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須古星 れい
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ばたっちゅ
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桜城
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第二章 小さな光
第十話 旅立ちの朝
サフィアンとの約束から数日が過ぎた。
ジオは少しずつ、自分の部屋の物を整理していた。
長年過ごした小さな部屋。
窓際の机。
古びた本棚。
小さなベッド。
どれも見慣れたものばかりだった。
床に置いた鞄を見下ろしながら、ジオは本棚へ視線を向ける。
「薬草の本は持っていこうかな……」
呟きながら何冊か手に取る。
旅先でも役立つだろう。
それから机へ向かい、引き出しを開けた。
そこにある一冊の本へ手を伸ばす。
黒い表紙。
中央に刻まれた月の紋章。
『月蝕記』
あの日、地下の禁書庫で見つけた本だった。
まだ何も分からない。
けれど。
自分の正体を知る手掛かりがあるとしたら、きっとこの本だ。
ジオは静かにそれを鞄の底へしまった。
その夜。
薬屋の奥では、いつものように夕食が並んでいた。
温かなスープ。
焼きたてのパン。
香草を使った簡単な料理。
二人だけの食卓。
マーサは、ジオがサフィアンと街を出ることを知っていた。
けれど何も聞かなかった。
何も止めなかった。
静かな時間が流れる。
やがてジオがぽつりと口を開いた。
「……ばあちゃん」
マーサが顔を上げる。
ジオは皿へ視線を落としたまま続けた。
「俺……」
声が少し震える。
「ずっと、心配ばっかり掛けてきたよね」
マーサは黙って聞いている。
「ごめん……」
小さな謝罪だった。
マーサはしばらく何も言わなかった。
そしてふっと微笑む。
「何を言うかと思えば」
優しい声だった。
「あんたは私の大事な孫なんだよ」
ジオが顔を上げる。
「心配するのは当たり前さ」
皺だらけの手がそっとジオの頭を撫でる。
「あんたの幸せを、誰より願っているんだからね」
その言葉に、ジオは何も返せなかった。
ただ胸の奥が温かくなった。
そして、旅立ちの朝がやって来た。
窓から差し込む朝日で目を覚ます。
いつもと変わらない朝。
なのに、今日だけは違っていた。
ジオは静かに支度を整える。
黒いローブを羽織る。
荷物を詰めた鞄を肩へ掛ける。
思っていたより鞄は軽かった。
けれど、胸の中は不思議なくらい重かった。
階段を降りる。
薬草の香り。
木の軋む音。
何もかもが胸に沁みる。
奥へ入ると、朝食の準備をするマーサと目が合った。
「おはよう、ばあちゃん」
「おはよう」
マーサが穏やかに笑う。
「よく眠れたかい?」
「うん」
いつものように皿を並べる。
いつもの席へ座る。
お茶を注ぐ音。
スープの湯気。
何一つ変わらない朝だった。
だからこそ、ジオは思ってしまう。
ーーもしかしたら、これが最後かもしれない。
そんな考えが頭をよぎった。
表情が曇る。
すると、マーサがそっと手を握った。
温かい。
幼い頃から何度も触れてきた手だった。
「何も心配することはないさ」
優しい声。
「まずはしっかり朝ご飯を食べな」
皺だらけの目元が柔らかく細まる。
「もうすぐあの子が迎えに来るんだろう?」
ジオは小さく笑った。
「うん」
食事を終え片付けをしていると。
店の扉のベルが鳴った。
ーーカランカラン。
「おはよー!」
元気な声が店中へ響く。
「ジオのばあちゃん!」
思わず笑ってしまう。
「おはよう、サフィ坊っちゃん」
マーサが答える。
「今日も元気だねぇ」
「もちろん!」
即答だった。
「ジオは奥だよ」
足音が近付いてくる。
ひょいと顔を出したサフィアンが笑う。
「おはよ、ジオ」
「おはよう」
ジオは思わず目を瞬かせた。
紺色の外套。
腰には剣。
旅用の丈夫な靴。
そして背中には大きな荷物。
「……多くない?」
ジオが指差す。
サフィアンは胸を張った。
「だって色々必要だろ!」
「いや絶対多いって」
「ていうかジオ少なすぎ!」
「重いの嫌だし」
「そんなもん俺が持ってやるって!」
ジオは吹き出す。
「サフィが潰れるよ」
「潰れない!」
二人の笑い声が店に響く。
それを見てマーサも静かに微笑んだ。
支度を終えた頃、マーサはジオに小さな袋を渡す。
中には、傷薬や熱冷ましの薬、結界石や魔物よけの鈴など。
旅に役立ちそうな道具が詰められていた。
「きっと役に立つよ」
「ばあちゃん、ありがとう」
胸が熱くなる。
やがて二人は店の外へ出た。
初夏の風が吹く。
柔らかな陽光が街を照らしていた。
数歩歩いて足を止める。
振り返る。
そこにはマーサが立っていた。
十七年間。
本当の孫のように育ててくれた人。
泣き虫だった頃も。
熱を出した夜も。
黒い瞳に思い悩んだ日も。
ずっと傍にいてくれた人。
マーサは静かに微笑む。
「気を付けて行っておいで」
その言葉に、ジオは強く頷いた。
「うん」
少しだけ声が掠れる。
「ばあちゃん」
マーサが首を傾げる。
ジオは笑った。
「行ってきます」
マーサも笑う。
「いってらっしゃい」
その声に背中を押されるように、ジオは歩き出した。
隣にはサフィアンがいる。
二人並んで街道へ向かう。
朝日を浴びながら。
未来へ向かって。
マーサは、その背中が見えなくなるまで見送っていた。
やがて二人の姿は街角の向こうへ消える。
静寂が戻る。
初夏の風が吹いた。
マーサはそっと目を閉じる。
朝日が眩しかった。
照らされた二人の背中が、瞼の裏へ焼き付いて離れない。
ーー大きくなったねぇ。
心の中で呟く。
そして、閉じた目の端から、一筋の涙が静かに零れ落ちた。
けれどその顔は、どこか誇らしげに微笑んでいた。
まるで、我が子の旅立ちを見送る母親のように。
第二章 完
コメント
1件
いやもう……第二章完って文字を見た瞬間、胸がいっぱいになったよ😭✨ ジオが「ずっと心配かけてごめん」って言ったところ、マーサが「あんたは私の大事な孫だ」って優しく撫でるところ、もう涙腺崩壊だった……。 最後のマーサの涙、誇らしげな微笑み、あれが「母親のような」って表現されるのがすごく沁みた。 サフィアンとの荷物多い少ないのやりとりも可愛くて、二人の未来が楽しみすぎる! 次、第三章が待ち遠しすぎるよ~~!!🌸