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第三章 氷晶と炎音
第三話 炎の旅芸人 前編
ある時、フィルディア王国へ大規模な商団と旅芸人が訪れていた。
季節は初夏といえど、まだまだ雪に覆われたこの国へ来る商人は少ない。
まして、旅芸人まで連れてくる一団など珍しかった。
城内でも噂になっていた。
「異国の楽師がいるらしい」
「炎みたいな赤髪だとか」
「歌で人を泣かせるらしいぞ」
「女たちが夢中になってる」
そんな話が、廊下や使用人たちの間で飛び交っていた。
けれどクロードは興味を示さなかった。
商人も、旅芸人も、自分とは無縁の存在だ。
そう思っていた。
「行くぞ」
執務室で書類へ目を通していたクロードへ、当然のように声が飛んでくる。
顔を上げる。
そこには騎士服姿の青年が立っていた。
赤茶色の髪。
鋭い目元。
だがどこか気安い空気を纏った男。
幼馴染であり側近でもある、カイルだった。
「断る」
即答。
カイルは盛大にため息を吐いた。
「お前なぁ……」
「たまには城の外の空気吸えよ」
「吸ってる」
「魔物討伐以外で、だ」
クロードは再び視線を書類へ落とす。
カイルは机へ身を乗り出した。
「旅芸人来てんだって」
「興味ない」
「めちゃくちゃ美人らしい」
「……」
「女か男か分からんくらい」
「どうでもいい」
「歌もヤバいらしい」
「帰れ」
カイルは肩を落とした。
「お前最近ずっと仕事と訓練しかしてねぇだろ」
少しだけ声色が変わる。
「いい加減、息抜きしろ」
静かな沈黙。
やがてクロードはゆっくりとペンを置いた。
「……少しだけだ」
カイルが満足そうに笑う。
「よし!」
数時間後。
二人は王都の酒場へ来ていた。
外ではチラチラと雪が降っている。
けれど店の中は暖かかった。
酒の香り。
焼いた肉の匂い。
笑い声。
暖炉の火。
人々の熱気。
クロードは眉間に皺を寄せる。
騒がしい場所は苦手だった。
奥の席へ腰を下ろす。
その瞬間から、周囲の視線が集まる。
当然だった。
ーー氷晶の王子
この国でその異名を知らぬ者はいない。
けれどクロードは慣れていた。
恐れられることにも。
距離を置かれることにも。
興味はない。
その時だった。
酒場の灯りが少し落ちる。
ざわめきが広がる。
「お、始まるぞ!」
カイルが言った。
ステージへ一人の青年が現れる。
クロードは僅かに目を細めた。
ーー赤い。
最初に浮かんだのはそれだった。
燃える炎のような赤髪。
雪国では見かけない陽に焼けた肌。
異国風の鮮やかな衣装。
揺れる装飾品。
そして、その真紅の瞳。
人を誘うみたいに細められた目元。
悪戯っぽい笑み。
客席へ向けた流し目に、酒場の女たちが黄色い声を上げる。
男たちまで見惚れていた。
青年は軽くウィンクすると、椅子へ腰掛けた。
リュートを抱える。
その仕草すら、妙に様になっている。
指先が弦を弾いた。
静かに。
優しく。
演奏が始まる。
賑やかな酒場のはずなのに、不思議と音が真っ直ぐ胸へ届いた。
雪解けの水みたいに。
凍えた指先へ触れる火みたいに。
温かい。
クロードは知らず、ステージへ視線を向けていた。
青年はよく笑った。
客へ冗談を飛ばし。
子供へ手を振り。
酔っ払いへ笑い返す。
まるで、生きることそのものを楽しんでいるみたいだった。
その姿が妙に眩しい。
ふと演奏の合間、真紅の瞳がこちらを向く。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
その目が、クロードの奥を覗き込んだ気がした。
そして青年はふっと笑った。
優しく、どこか少しだけ寂しそうに。
「……?」
クロードは僅かに眉を寄せる。
今の表情の意味が分からなかった。
「めちゃくちゃ見てるじゃねぇか」
カイルが横で笑う。
「見えているだけだ」
「はいはい」
演奏が終わる。
拍手。
歓声。
口笛。
酒場は熱狂に包まれた。
けれど、クロードはなぜか目を逸らせなかった。
青年が、こちらを見ている。
そして次の瞬間。
ステージを降りた青年は、迷いなくこちらへ歩いてきた。
周囲がざわつく。
誰もが息を呑む。
だが本人は気にした様子もない。
クロードの前で立ち止まる。
そして、にこりと笑った。
「なぁ兄さん」
陽気な声だった。
「めっちゃ綺麗な顔しとるのに、そんな怖い顔しとったら勿体ないで?」
酒場が静まり返る。
カイルが吹き出した。
クロードはゆっくりと顔を上げる。
人生で初めてだった。
自分へそんな言葉を向けてくる人間は。
「……誰だ、お前」
冷えた声。
けれど、青年はまるで怯まない。
むしろ楽しそうに肩を竦めた。
「旅芸人。で、商人。あと人間観察が趣味」
そう言って笑う。
真紅の瞳が細められる。
「ラスタや」
気さくに名乗るその姿に、クロードはますます眉をひそめた。
「兄さんは?」
当然知っているだろうに。
そう思った。
けれど、ラスタの瞳は本気だった。
まるで、”氷晶の王子”ではなく、ただ一人の人間として、名前を聞いているみたいに。
その視線に、クロードは一瞬言葉を失った。
コメント
1件
うわ、これすごくいい…!「氷晶の王子」って呼ばれてるクロードが、ラスタの演奏に知らず惹きつけられてく描写が繊細でドキドキした。特に「凍えた指先へ触れる火みたい」って比喩が、雪国と炎の対比を綺麗に紡いでて、読んでるこっちまで温かくなったよ。ラスタが「人間として名前を聞いてるみたい」な視線を向けるラストも、これからどうなるんだろうって胸が高鳴る🌙 続きがすごく気になる…!