「速水は実母の姓だ。継母は俺が篠宮と名乗るのを嫌がって、速水と名乗っている。学生時代は篠宮尊として生きてきたが、親の会社で働くと決まったあとは、社員の混乱を招かないように速水尊を名乗るよう言われた」
「そんなの、ただのいびりじゃないですか。仕事だって、本当は部長以上のポストにつく実力があるんでしょう?」
私は怒りのあまり声を震わせる。
「……ま、慣れたけどな。こんな扱いを受けるのは今に始まった事じゃない。逆に部長のポストを用意してくれた事に感謝してるぐらいだ」
「そんなの、虐待に慣れた人の言う台詞じゃないですか。もっと怒ってくださいよ。何でそんなにのんびりしてるんですか……っ。…………っ、~~~~~っ」
私はグッとこみ上げた感情に負け、ポロポロと涙を零してしまう。
「……ありがたいけど、泣く事ないだろ。……まぁ、食えよ」
「食いますよ」
私は怒ったように言い、海老を口に突っ込む。
「今は悠々自適に一人暮らしをしてるし、学生時代よりずっと自由だから、子供の頃より楽だけどな」
「……家庭の事情は分かりましたけど、今までまともにお付き合いした事がないのって……」
私の言葉を聞き、尊さんはニヤッと笑った。
「察してるだろ。〝当たり〟だよ」
「……言ってください。〝察してちゃん〟にはなりたくないので」
私は大きな溜め息をつき、グイーッと白ワインを呷った。酒がないとやってらんない。
「……好きな人ができたら、いつの間にか継母に気づかれて関係を壊された。学生時代の恋愛ならまだ良かったけど、社会人になって本気で好きになった人とも疎遠になってしまった。その繰り返しだよ」
「詳細は? 私の身にも降りかかる事だと思うので、知っておきたいです」
さらに尋ねると、尊さんは穏やかに言う。
「継母が彼女に『うちの息子が浮気してるみたいで……』って嘘をついたり、賄賂とか。彼女に金やブランド品を与えて別れさせたんだ。それでも抵抗したら、コネを使ってその子が好きな芸能人との飲み会をセッティングしたみたいだ。……ま、芸能人には負けますとも」
尊さんは薄く笑い、ワインを飲む。
「……でもそんな事をしたら、お金の無心みたいな感じで尊さんの元に戻ってきませんか? それに、全員が怜香さんの言う事を聞いた訳じゃないでしょう? ちゃんと心の底から尊さんを愛していた人だって……」
そこまで言うと、彼は皮肉げに笑う。
「女の愛情なんて薄いもんだよ。五百万円で俺を捨てた女もいたし、三千万円まで頑張った女もいたし、ブランドバッグ二十個で手を打った奴もいた。それに顔が良くて社会的地位のある〝替えの男〟を用意されたら、俺にこだわる必要もなくなるだろ?」
「…………はぁ?」
あまりに酷い話を聞いて、私は目を剥く。
「なんでそんな女と付き合ってたんですか? こんなにいい男なのに、駄目女ホイホイですか?」
そう言った途端、彼は眉を上げて笑った。
「いい男って思ってくれた?」
「馬鹿!」
私は尊さんの腕をバシッと叩き、大きな溜め息をつく。
シーフードのあとにお肉が焼かれ始めたけれど、楽しんで食べられる気がしない。
「……また今度、このお店に連れてきてください。今度は笑いながら食事を楽しみたいので」
「了解。悪かった。美味い飯で帳消しになるかと思ったけど、店にも失礼だったな」
彼が素直に謝ってくれたので、せっかくのお肉を……という話はもうしないと決めた。
私はブスッとしたまま、目の前で焼かれるお肉を見る。
(……こんな話を聞かされたぐらいで、私の気持ちは揺るがないって分からせてやりたい)
あまりにも彼が諦めた事を言うので、私はちょっとムカついている。
「……私、どれだけお金を積まれても、高価な物を買うって言われても別れませんから。見くびらないでください」
「朱里が俺を見放すなんて思ってないよ」
そう言って、尊さんはまた薄く笑う。
その表情を見た私は納得した。
今まで彼の笑い方を「皮肉っぽい」と思っていたけれど、これは染みついた癖なんだ。
彼はそういう笑い方しかできない生き方をしてきた。
心の底から喜んだり、楽しくて笑った事はないのかもしれない。
そう思うと、とても悲しくなった。
尊さんは、私が心から彼を愛すると信じていない。
信じていないくせに、私の愛を望んでいる。
――じゃあ、分からせてやろうじゃない。
コメント
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そうこなくっちゃ!!! それでこそ速見尊の唯一である上村朱里✨
かっこいいぞ朱里ちゃんっ!