が折り重なって、都市になっていた。
シエナが歩を進める。
そして、尾脂腺から、ふと甘い木皮の香りを漂わせた。
「これは?」という問いかけ。
すると、空間全体がゆっくりと反応した。
それは命令による動作ではない。
棲んでいた頃の“記憶そのもの”が、感覚として反射されたのだ。
そこにあった文明は、
声で支配することも、光で操作することもなく、
ただ、誰かが「そこに居たい」と思う形でつくられていた。
「……棲みたい、という気持ちだけで、都市を編んでたんだな」
ルフォの声が震える。
それは、いまの都市からはほぼ失われた感覚。
命令や歌の前にあった、根源的な“共存の形”。
この文明は、誰にも伝わらなかった。
記録虫にも残らず、歌としても歌われず。
だからこそ、今まで誰も“気づかなかった”。
でも、それは確かにあった。
命令を使わなかった文明――棲むことが、そのまま都市だった時代。