「言ってくれたかしら?」
月曜日の放課後。
俺が行かずとも、松島さんの方からこちらの教室へとやって来た。
上手くいっているに決まっている。そう確信する穏やかな笑みをたたえているが、本性を見た後な為か、心ときめくものでは少しも無かった。
「場所を変えましょう。ここは人が多いわ」
「そうだね」
頷き答える俺を松島さんが満足気な顔で確認し、先に歩き出す。どこへ向かうつもりかは知らないが、彼女に黙ってついて行った。
「——ここでいいかしら?」
ついて行った先は学校の屋上だった。 鍵はかかっておらず、高いフェンスでぐるっと囲っているスペースだけならば生徒でも自由に使用出来る様になっているので俺も清一達とたまに利用している。放課後だからか他に人は誰もおらず、松島さんと二人っきりだ。
早々に話を終わらせて清一の元に戻りたい。また何も言わずに来てしまっているので、清一がどう思っているか気掛かりでしょうがなかった。
「早く戻りたいみたいね」
「まあね」
「私と一緒だというのに、ホント…… 正直な人ね」
口元を手で隠し、クスクスと松島さんが笑う。たいした自信だ、自己評価が相当高い事が簡単に窺い知れる。まぁ、見目麗しくて外面も良ければ当然なのかな。
「それで?言ってくれたのかしら、言ってくれたのよね?」
「あぁ、話したよ。『付き合ってあげて欲しい人がいる』ってね」
「ありがとう!とっても嬉しいわ、約束を守ってくれて。でも本当に良かったの?彼女を紹介してあげなくって」
「あ、うん。だって紹介してもらったからってどうせ上手くいかないんでしょ?一回会って、ハイお終い」
「…… あら、意外と賢いのね。性欲ばかり先走って、そこまで考えていないって思っていたわ」
この程度で賢い扱いって、どんだけ俺を下に見ていたのかと呆れてものが言えない。そう思われる発言は確かにしていたかもしれないが、それにしたって酷いもんだ。
「それで、いつから引き渡して貰えるの?貴方が彼を解放してあげるのはいつ?出来るだけ早めがいいわ。もう残された高校生活は短いもの」
「それだけど、『流石に無理だ』ってさ」
俺の言葉を聞き、松島さんの目が驚きでゆっくり開いていく。頭の処理が追いついていない感じだ。
「…… な、何故?貴方…… 何か余計な事言ったんじゃないの⁈」
会った時とは一転して慌てた顔になった。そもそも上手くいくはずがない提案だと何故わからないのか不思議でならない。積み重なった想いが大き過ぎて、頭の中が煮詰まっているんじゃないだろうか?
「特には何も。君の名前も言ってない」
実際はかなり引く発言を教えたかもだが、まぁそこまで言う事も無いよな。無礼っぷりは松島さんの方が上だ。名前さえ伏せておけば、言いたいことを言っても人で無しとまではいかんだろ。
「…… そ、それがいけなかったんじゃないのかしら。相手が私だと知れば、知れば…… 」
「変わらないと思うな。相手が誰かすら訊いてこなかったよ。それって、断る以外の選択肢が楓の中に無いって事だよね」
くっと声を詰まらせて、松島さんが俯いた。制服のスカートをギュッと掴み、体が震えている。
「…… わた、私は間違ってないわ、絶対に貴方がミスしたのよ。だって、楓君が貴方の頼みを聞かないはずが無いもの、貴方の言うことだったら何でも従うわ。だから、だから…… アンタの言い方が悪かったに決まってる!」
長くてさらさらとした髪を振り乱し、松島さんが叫んだ。キンキンと高い声で喚いているせいで少し耳が痛い。ここが室内ではなくて本当によかった。
「何を根拠にそんな…… 楓は俺の奴隷ってわけじゃ無いんだから、嫌だったら嫌だってハッキリ言うよ?」
「そんな訳無いわ!楓君はずっとずっとずーっとアンタに尽くしてきたってのに、そんな事にも気が付いてないの⁈…… だから私は、アンタから楓君を助けてあげたかったのに!」
「つく……?」
一体何の話だ?尽くすとか、助けるとか、相変わらず見た目以外は意味不明な子だ。
