やがて、静寂。
静かな寝息だけが聞こえる世界。
どれくらい時間が経っただろうか。
ドン。
パラパラ、ドン。
ヒュー……ドドン。
聞き慣れない大きな音に、有夏はゴシゴシ目をこすった。
「なに……?」
随分長い間寝てしまったらしい。
部屋の中は真っ暗だ。
「さむ……」
エアコンを一旦止める。
人の活動がない為か、室内が異様に冷えてしまっていた。
テレビの主電源とポットの保温マークに灯る明かりが、やけに眩しく眼球を刺す。
「幾ヶ瀬ぇ……?」
言ってから気付く。
奴は今日は帰ってこないのだったと。
有夏はベッドに起き上がった。
「ゲームのつづき…いや、晩ごはん……先に電気」
リモコンに手を伸ばしかけた時だ。
ドン。
先程からの轟音と共に室内がカラフルな光に照らされた。
有夏の白い顔を赤や黄、オレンジの透明な光が順番に染めては消える。
異世界にでも放り込まれたのかと、呆けた表情の有夏。
続けて響く轟音に、ようやく思い至る。
花火だ。
ベランダの扉を開け、バルコニーへ。
有夏は柵から身を乗り出した。
「はは……小っさ」
隣りのマンションと向こうのビルの隙間から、大輪の花の一部だけが見える。
そういえば今日だったか。
近くの河原で毎年行われている花火大会を、有夏は一度も見に行ったことがない。
大抵は幾ヶ瀬が仕事だし、たまたま休日にかち合って彼が行きたいと誘ってきても、熱いのが苦手な有夏はのらりくらりと躱していたのだ。
──少しだけ見えるよ。一緒に見ようよ、有夏。
こうやってバルコニーからビルの隙間を覗いて、はしゃいでいた幾ヶ瀬の様子を思い出す。
──乙女かよ。
その時はゴロゴロしながらゲームをしていたっけ。
生返事をしたあげく悪態をついた記憶がある。
その時の幾ヶ瀬と同じ体勢で花火を見ていることに気付いて、有夏は苦笑した。
「なにが一緒に見ようよだよ。ヤツは有夏の彼女かっての」
そのまま花火が終わるまで1時間程あったろうか。
有夏はバルコニーを離れなかった。
最後にパーティとばかりに何発も同時に打ち上げて、夜空は華やかに染まる。
その色が静かに闇の中に落ちていっても、彼はしばらくそこを動かない。
黒い空に光を探すかのように、じっと佇んでいる。
やがて、暗かったビルの窓にひとつひとつ白い明かりが灯りはじめた。
よろよろと部屋に戻り、しかし窓を閉める気にはならない。
夏の夜には珍しく、心地良い風が入ってくる。
花火の残り香をそこに見付けて、有夏は窓辺に座りこんだ。
灯かりをつけて、夕食をとって、それからゲームの続きをしよう──そう思うのに、電気をつける気にもならない。
腹のあたりがスウッと冷えるのを感じる。
幾ヶ瀬は今頃何をしているのだろうかと考えた時、有夏は思い至った。
何か大事なことを忘れている気がすると。
「何だっけ……」
昨日の夜から幾ヶ瀬がしつこく何事かを言っていたような。
彼の言うことは大概聞き流すクセがついているので、いつものように生返事をしたと思う。
「まぁいっか」
風が心地良い。
薄闇に包まれ、1人のベッドで有夏は目を閉じる。
静かに地面に引き込まれる感覚。
寝るならベッドに行かなきゃ。
それよりお腹がすいてきた……そんな思いもすぐに眠りの中へ消えてしまう。
幾ヶ瀬が帰ってくるのは明日だ。
顔を見たらこう言ってやろうか。
──有夏も幾ヶ瀬のことが好きだよ、と。