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「どうしよう……」
どうしよう。声にも出るし、心の中でも叫んでる。
どうしよう。
ゆず君からの提案。一緒に住まないかっていう、そんな提案。
勿論、前向きに検討したいし、あんな風にいわれてしまったら、断れ無い。でも、それが『お願い』じゃないって分かっているからこそ、自分の心に従って決められるとも思った。俺がどうしたいか、ゆず君とどうなりたいか。
まあ、まずぶっちゃけいうと、一緒には住めない。俺は、家族であるあや君を置いて家を出れない。一応、母さんにあや君を頼むといわれているから、まだ高校生の彼をほったらかしには出来ないし、したくない。大事な家族だから。でも、ゆず君のことが大事じゃないかと聞かれたら、それもまた違う。どっちも大事、はかりが違うだけ。
「はあ……」
嫌なため息じゃなくて、勿論、悩ましげなため息。
幸せなため息ともいって良いかもしれない。こんなため息、つくなんて思わなかった。
(ゆず君……真剣な顔で言ってたよな……)
少し、恥ずかしそうにいうゆず君の顔を、すぐにでも思い出せた。脳裏に焼き付いて離れない初めて見るゆず君の顔。あんな顔も出来たんだと思うと同時に、あれが本当のゆず君なんじゃ無いかとも思った。別に、これまでのゆず君を否定するわけでも、偽物だっていうわけでもないけれど。それでも、何処か演技して、可愛いを創り出して。誰にでも好かれるあざと可愛い祈夜柚を演じていたゆず君とは違う、本物のゆず君がそこにいた気がしたんだ。
俺は別に人間観察が得意なわけでも、そういうのにめざといわけでもない。でも、ゆず君と関わってきて、何かしら、彼のこと理解してきているんじゃないかと思っている。
自惚れかも知れないし、勘違いかも知れないけれど。
ふと、スマホを見れば、「前向きに検討お願いし申す!」なんて、よく分からないメッセージが入っていて、ゆず君らしいなと思う。メッセージのしたには、可愛いハリネズミのスタンプが一緒におくられてきていた。見たこと無いその可愛いこぢんまりとしたハリネズミに癒やされつつ、俺は、本当にこれが『お願い』じゃなくて良かったなあ、と思っている。
「……」
スマホを、尻ポケットに入れて、俺はふと立ち止まる。白線のうちがわで、俺は足を止めてしまった。
「『お願い』じゃない、お願い……か」
ゆず君の始めて見れた本心というか、本音。
もしかしたら、ゆず君は愛に飢えているのかも知れないとか思った。両親も有名な芸能人。そして、自分も芸能人で。家族で過ごす時間とか無くて、彼は言っていたとおり、おはようをいってくれる人がいないって。だらしない生活になったのも、誰かに甘えたかったから、ほったらかしていた、とも捉えられるのでは無いかと思った。彼が休業していた理由も、もしかしたら、それに関わる事なのかも知れないと、深読みしてしまう。
毒親の定義って、人それぞれだし、第三者から見て毒親って捉えられても、本人や子供がそう捉えていない可能性だってあるわけだし。
別にゆず君の両親が毒親だとは言わない。でも、もし、仮に……ゆず君の才能を見て、芸能界にいるべきだ、演技するべきだと圧をかけているのだとしたら……そういう家系なんだから、そうあるべきだと、押しつけられているのだとしたら、嫌いにならないでもないと。
それとは、別に俺は今回の『お願い』じゃない、おねがい、をどう受け止めるべきかと考えていた。
俺が『お願い』の言葉に縛られ始めたのは、父親が亡くなる寸前に、『お願い』されたから。そんな理由で、とか言われたら、少し傷つくから、誰にも話さないけれど、というか、この体質だから、最も話さないんだけど。
『紡、父さんの『お願い』聞いてくれるか。紡はな……俺みたいになっちゃダメだぞ。誰でも優しく、誰かが困っていたら手を差し伸べるんだ。自分じゃなくて、人を思いやれる奴になって欲しい……綾と、母さんを頼んだぞ。俺からの最初で最後の『お願いだ』』
生前、頑固で、人に頼ることも、人を助けることもなかった父親が残した言葉。
誰かの『お願い』を聞くことまた、優しくすること。その言葉を聞いて、俺は始めて誰かに頼られたこと、託されたことで、その言葉に縛られるようになった。はじめこそ、その言葉を信じて、誰の『お願い』も聞いて、優しくした。そしたら、小さい頃内気だった俺にも友達が出来て、皆俺を頼るようになった。頼れる男になりたかった俺は、それで満足していた。でも、同時に人の『お願い』を断れ無くなって、悪い意味に捉えられるお人好しになってしまった。
でも、父さんが最後に残した言葉だから、託されたことだから、任されたことだから、って俺はずっと『お願い』に囚われ続けている。
バカみたいな話だって思われるかも知れない。でも、俺にとってはそれくらい俺の人生を変えた言葉だった。
けれど、それはいつしか、俺を縛って、呪いへと変化していった。
「……」
キュッと、鞄を握って、俺は白線の上を歩く。
ゆず君の本音、『お願い』じゃないお願い。それを、俺はどう捉えて、返そうか、迷いながら、帰路につく。
帰ったら「遅かったね」なんて、あや君が出迎えてくれて、俺は家に帰ってきたんだな、と実感しながら笑顔で「ただいま」といって靴を脱いだ。