面倒臭かったが、表に行けよと皆に言われてしまったコユキは柘植(ツゲ)の草履を履いて料亭の中庭に降りた。
ふむ、中々の趣(おもむき)だと言えるだろう。
手の入れよう(金)がパない。
流石は、御三家以外の最初の将軍職にして、クーデター政権に世を受け渡して、恥じる事ない水戸家の倅(せがれ)、慶喜(よしのぶ)ゆかりの庭園だろう。
時代劇の影響で水戸家を御三家だと勘違いするむきもあるようだが、御三家は江戸、尾張、紀州の三家であり、水戸家はそこに含まれてはいないのだ。
後世に設けられた御三卿にも当然のこと含まれない。
理由は神君家康公の遺言、『ダメ絶対!』だったとか、違うとか……
兎にも角にも幕府潰しという大任を果たした慶喜公はセカンドキャリアのスタートをここ駿府で始めたのであった。
明治以降も権力者の端っこに名を連ねて御満悦だった、かつての支配者の嫌らしい気配を感じる庭園は、先程までシトシトと振り注いでいた雨の気配が色濃く残っていたのであった。
可愛らしい顔を満面にして、彼はコユキに言った。
「あのね、コユキさん、実は、僕の家の別荘が軽井沢にあるんですけど…… もし良かったら今度行きませんか?」
「ん? 軽井沢? 長野の? んでもアンタお医者さんでしょ? 今、忙しいんじゃないの? ワクチン接種とかさ?」
コユキは空腹を我慢しながら常識的に返した、立派だ。
可愛らしい顔を満面の笑みで包みこんで彼は言った。
「ああ、そんなの気にしなくても良いんですよ! 何しろ僕は上級国民なんですからね!」
「むっ!」
コユキは思うのだった、じょ、上級? なに言ってんだコイツ?
人の命に貴賎(きせん)の差があるって言うのか? マジか? まさか『馬鹿』なのか? であった。
「……今ね、アタシがアンタを本気で殴ったとしたら…… アンタは死ぬのよ? そこに貴賎の差があるって言うの? 肉は肉よ、打ち砕かれればみんな同じなのよ? 分かる?」
彼は笑顔を浮かべて答えた。
「えぇー! コユキさんが僕を叩くの? あはは、コユキさんは本当に面白い事を言うんだねぇ! 僕ますます気に入っちゃったよぉぅ!」
コユキの腐りきったマーブルの脳漿(のうしょう)が最適解を導き出した……
こいつ、嫌だ、『馬鹿』の匂いがする! と。
コユキの嫌悪感もガッカリも感じないままに、彼は自論を展開していったのである。
「ふうぅ、でも意外だったなぁ~、実はね、僕、今日のお見合いに先んじて、コユキさんの事調べさせて貰っていたんですよぉ~、報告を聞いた範囲で勝手に想像していたんですけど、コユキさんは『ネコ』っぽい人だと思っていたんですけど、何か違うみたいですね?」
なんだと! アタシを調べたって?
んでも、なんか間違ってるっぽいわね……
そもそも、アタシはノンケ、同性愛には踏み込んでいないし、ネコ? とか言われてもタチでもネコでもない所謂(いわゆる)ノーマル属性だし……
ん! んん! ま、まさか?
BL属性の事なのか? た、確かに、そういう意味では、『ネコ』属性の『ナガチカ』イチオシだけど……
コイツ! そこまで調べ上げた上でアタシに問い掛けたって言うのか?
むぅぅ、侮(あなど)れないぞ、中々やるな、こいつってばっ!
そんな風にコユキは思っていたのである(経験)、更にコユキは思った。
んでも、アタシが一番ナガチカに傾倒(けいとう)したのって……
そうだ! 二十六話だっ!
いつになく煮え切らないカツミに対して、いつも大人しかったナガチカが豹変して、一転タチってか野獣の様な顔と万力でカツミを力尽くで蹂躙したシーン、あの場面が一番ゾクゾクしたんだったな!
そうか、そうか、私が一番好きなシチュは、そう、リヴァーシブルだっ!
ならば伝えよう、心のままに!
らしい……
「ネコじゃないわね…… アタシはね『リバ』よ、『リバ』」
「えっ? リバ、ですか?」
「そうねっ! リバ一択だわっ!」