「動けないでしょ?」
当然の様に投げ掛けた時雨の言葉で、恐怖に引き吊る世良の表情。
その通りだった。
まるで見えない力に阻まれた様に、己の意思で指一本動かす事も出来ない。
「――っ!!」
勿論口も動かせないので、それが言葉になる事もなかった。
「俺の死海血は常人の十倍の濃度があってね。これを僅かでも他人に投与すると、あら不思議……拒絶反応から動けませ~ん」
そう時雨は愉しそうに講釈。
“なぶり殺しでもする気か!?”
当然、動けないのだから、後は煮るなり焼くなりお好きにだ。
しかし――
「で、ここからが本題なんだけど、俺は水分を自在に操れるんだよね……」
時雨の考えは、世良のそれを越えていた。
「アンタの胎内にある死海血を、その力で膨張させたらどうなると思う?」
それは想像に難くない惨状。
「――っ!!!!」
自分に訪れる末路を痛感してしまった世良は、叫び声を上げたくても上げれない。
「それはそれは汚い花火の出来上がりで~す」
時雨はその世にも恐ろしい現象を、陽気に彼へと伝えていた。
まるで死刑執行を前にした、狡猾な看守の如く。
「さあイッツ、ショータ~イム」
時雨の掛け声を皮切りに、世良の身体に目に見える異変が訪れる。
それは体積を越えた急激な膨張。まるで水風船だ。
元の身体の数倍は膨れ上がった世良は、もはや人間の表情はしていない。
膨張は尚も止まる事を知らず、目を背けそうな何かが起きようとしている。
「パチンとな」
膨張は臨界点を超え、そして――
“ブラッディ・バブルデス・クライシス ~血栓泡爆殺”
それはまるで水風船に針を突き立てたかの様な――
“パァ-ン”
筆舌にし難い破裂音と共に、世良の膨張した五体は木っ端微塵に霧散していた。
豪華な室内は一瞬にして、ペンキをぶちまけたかのように、赤飛沫に染まる。
しかし時雨自身に血痕は届いていない。
恐らく時雨の周りを包む、赤い霧状が防御膜の役割を果たしているのだろう。
「汚ねぇ花火だ事……」
遺骸の欠片さえ残らず血痕となった“モノ”に、時雨は吐き捨てる様に呟いていた。
「しかしまあ、どんな屑でも血の色だけは等しく赤いのは皮肉だな……」
それは文字通りの皮肉。
どんな善人も悪人も、血の色だけは同じだと。
彼は一瞥する事もなく振り返る。
「さて、仕事も終わった事だし、俺は琉月ちゃんのとこに報告に行くからよ。後は適当にやってくれや」
時雨のそれは報告と言うよりは、早く琉月とのプライベートに持ち込みたいだけだろう。
両手をジーンズのポケットに突っ込みながら、小走りで雫の傍らを通り抜けようとした瞬間――
「あっ! そうだった」
不意に彼は動きを止め、横目で腕組みしたままの雫を見据える。
「今回も邪魔が入ったけどよ……いつかお前とは決着(けり)はつけてやるから」
それは再戦の約束。性格こそ正反対と云えど、似た者同士だからこその、決して御互いが譲れぬ天敵同士。
「フン……何時でも来い」
二人の決着の定め。それは雫もまた同じ。
「それじゃあな。さあて琉月ちゃんと……うひゃひゃ」
たが時雨にとっては、今はそっちの方が重要の模様。
彼は雫と同じく、まるで煙の様に一瞬でこの場から姿を消していた。
この場に息づく者は、雫とジュウベエのみ。
「それにしても変な奴だけど、面白い奴でもあったな」
臭気の充満する部屋内で、ジュウベエが改めて惨状を見渡す。
「しっかし凄ぇ力だな……。お前と同じSS級なだけあるわ」
呆れを通り越して、それはむしろ感心か。
「で、どうよ幸人? 次アイツと闘ったら、勝てそうか?」
ジュウベエはそう雫の左肩より、興味津々に聞きたてる。
見立てでは二人は、ほぼ五分五分。
「……あいつがどれ程強くなろうが、最後に勝つのは俺だ」
当然雫は己の勝利を信じて疑わない。それは時雨も同じだろう。
“でも認めてはいるんだな……”
ジュウベエが真っ先に感じた事がそれ。
同じ領域にあるからこそ、その力は認めた上で自分の方が強いと信じて疑わない。
二人の過去に何があったのかジュウベエも知らなかったが、今回久々に彼の激情を見た気がした事の方が重要だった。
“十年ぶり……か?”
