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千代の呼び声に、月子は慌て、再び葛籠《つづら》の底へ手を滑らせる。
そして、古びた封筒を取り出すと、瀬川から与えられた銅貨を入れた。
西条家では、毎年、年始に、家長からお祝儀事で、少額の現金が与えられた。仕事ぶりというべきか、立ち位置によって、金額が変わって来る為、月子に手渡される額は、本当に少ないものだった。
それを、月子はコツコツ貯めていたのだ。何かの時に、幾らかでも手持ちがあれば、心強いと思い……。
しかし、月子も西条家の人間に、違いないのだから本来は、手渡す側に居るはずで、貰う側に居るのは、おかしいのだが……。
家柄の釣り合わない後添えだからと、夫、満亡き後、ひたすら遠慮し、家に尽くしている母の姿を見ていると、連れ子と、赤の他人扱いをされ、女中と共にされていた月子も、その待遇に文句は言えなかった。
そして、何年分かのお祝儀が貯まったのだ。
古びた巾着に、封筒と渡されている釣り書を入れ、行き先の住所が書かれた紙を懐へ忍ばせると、月子は、ふすまを開けた。
何もない部屋ではあるが、もう、ここには戻れない。
どことなく、寂しさにさいなまれた。
「月子さん!」
千代の苛立ち声がする。
月子は、急いで、廊下を歩む。千代の声がするのは、玄関からだ。
常に、裏口、お勝手から出入りしていた月子は、不思議に思いながらも、そちらへ向かって行った。
微動だにしない、瀬川の脇で、裏口から、月子の下駄を持って来たのだろう、千代は、框に膝をつき、かがんでいる。
「では、お気をつけて」
月子の姿を確認した瀬川は、言って、軽く頭を下げた。
始めての事に、月子は面食らったが、瀬川と千代の手前、挨拶をせねばならないのだろうと思う。
「……お世話に……なりました」
瀬川も千代も、何も言わない所を見ると、これでよかったのだろと、胸を撫で下ろしつつも、どこか、腑に落ちない月子だった。
世話になど、なっていない。でも、養っては、もらった……。一応、母の入院も手配してはくれている。
たが、肝心の、後々の事までは、取り仕切ってもらえていない。
それで……。どうして……。
瀬川と千代の冷えた視線が月子に突き刺さる。
恐ろしいというよりも、身が凍る思いがして、月子は、沸き起こる不満ごと、逃げるように、下駄を履くと、玄関のガラス戸を開けた。
月子の気持ちとは、裏腹に、戸は、ガラガラと小気味良い音を立て、開かれる。
こうして……。月子は、西条家から、外の世界、新しい暮らしへ向けて踏み出した。
木綿の地味な着物に、歯のちびた下駄、そして、古びた巾着を手にした姿は、下働きが、急に入り用になった物を買いに出かけているかのような出で立ちで、見合いに向かう格好どころか、よそ様の家を訪ねるのも躊躇する装いだった。
恥ずかしさに押され、うつむきながら、月子は、西条家の門を出た。
背後で、ガラガラと、玄関の戸が閉じられる。
……追い出された。そう思える音だった。