「…別におまえのために作ったわけじゃないからな。今月の新作だから、毒見させてやろうと思っただけだ。おまえ、好きなんだろ、俺のケーキ」
榊くん…。
試食ならこの時間じゃなくてもできたのに…。
もしかして…
本音では『悪かった』って思ってくれていたのかな…。
「って言っても、すっかりエサはもらってたみたいだな」
と、榊くんはほとんど食べ終わっていたパフェとワッフルを横目に見た。
う…どっちもおいしくてペロリと食べてしまったんだった…。
「腹いっぱいならケーキは食わなくていい。捨てろ」
「捨てる…!?」
榊くんのケーキを…榊くんがわたしのためにもってきてくれたケーキを、粗末になんて絶対にできない…!
「だいじょうぶだよ!甘いものはいくらでも入るから!」
「…無理すんな……って、おまえの胃袋って甘いものには四次元空間なんだっけ…」
「うん!特に榊くんのは!」
と言うなり、ぱくりとほおばった。
「ううううん」
抹茶クリームのまろやかでやさしい甘さ…!
しっとりとしたスポンジのほのかに香ばしい風味は…黒豆粉が練りこまれているのかな?和風テイストで大人な味っ。
すっごく美味しいよぉ~!ほっぺたが落ちちゃいそう…!
両手で頬を包んで余韻にひたっていると、ぱち、と榊くんと目が合った。
はっとなって、榊くんは眉間にしわを寄せている。
ちょっと顔が赤い…
いけない…!
食いしん坊丸出しで感動している場合じゃない。ちゃんと感想を…。
「美味しい!すっごくおいしいよ」
「そうか」
なんてそっけない榊くんだけど、眉間からはしわが消えて、形のいい唇の端が、すこし、上にあがった。
あ…
この顔、見たことがある…。
どことなく穏やかになったその表情は、まだお客さんとしてきていた時のわたしに向けてくれていたものと同じだった。
きゅん、と胸がうずく。
けど、それと同時に感じたのは、寂しいような切ない気持ち…。
わたしがお客としてお店に来た時は、新作ができると真っ先に紹介してくれたよね…。
美味しいって言ったら、今みたいにクールな顔をちょっとほころばせて微笑んでくれて。
生意気にちょっと要望を言っても、むしろ楽しそうに聞いてくれて…。
わたしは榊くんのこの笑みに惹かれてしまったんだよ。
好きで好きで、忘れられなくなってしまったんだよ…。
けど今は…。
しかたないよね…。
それはわたし自身のせい。
好き。
って伝えるのは、今はまだ到底無理。
だけどせめて、あなたのケーキも大好きだってことは、伝えたい。
それくらいは…こんなわたしでも、伝えてもいいよね…?。
わたしは大きく息をすると、覚悟するように息を吐いた。
「わたしね榊くんの作るケーキが本当に大好きだよ」
「…」
「このお店のスイーツはみーんな大好きだけど…。榊くんのケーキは特別。ずっと、ずーっと大好きだったよ」
精一杯気持ちをこめて、笑顔をむける。
痛っ…!
急に頬をつねられた…!
「…の割には、パフェもワッフルもがっつり食ってるじゃねぇか。しっかり餌付けされてるんじゃねぇよ」
うう…痛いよぉお。
「…ったく、ホールにいればトロくて見てらんねぇし、かと思えば目をはなした隙にちょっかいかけられてるし」
ぐいっとさらにつねあげて榊くんは苛立たしげに続ける。
「いいか、あいつらにはつけこまれるなよ」
「はいつら…??」
拓弥くんと暁さんのこと?
「おまえの指導係は俺なんだからな。…だから、おまえを餌付けしていいのも俺だけだ。わかったか、グズ」
「へづけなんて…ペットじゃはいよぉ」
「…ペットだと思って接しなきゃ、やってらんねぇんだよ」
榊くんは頬から手を離すと、椅子から立ち上がった背を向けた。
「…もう戻るの?」
「店混む時間だからな」
「じゃわたしも…!」
「おまえは残り食ってろ。ドジが戻ったところで足手まといだからな。…ちゃんと全部食えよ」
と言い捨て休憩室から出て行こうとしたところで、榊くんは背を向けたままぴたりと止まった。
「…あとおまえ、拓弥と暁兄のこといつから名前呼びにしてんの」
「え?」
「俺も名前で呼べ。コミュニケーションが大切なのに俺だけよそよそしいのはなんかムカつく」
「は、はい…」
「わかったか。……日菜」
「……」
…名前で、呼ばれた…。
きゅうと胸が苦しくなってうつむく。名前で、呼ばれちゃった…!!
ドキドキする胸を押さえて、いつも見惚れてしまう広い背中にそっと呼びかけた。
「はい…晴友くん…」
榊…晴友くんは返事することなく出て行った。
顔、ちょっと赤くなっていた…?
へん、なの…。
名前呼びされるのが、恥ずかしかったのかな。
それなのに連携がスムーズにいくように呼ばせるなんて…やっぱり仕事に一生懸命なんだな。
わたしもがんばらないと…。
でも…
胸がくすぐったい…。
だって好きな人を名前呼びできるなんて思わなかったから。
仕事のためだけど、
『ちょっと前進』
って思っても、いいよね…。
「晴友くん…」
そっと
ちいさな声で、そっと繰り返した。
こころよいその響きは、ケーキみたいに甘く、胸をとろけさせた…。