「でしたら!」と、部長が前のめりになって口を挟んだ。
「責任者は部長である私が――」
「――現在のシステムも使えない人間では、改善案は出せないだろう?」
「使えないことは――」
「――打刻修正が出来ない上に、松林課長の新システム案を握り潰してきたのに?」
若いながらも、伊達に社長をしていない。
部長はグッと喉を鳴らし、二の句を告げずに視線を彷徨わせていた。
「松林ひなたさん」
彼――宇野社長が私の名前を呼んだ。
「今夜は満月が綺麗ですよ」
「え――?」
「一緒に見ませんか?」
フロア中がざわめく。
当然だ。
四十をゆうに過ぎた、バツ二の、いわゆるお局様の私が、ひと回りも年下のイケメン社長に口説かれたのだ。
口説かれた当の私は、口を半開きで瞬きを繰り返すばかり。
驚くそぶりも見せずに笑っているのは、我が社の社長だけ。
「恨むことも忘れることも、出来なかった」
「みち……や……」
半年と少し前、私は目の前の彼に、『満夜』と名付けた。
彼の本当の名前は、私の傷ついた心で呼ぶには、眩しすぎる名前だったから。
けれど、一度くらい呼んでみたかった。
私の心の闇を、明るく、温かく、照らしてくれるのではないかと期待して。
「満月の夜も、満月じゃない夜も、一緒にいよう。朝が来ても、ずっと」
彼が、私の手を取り、甲に口づける。
黄色い声が響く。
就業時間中に、二十数名の同僚たちの前で何をしているのか。
わかっているのに、手を振りほどけない。
「好きだよ。満月のあんたも、ひなたのあんたも」
「……っ」
彼からのメモを、捨てられずにいた。
部屋に置かれていたメモは、今は私のスマホケースのポケットに入っている。
私だって、忘れられなかった、
満月の夜の度に、彼の温もりを思い出した。
触れて欲しいと、思った。
恨まれても構わないと、思った。
それでも、忘れて欲しくなかった――。
俊哉と里奈が借金をして太陽に慰謝料を支払ったこと、二人が入籍したこと、里奈が妊娠したこと。
知りたくもないのに噂が耳に届き、その度に私はあの公園に行った。
ベンチは雪に埋もれていたけれど、私はそれがあるはずの場所を眺めた。
会いたかった――。
「俺、あんたに名前を呼んで欲しい」
満夜――太陽が言った。
まだ手は握られていて、たくさんの視線を集めたまま。
それでも、そんなことはどうでもいいと思えた。
ずっと会いたかった彼が、目の前にいる。
夢かもしれない。
願望が見せた、真昼の夢かもしれない。
だとしても、だからこそ、迷うことなどない。
「た……いよ……う」
「……うん」
「太陽……」
「うん」
私の手を握っていた彼の手が離れ、その手が、両手が私を包み込む。
誰かの悲鳴が聞こえた。冷やかしも。
けれど、そんなことはどうでも良かった。
「一緒にいよう、ひなた」
私は頷いた。
横目に見える窓の向こうには、真っ青な空に満月が浮かんでいた。
コメント
2件
年下だろうが愛してくれる人を逃したらダメよ。 3度目の正直って言うじゃない。 幸せになって🎵
きゃー🥰良かった!これできちんと始められるね🩷お互い想いあっていたんだね!🥹そして名前もこれからの明るい未来を思わせるようで、素敵ですね!