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#深澤辰哉
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──あぁ、楽に、なりたい。
「…本当にすみませんでした。以後、気を付けます。」
上司の怒号が響くフロアで、俺はただ深く頭を下げていた。視界に入るのは、ワックスで磨かれた他人の靴と、自分の情けない指先だけ。
「以後ってさぁ…岩本、お前それ何度目だよ! 営業が数字も取れないんなら、せめて事務作業くらい完璧にこなせ!」
「…本当にすみません…。」
言い返す言葉なんて持っていない。人付き合いの機微が解らず、空気を読み違え、言葉を選び過ぎて機を逃す。そんな僕にとって、営業という職種は、出口のない迷路を裸足で歩かされているようなものだった。
──もう、無理だ。
「岩本さん、これ。うちの規定が通るわけないでしょ?」
経理担当の女性は、差し出した伝票を指先で弾くように返した。ひらひらと、今の俺の人生のように軽く地に落ちていく。
「でも、これは係長に許可を頂いたものなんですけど…。」
「じゃあ、係長に規定を書き換える権限があるんですか? 差し戻しです。次からはちゃんと確認してから来てください。…二度手間なんですよ。」
冷たい声が、さざ波のように周囲に広がる。
俺の後ろに並んでいた他部署の社員が、あからさまに溜息をついた。その小さな音が、俺の心に最後の一線を引く。
「、はい…すみませんでした。」
相手がどれだけ理不尽でも、こちらが折れるのが一番波風が立たない。そうやって自分を消して、消して、消し続けてきた。
──全部、…全部、終わりにしたい。
死ぬ勇気があるわけじゃない。ただ、朝が来るのが怖くて、挨拶と謝罪の為だけに呼吸をするのが…面倒なだけだ。