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扉から現れたのは、同じチームの社員だった。その中には眞鍋さんもいた。
「あれ、お二人共早いですね」
「はい。眞鍋さんの書類を賞賛していたところですよ。素晴らしい内容でした」
「本当ですか!?良かった」
安心しきったように眞鍋さんは安堵の笑みをこぼす。
…………頑張ったんだろうな、きっと、物凄く。
心置き無く踵を返すには、十分な理由だった。
「穂波さん、どこ行くんですか?」
「ああ、私は今日限りで」
「お疲れ様です」
遅れて登場したその声は、私の意識を一瞬で持ち去った。
扉側を見ていた私の瞳は、一瞬で彼の姿を受け入れて、胸は壊れた様に高鳴る。
と、その人と視線を交わした途端、無意識に首がぐるんとそっぽを向いた。
…………あ、あれ?なんで私横向いたの?
「穂波さん?」
おかしいよ、みんなびっくりしてるよ。
「どうした?」
「い、いえ、なんでも」
ほら、総務課長もなんでお前こっちみてんのって、びっくりしてるじゃん。
前を向け、前を。
「そ、その、今日限りで」
でも前を向いたら常葉くんが視界に入る。
「…………し、」
それを気にしたら、バタバタと心臓が騒いで仕方ない。
「失礼します!!」
だから、俯いて逃げるようにその場を後にするしか出来なかった。
すれ違う時、あの香りが鼻先を掠めた。
昨日、ずっと私を包んでいたあの香りだ。
慌てて廊下を駆け抜けて、曲がり角を曲がった所で昼休憩の終わりを告げる短いアナウンスが流れた。
短い距離だったのに一瞬で荒れた息。壁にこつん、と、額を当てて何とか息を落ち着かせる。
──今朝も、結局顔を合わせることが出来なくて、朝早くに家を出た。
前もこんなことがあったなぁ、と、何となく思い返しながら。
あの時も確か、常葉くんに急にキスされて。思い返せば一瞬で頭は彼一色になるから、朝からすぐに泣きたくなった。
出社に余裕があったからか、柿原さんが幾分か驚いていた。私の方こそ、彼女は一体何時から出社しているのだろうと驚くと同時に感嘆するばかりだ。
そう言えば、柿原さんが言っていたな。
同棲していたら、香りが同じになるとか、って。
もしそうだとしたら、今朝、彼女には気付かれただろうか。
同棲でもなんでもないのに、私みたいなのが彼女だと思われたら、と、少しだけ常葉くんに申し訳なくって、情けなくてまた泣きたくなる。
───呼吸が、あの香りを連れて来る。
突然の違和感に驚いて振り向くと、不機嫌そうに見下ろすその視線とすぐに出会った。
「なに逃げてんの」
壁に手をついた常葉くんは、容易く私を閉じ込めた。
落ち着きを取り戻そうとした息は、再び喉元を小刻みに震わせる。
「そ、その前にここ、会社」
「別に構わないです」
「み、ミーティング、始まりますよ」
「あんたも居ないじゃん」
「わ、たし?私はもう抜けるから」
「なんで?」
な、なんでって、それは、
視線をずらして言葉も返せずにいれば、常葉くんはため息と共に「まぁいいか」と、面倒そうに声を零した。
「ネットカフェは行かなくていいですよ」
見透かした言葉は、どうしたってあの日とリンクするから、返事もなにも出せずに息だけを吐き出す。
「今日、遅くなるんで」
氷柱みたいに冷たいその言葉は、私の胸を突き刺す。
それを我慢して、「そうなんだ」と、消えそうな声を吐き出した。
「じゃあ、お疲れ様です」
常葉くんは簡単に私を解放すると、手をひらひらと翳して背を向けた。
後ろ姿が、段々ぼやけて遠くなる。
──間違えちゃだめ、道順は見極めなきゃだめ。
間違えちゃ、だめなのに、分かってるのに。
身体は言うことをちっとも聞かずに、咄嗟に走り出して、ジャケットの裾を引っ張った。
急に妨げられたのが癇に障ったのか、彼は不機嫌そうにこちらを振り向く。
「…………ってきて」
「は?」
「ちゃんと帰ってきて!」
「……いや、俺ん家なんで帰りはしますよ」
「そ、そっか、そうですよね……」
一人で納得する私の頭に手を置き、何故かくしゃ、と乱雑に髪をかき分け、「じゃあ」と、再び彼は背を向けた。
邪魔をしたからだろうか、ボサボサにされた髪を手で解きながら、ぼんやりとその後ろ姿を見つめる。
…………また、掴んで、くれた。
緩みそうになる頬を何とか手で抑えて、表情を固定する。
遅くなるって、仕事かな。
……それとも、飲みかな。
余計な詮索は止めよう、心が押し潰されるだけだ。
……要はバレなきゃ良いだけ。
パチン、と、頬を叩いて自分に喝を入れた。
#オフィスラブ