「好きなのよ、どんな形であろうと傍に居たいの。私はわかるわ…… 楓君のそんな気持ちが。溢れ出ているもの。それを…… それなのに…… アンタは!」
(ん?松島さんは一体何が言いたいんだ?清一に好きな人がいるって話なのか?それとも、松島さんが自分の気持ちを押し付けている話をしているのか?ヤバイ、こんがらがってきたぞ)
「アンタ本当に何にもわかってないのね、楓君は貴方が好きなのよ?アンタとこのまま一緒に居たって不毛なのに、将来性も無い、全くの無駄だわ!」
今度は俺が目を見開く番だった。
(好き?楓が、誰を?——えっと…… 俺、だって?は⁈)
「好きだから傍に居たい、尽くしたい、何があっても、どんな形だろうが隣に居たいのよ。だから言うことをきくのよ。何だって、どんな内容だろうと、全ては好きな人の傍に居る為なの!」
「…… 好き。へぇ…… マジか。ビックリだな」
(いつからだ?何がきっかけだって言うんだ。でもそうか、だから清一は……あんなにも俺に触れたがるのか)
松島さんの口から知った事に対しもの凄くがっかりしたが、今まで清一と俺の間にあった出来事の全てがしっくりきた。自分の中で、描かれた柄なんかガン無視しながら無理矢理はめ込んでいたグチャグチャのパズルが、キッチリ綺麗に組み上がったみたいな気分だ。
「…… 随分あっさりしているのね」
「あぁ、うん。色々合点がいったからね」
ずっと先送りにしてきた疑問点がスッキリし、俺はにこやかな笑顔を松島さんに向けた。すると当然のように彼女は激高し、俺の方へ足早に近づくと、思いっ切り頰を平手打ちしてきた。
パシーンッと頬を叩く音が耳奥に響く。
女性の力だろが、全力でやられればかなり痛い。叩かれた勢いで横を向いていた顔をゆっくり正面に向け、松島さんの顔を見る。すると彼女は、肩で息をし、キッと俺を睨みつけていた。
「何でアンタはそんなに余裕なの?楓君に愛されてるから?生産性のない関係の何が、そんなに楽しい訳?」
「教える気はないよ。松島さんには関係の無い話だしね」
言った後で『煽ってるよなーコレ』と少し後悔した。案の定同じ頰に二度目の平手打ちを喰らい、頰が腫れて痛いだけではなく、少し鼻血が出てきた。
血が出たからなのか、松島さんが少し冷静になり「や、やり過ぎたわ、ごめんなさい…… 」と謝ってくれる。許す気も責める気もない為、俺は無言のまま彼女に再び顔を向けた。
「楓の好意は不毛で生産性がない…… か。でも、俺はそうは思わないな」
「…… 何故?だって、男同士なのよ?貴方は同性愛者じゃないんだもの、楓君の愛になんか応えないじゃない。一方通行の愛情なんて無意味だわ、そんなものに価値は無い。相思相愛になれないなら解放してあげないと、相応の存在を与えてあげないといけないわ。生き物である以上伴侶は必要だもの」
松島さんが必死に持論を展開する。その発想もわからなくはないが、他者に強制していいものじゃないだろ。
「確かに俺は同性愛者じゃ無いね。女の子は大好きだし、可愛いなって素直に思えるしさ。だけど、だからって俺は、楓と縁を切る気はないよ」
「でしょう?彼の気持ちには応えないくせに、何故彼を解放しないの?誰かが傍に居ないと寂しいから?でも、そんなの身勝手だわ」
「応える気は無いって、俺言った?」
「…… え?」
ニッと笑う俺を、松島さんが凝視する。
「話はこれで終わりだね」
そう言って俺は松島さんへ背を向けて、出口へ向かい歩き出した。
「…… 言うわよ。アンタ達は『ホモだ』って、皆に言うから!明日からはもう噂の的ね。もう彼女なんか出来ないわ、それでもいいの?」
「いいよ、周りに言いふらしても。俺は別にホモじゃないし、嘘なんか言いふらされても痛くも痒くも無い。それに——」
「それに?」
「んな噂が広まったら、もう…… 清一に寄って来る女の子が居なくなって丁度いいんじゃね?俺の方はどうせ元々モテないんだし、現状維持ってだけだしさ」
松島さんの方を振り返らずに言った言葉は松島さんにきちんと聞こえたかはわからないが、そんな事はもうどうでもよかった。