テラーノベル
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「お父さんのことは……いろいろ思うことはあるよ」
お父さんに私以外の家族がいたこと。
それは心に大きな穴があくほど、辛くて悲しいことだった。
だけど、手に入れられる幸せと、ほしいと願うしかできない幸せは別だと、昔からわかっているから。
「ずっとどうしてるのかなって思ってたの。
いろんな想像をしてたけど、お父さんが幸せそうで……ほっとした」
風に乗って、かすかに電車の音が聞こえる。
レイは私を見る目を少し細めた。
「だって、不幸にされてるほうが嫌だもん。
それなら幸せでいてくれるほうがずっといいよ」
「そういうのが、俺には理解できない。
俺が澪の立場だったら、父親のことは地獄で生きろって思うね」
「レイ……」
「澪は言っただろ。
俺が母親の指輪を持ち歩いている理由は、母親が恋しいからで、本当は愛してるんじゃないかって」
言った。
レイの背中の痕を見た時、彼の心を少しでも軽くしたかった。
愛されていないなんて悲しいこと、違うと否定したかった。
「真相はこうだよ。
俺は、逃げた母親を探しに日本に来たんだ。
母親を探し出して、家に置いていった父との結婚指輪を投げつけてやるつもりだった。
あんたがひとり逃げた後、俺はひどい目に遭ったって言ってね」
レイは自嘲の笑みを浮かべていた。
笑っていても、彼の瞳は深い闇に沈んでいて、胸が苦しくなる。
「レイ……」
「なのに澪は本気で的外れなことを言うから……バカバカしくて毒気を抜かれたよ。
今日だって、澪は父親に文句を言ってもよかったのに、父親が幸せそうでよかっただなんて言うし。
本当、どうかしてる」
そこでレイは大きく息をつくと、表情を柔らかくした。
「……けど、俺が絶対考えないことや、目を向けないものを澪は見ていて。
それがどんなものだろうって思うと、澪が感じているものはなにか気になって……澪に惹かれた。
俺も同じものを見て、感じてみたくなったんだ」
混じり気のない言葉が心に入ってくる。
私は泣きそうになった。
いつからだったんだろう。
いつからそんなふうに、私を想ってくれていたんだろう。
視線を遠くに移したのは、涙をこぼしたくなかったからだ。
泣いてしまうと、涙がこの時間まで流してしまいそうな気がした。
「前に拓海くんと縁側にいた時、レイが2階から声をかけたのって……」
濃くなった夜の空気を吸い込んでから言えば、レイはすぐ私の言いたいことを察した。
「あぁ。
拓海もかなり勢いついてたし、澪がキスでもされたらまずいと思って」
それを聞いて、顔が熱くなった。
やっぱり……あれがわざとだったなら、話は全部聞かれていたことになる。
「まぁけど、拓海にも同情はするよ。
あんなにわかりやすく澪が好きなのに、澪にいつまでも恋愛対象にされないんだから」
(それは……)
耳が痛い。
というか、レイにそれを言われると、どう受け止めていいか複雑だ。
私が眉を下げると、レイは笑う。
「わかってるよ。
澪にとって拓海は家族に近いだろうし、そういった目で見ないって」
言われたとおりだった。
拓海くんは私にとって「優しいお兄ちゃん」だから、これからもそれ以外の存在にはならない。
夜の散歩で、拓海くんに言われた言葉を思い出す。
“あいつにたぶらかされんなよ”
(……ごめん……)
心の中で拓海くんに謝る。
忠告は聞けなかった。
たぶらかされてはないけど、私はもう十分にレイが好きだ。
遠くのビルの明かりが消えた。
それが視界の端に映り、私ははっとする。
今何時だろう。
「レ、レイ、そろそろ行こうか。
私スマホの充電が切れて、けい子さんから連絡がきたら、家にいないってばれちゃうの」
言いながら腕時計に目を落とすと、針は11時ちょうどを指していた。
「わっ、11時だ」
「また電池切れ?
澪のスマホはいつも肝心な時に役に立たないな」
焦る私のとなりで、レイも腕時計に目を落とす。
「あぁ、けど……俺の時計だと、11時にはまだだよ」
レイは文字盤を私に見せた。
「え?」
「ほら、あと2分ある」
言われて私も腕を差し出した。
レイの腕時計のとなりに、時刻が見えるように時計の文字盤を並べる。
その時、私の腕時計が時間を隠すように握られた。
顔をあげると同時に、どくんと心臓が波打つ。
陰に覆われ、レイの手が耳に触れた。
柵に体があたって、かたんとくぐもった音をたてる。
落ちてきたキスは優しかった。
嬉しいのに、受け止めながら胸が苦しくなる。
このまま時が止まればいいのに。
そうすれば、私はレイと離れ離れにならなくて済むのに。
柔らかなキスが、次第に荒くなる。
ついていくのがやっとなのに、私はずっとこうしていてほしかった。
レイが好きだ。
好きだから、夏が終わって、レイがアメリカに帰るのが怖い。
風が吹き、遠くで飛行機の音がした。
体を離した私たちは、どちらからともなく空を見上げた。
薄い雲のかかる夏の大三角を、飛行機が渡っている。
「澪、好きだよ」
彼は空を見上げたまま言った。
私は返事のかわりに、レイの腕に顔を押し当てる。
彼との2分間のキスは、レイを苦しいほど傍に感じたキスだった。
けれど、私とレイの気持ちが同じになれたからって、時計の針は止まらない。
私は遠ざかっていく飛行機の音を聞きながら、切なさに胸を焦がしていた。
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