「もう此処に用は無い。後は本部が処理するだろう。さあ帰るぞ」
そんなジュウベエの思考を他所に、雫もまた立ち去ろうとする。
彼の介添え役の仕事も終わったのだ。
「おっ……おう! て事で帰ったら飯な?」
「まだ食う気か……」
談笑もそこそこに、二人の姿もまた煙の様に其処から消えていったのだった。
***********
ガチャリと開かれる重厚な扉。
「……あら?」
深夜の静寂にその響きは絶大だ。
「早かったですね。流石です」
扉の向こうから踏み入れてくる人物へ贈る、労いの言葉は賛辞でもある。
「ただいま琉月ちゃん」
それに応える陽気な声が、中性的も相まって何処か艶かしい。
「お帰りなさいませ。御苦労様でした」
時雨と琉月、二人の仲介室での邂逅。任務達成報告である。
「こんなの楽勝だよ。なんたって琉月ちゃんの為に、速攻片付けてきたんだもんね」
「そっ……それはどうも……」
嘘か真か、時雨のそのテンションの高さに、琉月の声は困惑の色だ。
全くもってこの時雨という男、これまでも今までも真顔になった試しが無い。
この世界に準ずる者としては、その存在は異質とも云えた。
「――て事で約束だよ。さあ行こう二人で、今すぐ!」
報告もまばらに、時雨は椅子に腰掛けたままの琉月に詰め寄っていた。
勿論彼の行動理念はその一点。即ち琉月とのプライベートのみである。
「はいはい……って?」
まるで盛りのついた犬みたいな時雨に呆れながらも、約束は約束、むしろ満更でもなさそうではあるが、琉月は時雨にある“異変”に気付いた。
「その割には珍しいですね。貴方が傷を負うなんて……」
琉月の指摘。それは時雨の右肩にある抉れたような裂傷。出血こそ止まってはいるが、破れた服からは血痕がこびり付いていた。
「ああこれね……大した事じゃないよ」
時雨も指摘に気付いたが、特に気にはしていない。
「余程の強敵がいたみたいですね」
だが琉月は気になるのだ。SS級に傷を負わせる程の事態を。
「いやいや依頼自体は楽勝だったんだけど、ちとアイツとやり合ったもんで」
時雨の発した言葉の意味。
“アイツ”
琉月はその訳に直ぐにピンときた。というより介添え役以外、その相手は有り得ない事に――
「一体何考えてるんですか!」
室内に響く突然の金切り声。普段温厚というより、機械的な琉月とは思えない。
「エリミネーター同士の殺し合いは禁止だとあれほど! 貴方はまだしも、あの人まで何考えてるんでしょう全く!」
「ちょっ! 琉月ちゃん落ち着いて! しかも俺はまだしもって酷っ……」
突然の激昂に時雨は焦りながら弁解するが、彼女は容赦無く責め立てる。
仮面で表情こそ分からないが、きっとその下は吊り上がっているに違いない。
「男の方って、どうしてこう勝手なんでしょう……」
溜め息しか出ないそれは、怒るのも疲れた模様。
「まあまあ琉月ちゃん。男には退けない時があるってもんよ」
「何を馬鹿な事を――!?」
言い訳がましい時雨の態度に、再度激昂を向ける琉月だったが、不意に言葉が詰まる。
「特にアイツとだけは……ね」
それは時雨がこれまでに無い程、真剣な表情で憂いていたように見えたからだ。
「アイツを俺は絶対に認めない。アイツが更に強くなるというのなら……俺は更に、それを超えてみせる」
それは同じSS級、特異点に在るからこそ御互い譲れぬプライドの顕れなのか。
彼等以外には、それは理解出来ない。
「……今回は大目に見ますけど、余り無茶な事はなさらぬよう」
だが琉月はその表情に、すっかり毒気を抜かれていた事は確かだ。
寧ろ口ぶりから彼等、否彼の心配さえしていた。
SS級レベル同士のぶつかり合いは、只の殺し合いには留まらない。地殻変動にまで災害級の影響を及ぼす。
心配するのは狂座としてなのか、それとも――
“個人的に?”
だが琉月の無機質な仮面の前では、それらは決して伺い知る事は出来なかった。
「それより行こうよ早くぅ」
真剣な表情は束の間、すぐに時雨はいつもの冗談混じりの陽気に戻っていた。
「…………」
琉月はおもむろに仮面に右手を添える。
「ちゃんと……良い店を用意しているんでしょうね?」
外していたのだ。これまで決して明かす事はなかった、裏から表の顔へと。
それは同時に仕事終了を意味していた。
「あ……う、うん。勿論だよ」
その姿に時雨は思わず言葉も詰まる。
意外そうというよりは――
「……どうしました? 鳩が豆鉄砲を当てられたような顔をして」
その表情の変化に、彼女は怪訝そうに問い掛けた。
約束でもあり、仕事も終わった。何もおかしい事は無い。
「いや……綺麗だよ琉月ちゃん。やっぱり勿体無いよ仮面で顔隠すの」
つまりは見惚れていたのだ。時雨とは対面なので、彼女のその表情の程を伺う事は出来ないが。
「もう……何時も貴方は調子良い事ばっかり」
「いや本当の本気だよ。でも待てよ? 琉月ちゃんが何時もそうだと、悪い虫が寄って来そうだ。やっぱ俺の前だけで」
「馬鹿……。さあ行きましょう」
あっさり受け流した感もあるが、口調から満更でもない模様。
琉月は美しいまでの黒髪を手で靡かせながら、室内を跡にしようとする。
「琉月ちゃん琉月ちゃん忘れ物!」
「えっ?」
先に行こうとする彼女に、時雨は己の左腕を指差す。
「調子に乗らない」
つまりは腕組みだという事に気付いた琉月は、戒めるように軽く時雨を叩き一蹴。
「そんなぁ!」
心底残念そうに項垂れる時雨だったが――
「もう貴方は子供ですか……。さあ行きますよ」
我儘を聞いてやった訳ではなかろう。
ちゃっかりと琉月はその腕を、己の腕を絡ませていた。
「おぉ! やっぱ琉月ちゃんは話分かるぅ」
「もう……」
どう見ても悪い雰囲気ではない。
そんな談笑の中、二人は共に仲介室を跡にしていた――
※三の罪状 “終”
~To Be Continued
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