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その日は早退した。
梅雨らしい土砂降りの雨。沈んだ気分に偏頭痛。しかも生理中ときた。完全にやる気をなくした私は、心配そうな皆の声を背に教室を出た。学校の机より家のベッドの方が寝やすいに決まってる。体調不良は嘘ではないが、優越感に浸っていた。階段を一段降りるたびに呻き声を上げながら、優越感に浸っていた。下腹部を殴る鈍痛と荷物の重みを抱え、ようやくアスファルトに一歩踏み出した瞬間、しまった、と思った。
傘がない。
こんな体で走れるものか。こんなことなら無理矢理にでも迎えに来てもらえばよかった。なんなら遠くの高校になど進学しなければよかった。つくづく自分の間抜けさを痛感する。これからの道のりを想像して、宇宙の遥か彼方に旅立つほど途方もない気がした。今の私からしてみれば、成層圏と最寄り駅は同等の距離である。
ままよ、とそのまま歩き出した。どうしようもない。歩き続ければいつかはたどり着くと信じて、頑張るしかないのだ。体感1万キロほど歩いた頃に、見覚えのある建物が見えた。
神様。
そこは、私の叔父が住むアパートだった。
そういえばそうだった。なぜ気づかなかったのか。嬉々として階段を(気持ち的に)駆け上がり、記憶をたよりに扉の前に立った。そして、思い出した。スマホの画面を開く。まだ昼にもなっていない。サラリーマンの叔父が、こんな時間に家にいるわけがない。
私は間抜けだった。
やけくそでインターホンを押した。誰も出るはずがない。だから押した。なにも返答はない。もちろんである。崩れ落ちるように座り込む。中身が詰まったままの弁当の袋が、派手な音を立てて足元に落ちた。とりあえず、雨が弱まるか痛みが引くのを待たせてもらおう。屋根があるだけありがたい。
そのとき、後ろでガチャリ、と音がした。
ぎょっとして振り返る。心臓が頭に響いて痛い。音のした方を見ると、扉が少し開いていた。誰もいないはずの、扉が。
昼前といえど曇天だ。錆びた鉄骨のアパートは雰囲気作りにもってこいだし、私の心臓は爆発寸前だった。
本当に怖いとき、人は動けないらしい。私はとりつかれたように隙間を凝視した。
そっとそこから現れた顔は、想像していた髪の長い女ではなかった。睫毛は女のように長かった。別の意味で心臓が破裂しかけた。
あまりにも、綺麗な顔だった。初めて彼を見た瞬間の衝撃を、今でも忘れられない。