「父上」
と、外から守満《もりみつ》の声がする。
目指す守孝の屋敷が近づいて来たのだろう。
「ああ、守孝のことだ、仮病で、こもっているか、それぐらいのこと、こちらに会わぬと言うのも、頭に入れておきなさい」
守満へ、守近が返した。
確かに、あの、ほほほほ、だ。と、常春も思う。土壇場まで、公達の性分を捨てきれなかったお方、そして、もろもろ、裏で動いていたのだから、進んで、人に会うはずがない。
「しかし、守近様に、お会いにならないとなると、すべて、守孝様へ、事が、かかってしまいますが?」
「だなぁ、それでも、良いか。しかし、また、勝手な事を行いそうで。はあ、なんとか、機嫌をとって、会わなければならないのかねぇ」
「……紗奈、を、使うか、はたまた、小上臈《こじょうろう》様を、使うか。どちらかでしょう。そういえば、守孝様は、小上臈《こじょうろう》様のことを、してやられた、と、罵っておいでだった。と、なると、小上臈《こじょうろう》様を、使うのが、得策なのでしょうか?」
「守孝が、小上臈《こじょうろう》様を?」
私は、単に、橋渡し、つまり、香が入り用か、話し相手を兼ねて、探らせていたのだが……と、守近は、解せないと、言いたげだった。
「……もしや、守孝様は、本当に、内大臣様の御屋敷に、姫君がおられると、思っておられたのでは?」
「ああ、あり得るな。香を嗜まれた小上臈《こじょうろう》様は、正気は失せておられるが、対外的には、役目を果たせられる。つまり、香の力で、生気を保っていたとも言えるのだよ」
はあ……と、守近は、息をつくと、
「おそらく、願望と幻覚が混じりあい、姫君の話が生まれたのだろう。それを、内大臣様が、辻褄合わせされていたのだろうが。そして、最後まで、香に、頼ってしまった」
誰に語るわけでもなく、守近は、寂しげに語った。
きっと、守近も、小上臈《こじょうろう》の事を、案じるが故に、道を踏み外してしまったのだろう。そこへ、守恵子《もりえこ》が、絡んで来て、動くに動けない状態になった。
そこで、つい、守孝に、繋ぎを頼んでしまったのだろう。
「結局、知らぬは、守孝か。小上臈《こじょうろう》様が、正気ではないと、わかってはいたが、姫君については、信じてしまったのだろうなぁ」
「そうゆうことなのですか」
守近の呟きに、合意する声が外から流れて来た。
「守満か。物見から、烏帽子が見えておったぞ」
落ち着く守近を前に、常春は、えっと、思わず声を出した。
「ははは、やはり、鈍なところは、兄妹《きょうだい》」
と、守近は、常春を笑った。
事の真相が気になったのだろう、守満は、早々に馬を降り、牛飼い同様に、徒歩で進んだ。袖と呼ばれる、牛車《くるま》の脇に、身を寄せて、内の会話を聞いていたのだ。
「覗き窓でもある、物見から、お前の烏帽子が、ひょこひょこ揺れているのは、なぜなんだと。こちらからも、守満お前の動きが、丸見えだったのだよ」
「あー、しまった!」
守満の慌てる声がした。
「はあ、なるほど。結局は、手間が省けたということで」
常春は、守満だけが、事を知らない、これをどうすべきかと、悩んでいた。守孝と、口裏合わせの為にと、言っても、何も知らない守満が、同席するのだ。これは、どう誤魔化すかと、内心、冷や冷やしていた。
父親が、結果、裏と、手を組んでいた訳だから、それを、守満が、受け入れられるか、そこにかかっているのは、わかっていたが、どこから話せば、良いのか、常春は、迷っていた。
それが、ばれてしまった。
さて、よかったのか、悪かったのか。
守満の様子が伺えない以上、なんとも言えないが、一つ問題は片付いた。これで、守孝へも、接しやすくはなる。
とはいえ……。
「常春や、そう、眉間にシワを寄せなくとも、これは、私達、親子の問題だ。そうだろう?」
と、守近は、外にいる守満へ語りかけ、今は、守孝との口裏合わせの為に、向かっているのだからと、念を押した。
守満も、素直に、はいと、返事をする。
その様子に、ひとまずは、胸を撫で下ろした常春だったが、あっと、小さく声を上げた。
と、いうことは……。
「私達、いえ、紗奈の事も、聞かれたということですか……」
「はい!聞きました。兄上!」
やたら、元気な返事が返って来る。
これは、紗奈の婿になる、とか、言いかねないぞと、常春は、またまた、眉間にシワをよせるのだった。