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「お嬢様……」


瀬川が、仏壇の前に座り手を合わせている佐紀子へ、そっと声をかけた。


「……ご苦労様。出ていったのね?」


佐紀子の問いに、瀬川は頷くが、すぐに、怪訝な顔をした。


「……心配ないわよ。渡した五銭を使ってしまえば、戻ってくることは出来ない……。あの子にも、それぐらい分かるでしょう。長年、こちらの意向を言い含めてきたのだから……」


「ですが、お嬢様。ここと神田は、徒歩で十分移動出来る距離ですので……」


「そうね、瀬川。ここ茅場町から神田へは、路面電車を遣わなくても、徒歩で行ける……。だから、戸締まりをしっかりしておきなさい。余所者が、仮に舞い戻って来ても、入れないように……」


承知しましたと佐紀子へ答える瀬川の口振りは重かった。


「他に何かあるの?」


佐紀子は、何かを読み取ったのか、瀬川を問い詰める。


「……暫く、投資は控えた方が……」


言いにくそうに、それでも、言わなければならないとばかりに、瀬川は口を開くが、リーンと鳴り響く金属音に邪魔をされる。


佐紀子が、苛立ち紛れに、仏壇のお鈴《りん》を、鳴らしていた。


「……損失が大き過ぎる。そう言いたいのでしょう?」


「はい、今のまま続けておりますと……」


「瀬川!だからこそ、あの親子を追い出して、私が婿を取るのです!あちら様は、銀行家よ!株の取引にもお詳しいはず。どの銘柄を買えば、損失を取り戻せるか、御指南頂けるわ。……失った物を取り返さなければ……。ご先祖様に申し訳がつかない……」


佐紀子は手を合わせ、口惜しそうに念仏を唱え始める。


そんな先祖にすがる佐紀子の姿を見て、瀬川は、何も言わず、部屋を出ていった。


そして……。月子は、当てもなくに近い風情で大路を歩いていた。


西条家のある、日本橋茅場町から目指す神田までは、徒歩でも、四半時──、三十分少しで行き着く。


路面電車を使えば、もっと楽に、早く、着くだろう。


しかし、月子には、片道分の運賃しか渡されていない。


行きで、使ってしまえば、帰りの運賃はどうなる?


では、帰りの事を考えて、行きは歩いて行くべきか?


いや──。


どう考えても、これは、やはり、西条家へ戻ってくるなと言うことだろう……。


嫁に出るのなら、片道分でも、理屈は通る。だが、今日は、見合いなのだ。


内々で、もう話は決まっているのだろうが、あくまでも、顔合わせの機会で、行ったきり、は、さすがに出来ないだろう。


これは、本当に、女中として置いてもらわなければならないのではと、月子は、一人肩を落とす。


そんな、行き場がない失意に襲われている月子の側を、ガタゴトと、路面電車が過ぎ去って行く。


「おーい!待ってくれ!」


中年の男が、叫びながら電車を追って走って来た。


通りの人々は、足を止めて男を見た。


皆、含み笑いながら、この先を見届けようと、立ち止まり、通りには人だかりすら、出来始めている。


男は、なんとか電車に追い付いて、乗降口の手すりに手をかけた。


そのまま、手すりにすがり付くと、男は、引きずられながらも、電車に乗り込もうとしている。


その姿を、往来の人々は大笑いしいる。


明治の時代に乗り合い馬車として始まった路面電車は、その名残りからか、この手の迷惑乗車が後をたたず、乗り遅れたからと、電車を追って飛び乗ろうとする輩が、頻繁に現れていた。


男も、その手の人物らしい。


見物人は益々増え、月子は、人混みをかき分ける様に、進んで行くが、なかなか先へ進めない。


と──。


誰かとぶつかって、月子は、勢い転んでしまった。


「おっと、ごめんよ!」


若い男の声に続き、すすけたハンチング帽を被った姿が駆け抜けて行く。


そして……。気がつけば、月子が持っていたはずの巾着が失くなっていた。

麗しの君に。大正イノセント・ストーリー

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