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登場人物
大学生 中村有希 二十歳
主人公。冷静で優しい女性。
ある過去の喪失から立ち直れずにいる。
大学生 中垣智樹 十九歳
理屈っぽく冷静な青年。現実主義者。
大学生 一塁佐奈 二十一歳
陽気でムードメーカー。だが内には自責の念を隠している。
大学生 田中玲 有希と同い年
優しく面倒見のよい男性。かつて有希と特別な関係にあった。
大学生 金田柚木智樹と同い年
無口で神秘的な男性。山に詳しいが、
何かを知っているようなそぶりを見せる。
あらすじ
大学生の友人五人ーー中村有希、一塁佐奈、
中垣智樹、田中玲、金田柚木達は、
卒業後数年ぶりに再会し、
思い出の山「霞岳(かすみだけ)」に登山旅行へ出かける。
その山は、地元では”呼び山”と呼ばれ、
昔から「人を呼び入れて還さぬ」と語られてきた場所だった。
当初は懐かしさに包まれ和やかに始まった登山だったが、
徐々に現実と異界の境が曖昧になっていく。
聞こえるはずのない声、現れるはずのない人影、
そして消えていく仲間たち――
第一章 ー呼び声ー
登山道の入り口に立った瞬間、有希はふと、肌寒さを感じた。
まなつのはずなのに、空気は酷く冷たく、
まるで時間だけが止まったように周囲は静まりかえっていた。
「……なんか、懐かしいね。」
佐奈の声が背後から届く。振り向くと佐奈は相変わらずの
明るい笑顔を浮かべていたが、どこか無理をしているようにも見えた。
「ほんとに、また来るなんて思わなかった」
玲が荷物を背負い直しながら、懐かしむように山を見上げる。
十年前、この山で、彼らは一つの”出来事”を経験していた。
再会は、玲からの連絡だった。
「なあ、久々に登ろうぜ。あの山、霞岳。十年前の夏に、
みんなで行ったろ?」
あの日、山で何かがあった。だが、誰もそれを語らない。
ただ、その後、五人の関係はどこか歯車がずれたままだった。
「うわ、ほんとに変わってないな、この登山道」
佐奈が明るく笑って、道端の石を蹴った。
「静かすぎる。鳥の声もしない」
智樹が冷静に言った。彼の声が風に吸い込まれるように、
消えていく。
有希は少し離れて歩きながら、
リュックの中にしまった手帳をそっと握った。
十年前、この山で――弟を失った。
それは皆に内緒にしていた。
「有希、大丈夫?」
玲の声が背後から届く。優しい声。けれど、
あの日、彼も有希の弟を見失った一人だった。
「うん……大丈夫。来てよかったと思う」
有希は微笑み返す。
そして、最後尾を歩く柚木がぽつりとつぶやいた。
「……この山、もう、帰さないかもしれないぞ!」
その声を、誰も聞き取れなかった。
あるいは、聞こえなかったふりをした。
登山開始から一時間。
五人は標高800メートルあたりの尾根沿いに出た。
霧がゆっくりと立ちこめている。風はなく、空は曇り。
だが雨は降らない。ただ、空気の重さが
ずっしりと肺にのしかかる。
「ちょっと休もうか。ここ、前にも休憩したとこだよね?」
佐奈がリュックを降ろし、木の根に腰を下ろす。
「おにぎり、食べちゃおうかな」
無邪気な笑みを浮かべて袋を開ける玲だが、
その目の奥に、ほんの少しの怯えが見えた。
「……音、しないな」
智樹が再びつぶやく。
風の音、鳥のさえずり、虫の声、すべてが抜け落ちた世界。
柚木は、遠くの木々の奥をじっと見つめていた。
目を細め、耳を澄ませている。
「柚木?」
玲が声をかけると、彼女はゆっくり首を振った。
「……ううん、なんでもない。
ただ、あそこ、誰か……いた気がして…」
一瞬、空気が凍った。
有希が立ち上がり、柚木の視線の先を見た。
そこには何もない。ただの林。だが、確かに、
“誰か”が立っていそうな気配があった。
「……気のせい、だよね」
佐奈が笑って言う。
「気のせいで済ませるなら、ここに来る意味ないだろ」
智樹の声は冷たく響いた。
玲が空気を変えようと立ち上がる。「なぁ、せっかくみんなで来たんだし、昔話でもしようぜ。覚えてるか? あのとき、有希がこけて泥まみれになったやつ」
「……それ、言う?」
有希が苦笑する。
そのときだった。
――「……ユキ」
風が吹いたわけでもないのに、耳元で何かが囁いた。
有希だけが、それを聞いた。
それは弟の声に、よく似ていた。
「今、呼ばれた?」
有希は無意識に言った。
「え?」と玲が問い返す。
「……なんでもない。聞き間違い。たぶん」
柚木がゆっくり、有希に近づき、低い声で言った。
「……この山、思い出に来る場所じゃない。置いてきたものを、取り戻しに来る場所なんだよ」
「え……?」
有希が振り返ると、柚木はもう目を逸らしていた。
そして、霧がさらに深くなる。
尾根を少し先に進んだそのとき、智樹が立ち止まった。
「……道、違わないか?」
見ると、ルートが分かれていた。地図には載っていない分岐点。だが、どちらも踏みならされた登山道に見える。
「え? こんなとこ、分かれてたっけ?」
佐奈が不安げに言う。
「……いや、記憶にない」
玲も首を傾げる。
「地図にない道って、ヤバいんじゃない?」
佐奈の声が、少し震える。
「けど、こっちの道のほうが新しい踏み跡がある。登山者が通ってるってことだ」
智樹は左の道を指した。
柚木は、何も言わずに右の道を見ていた。目の奥が、
何かを知っている目をしている。
「こっち……行くべきだと思う」
そう呟いた声は、やけに遠く聞こえた。
空が、静かに陰りはじめていた。
第二章に続く………