鬼堂楽園奇譚 第三章「青蘭、重力の檻」
雷花を背にかばいながら、青蘭は静かに歩み出た。
その足取りは、地面すら重さを感じるほどの密度を帯びている。
紫の和服が風に揺れるたびに、鎖の紋様が淡く光り、周囲の空気がねじれる。
朗の刀が赤黒く脈打った。
雷花の血と雷の気配を吸い込んだせいか、刃そのものが生き物めいていた。
「重力の鬼か……
お前の力、刀が欲しがっている」
朗は面の奥で笑う。
青蘭は一歩だけ踏み込み、左手の鎖を地面へ叩きつけた。
「“圧界”——」
境橋全体が重力に引きずり込まれたように沈む。
石畳が悲鳴のように割れ、朗の足首まで沈み込む。
朗の身体にも突然、数百倍の重力がのしかかった。
「……っぐ」
初めて、朗が膝を折った。
腕からは音を立てて骨と筋肉がきしむ音が聞こえる。
青蘭は表情を変えず、さらなる力を注ぐ。
「私の重力は、“物質”ではなく“空間”に作用します。
逃げ道はありません」
朗は歯を噛みしめ、沈みかけた足を無理やり持ち上げようとするが——
動かない。
動こうとするたびに、さらに千の重りを積まれるような圧力がのしかかる。
「お前……
本気か……?」
「当たり前でしょう。
あなたは雷花を傷つけた。
そして、鬼堂楽園を穢した」
青蘭の指先に、さらに重力が集まる。
朗の身体が深く沈み、地面が渦のように押し潰されていく。
「……っ、重い……!!」
朗の筋肉が裂け、皮膚が圧縮され、赤黒い着物がめくれ上がる。
刀が震え、血を求めるように刃を開いた。
しかし、青蘭はその刀に目を向けると、言葉を落とした。
「その刀——あなたの力には見えません。
あなたを使って、誰かが作った“呪物”の気配がする」
朗の瞳が揺れた。
酒鬼、雷花、竹爺。
三人も同時にわずかに反応した。
「誰か? 何者かが……朗の背後に?」
雷花が息を呑む。
竹爺は目を閉じ、わずかに小さく呟いた。
「……この楽園に入るには、まず境界を知っとる必要がある。
侵入者が一人でここを“見つけた”とは思えん」
酒鬼は洞察するように瓢箪を傾けた。
「外に……もう一つの影があるってこと?」
青蘭は重力を強めながら静かに告げた。
「この刀……“内側”に声が棲んでいる。
朗、あなたは誰にその刀をもらったの?」
その瞬間だった。
朗の体にまとわりついていた重力が——
突然、弾け飛んだ。
重力が無理やりねじ切られたような衝撃が青蘭の顔を打ち、彼女は数歩下がる。
朗の刀が赤黒く咆哮した。
刃の中心から、耳障りな声が漏れる。
——……ァ……ァァァ……。
言葉にならない呻き。
だが確かに、“誰かの声”。
青蘭の顔が強張る。
「……やっぱり。
その刀の中には、“第三者”がいる」
朗は息を荒げながら笑った。
「俺も……知らないんだよ。
ただ、“壊せ殺せ”と言われた。
鬼堂楽園を……
お前ら四人を……!」
雷花が叫ぶ。
「誰に言われたの!?
ねぇ、誰!?
そんなの……聞いてない!!」
朗は首を横に振る。
「分からない……
でも、声が……
刀が……命じるんだよ……!!
血を吸え、強くなれ、鬼を殺せって……!」
まるで苦しむように叫ぶ朗の声とは裏腹に、刀は喜ぶように震えていた。
竹爺の眉がわずかに動く。
「……刀が意思を持つなど、本来あり得ん。
誰かが“声”を仕込んどる。
鬼堂楽園を壊すための……黒き策謀じゃ」
その言葉に反応するように、境橋を渡る風が突然冷たくなった。
四人の鬼たちは同時に感じた。
——遠く、外の世界のどこかで。
——誰かが、こちらを見ている。
その視線は、凍るような底冷えの悪意を孕んでいた。
青蘭は眉をひそめ、朗へ向き直る。
「あなたは操られている。
でも——だからこそ、ここで止める!」
青蘭の足元の空間が黒い歪みへと変わり、朗の周囲を球体の重力で包囲する。
「“重牢獄——零距離”!」
青蘭の最大技。
空間ごと閉じ込める、逃げ場のない重力球。
朗の骨がきしみ、皮膚が裂け、刀から黒い霧が噴き出した。
朗は叫ぶ。
「来い……もっと……刀に……!!
“お前が欲しい”って……言ってる……!!」
赤黒い刃が重力の球の中で暴れ、空間そのものが悲鳴をあげた。
——そして。
球体の表面に、細い“亀裂”が入った。
青蘭が驚愕する。
「あり得ない……!!
これは、重力の檻……破れるはずが……!」
雷花が叫ぶ。
「嘘でしょ!? 青蘭の本気が……!」
酒鬼が眉を寄せながら囁く。
「……あの刀。
ただの呪いじゃない。
“誰か”が内側から重力を押し返してる……」
竹爺は静かに、刀へ視線を向けた。
「……この侵入者は、ただの駒にすぎん。
真の敵は、この先におる」
パキ……ッ。
重力球にまた亀裂が走る。
朗の背後で、黒い霧の中に一瞬、
“人の形”をした影が浮かんだ。
誰にも認識できないほど一瞬。
しかし確かにそこにいた。
青蘭の目に戦慄が走った。
「あれは……
誰……?」
刹那——
重力球が破裂した。
轟音と衝撃波が境橋を吹き飛ばし、朗が解き放たれる。
青蘭は防御の鎖を展開するが、数メートル吹き飛ばされた。
雷花が駆け寄る。
「青蘭っ!!」
青蘭はわずかに息を荒くしながらも立ち上がった。
しかし目は朗ではなく——
朗の背後の“闇”を睨んでいた。
「……朗の背に、まだ“誰か”がいる。
この場にいない黒幕が……」
朗の体から黒い霧が消え、彼は息を荒げながら刀を構え直す。
「次は……
誰が来る……?」
竹爺は酒鬼と雷花を庇うように前へ出た。
「……わしの番じゃ。
ここからは、一刀で決める」
境橋に風が走る。
竹爺の刀がわずかに抜かれただけで、空気が震えた。
朗の背後の“影”が、わずかにざわついた。
——黒幕の気配は確かにある。
——しかし、その正体はまだ闇の奥。
・つづく
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!