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ある日を境に、
イイ人をやめた。
そしたら、周りの人が少しずつ忙しくなった。
昨日まで雑談していたあの若い子が、今日は時計を気にする。前は自然に集まっていた昼休みの席が、いつの間にか埋まらなくなる。誰も露骨に態度を変えたわけじゃない。ただ、ベテラン側に置かれた私に割かれていた時間が、きれいに削除されていっただけだ。
やめたといっても、大きな決断をしたわけじゃない。
同僚たちの前で無理に笑わない。即答しない。やっかいな部類の断りづらい頼まれごとを一度、家に持ち帰る。
それだけだ。
それまでの私は、たぶん「イイ感じ」だったのだと思う。気が利く、話を聞いてくれる、場を丸く収める。誰かが困っているとき、真っ先に名前が挙がる存在。自分でも、それなりにうまくやれている感覚はあった。
ある日家に帰って、ふと思った。
鏡の前に、メイクオフ後の青白い顔をした女が一人。
“このままでいいんだろうか?”
その日の夜は、眠れなかった……
だから最初の違和感は、こちらの気のせいだと思った。
声をかけたときの一拍の間。
「前はそんな言い方しなかったよね」と、冗談っぽく言われた。
それらが積み重なって、気づいたときには、私は“感じのいい人”ではなくなっていた。
不思議だったのは、誰も私を責めなかったことだ。代わりに、がっかりした顔をされる。期待を外された人の、静かな表情。怒られるより、ずっと効いた。
ある人は、私を見ると用件だけを話すようになった。
ある人は、「最近忙しくて」と言いながら、別の誰かと笑っていた。
そしてごく少数だけが、以前と同じ距離で話しかけてきた。天気の話とか、どうでもいい愚痴とか。役に立たない会話を、そのまま。
そこでやっと分かった。
イイ人だった私は、作り込みが足りなかったわけじゃない。
むしろ、ちょうどよく出来すぎていたのだ。
使いやすくて、文句を言わなくて、置いておくと場が安定する。
そんな部品として、私はうまくはまっていた。
うまく行ってたんだけどな。
たしかに、あの頃は。
でも今は、静かだ。
気まずさと一緒に、呼吸もしやすくなった。
残った同僚たちとランチに行ったり行かなかったり。
失ったものの数を数えるより先に、残った関係の軽さに、少しだけ救われている。