「もうさ、お前怖いよ。今日絶対おかしいって。なぁ、こんなの早く埋めちゃって、早くうちまで帰ろう?」
優斗は半泣きで鼻を啜っていた。その言葉にさえ俺は、ぼんやりと頷いたと思う。
墓石に手をかけたときも同じだ。かなり力を入れなければ持てない物なのに、優斗と二人で墓石を穴に放り投げるときにも、なぜかうまく頭が働かないままだった。
ただ、台座の石を持ち上げたとき。
「わ……ッ!?」
足元がぐらつき、石にでもつまずいたかと思った。
だけどそれは。
手だ。
俺の足を掴む手が、土から生えていた。
「うわぁああっ!?」
思わず墓石を放り出し、足を何度も振ったけどなかなか離れない。
よっぽど力を入れているのか、細い指が痛いほど食い込みながら俺を地面に引っぱり、少し動かした程度ではその手はびくともしなかった。
骨に皮が貼りついたような、ミイラのような手だ。俺を引きずり込もうとしてるのか、それとも、俺の力を借りて這い出そうとしているのか──。
「陸、どうしたんだよ……って、ああ」
半狂乱で暴れる俺の足元を覗き込んだ優斗が、苦笑いで回り込んできた。
笑ってる場合じゃない。というか、こんな状態を見てよく笑えるもんだ。パニックになりつつ腹を立てていた俺だが、優斗がひょいとそれをつまみ上げたことで、頭の中は真っ白になった。
俺の足から取り外されたのは、細くもろい、ただの枯れ枝だった。
「このタイミングでこんなのが絡んできたら、そりゃ気持ち悪いよなぁ。でも腰まで抜かすのは驚きすぎだろ」
「う、うるさいなぁ!」
ニヤニヤしている優斗に反論しつつ、改めてその枯れ枝を見る。
根本は少し太いけど、普通の枝だ。いくつも分かれているせいで手に見えなくもないけど、それだけだった。
そんなものに驚いたのかと、情けないながらも一息つきかけ、ふと不安に襲われた。
優斗が簡単に取り外せるほど、あれは軽い物だったんだろうか。
俺の足首はぎっちりと握りしめられていたはずだ。なのに優斗が枝を外したとき、特に足が痛んだり、皮膚が引っぱられるような感じはしなかった。
気づいたとき、肩口が一気に冷えた気がした。
そもそもあの手はもっと、地面の深いところから引っぱっていたじゃないか。足を動かすためにかなり力を入れていたのを思い出しても、あんなに簡単に取れるとは思えない。
さっきまで俺の足を掴んでいた手は、本当にアレだったのか? 足首がじわっと痛んだ気がした。
歯の根が合わないくらい震えはじめた俺に、優斗は言葉を選びながら肩を叩く。
「……初日に変なこと頼まれたからさ、お前疲れてるんだよ。帰りは迎えに来てもらおう。悪い。来るときもそうしてもらったらよかったな」
俺の様子がおかしい理由を、優斗はもう、疲れのせいだと思い込むことにしたらしい。正直、それが当然だと思う。
だけど俺は、俺本人だ。疲れていないことくらい理解できるし、むしろ自分の行動やテンション、頭の中がはっきりとおかしくなっていることも分かりすぎている。
高揚感が治まったからか、登山口に立ったときに感じた恐怖心がまた戻ってきていた。なんでこの感覚を忘れていたのか。しかも自分から穴まで掘って、この墓石にも触れてしまったのか。本当に意味が分からなかった。
もしかしたら自分の体が、思考が。何者かに操られていたのかもと思った瞬間、なりふり構わず逃げ出したい思いに駆られた。
「あの、優斗。俺、もう──」
「うん、できるだけ早く帰ろう。でもこの墓だけでも埋めたほうがいいと思うんだ」
あとは土台だけだし、という優斗の言葉に、俺は石を直視することもできないまま何度も頷いた。戸惑ってる時間も惜しかった。幸いあの手がまた俺の足を掴んでくることもなく、墓石はすべて、土の下深くに埋まる。
その頃には二人とも、泥まみれだ。持たせてもらったペットボトルも空になっていたが、そういえば弁当を作ってもらったんだったと、ここに来て思い出した。
悲しいほど腹が減ってたけど、さすがにここで食べる気にはならない。優斗も同じだったらしく、二人ともわざと大声で笑いながら荷物をまとめ、足早に下山にかかった。
なんとか原形を留めている丸太階段に足を踏み出すと、優斗が大輔さんに電話をかけ始めた。二人とも疲れて下山するのが精一杯だと笑って話す優斗の声に、ほっとする。下山する頃には着いているという迎えに、期待が膨らんだ。
後ろを確認したい気持ちも湧き上がったけど、それこそがなにか悪いものの誘惑にも思えて、何度も考え直した。振り返った瞬間なにもない空中から、あの手が煙のように現れて、俺の頭に掴みかかるんじゃないかと思えたからだ。
あの墓が。墓を埋めたあの穴が。怖くてたまらなかった。
恐怖心を必死に抑えつけて下山した俺は、迎えの車を目にしてついに緊張の糸が切れたらしい。たった五メートル程度の距離も歩けず、へなへなとその場に座り込んでしまった俺を、大輔さんと優斗が慌てて後部座席に連れて行ってくれた。
泥で座席を汚してしまう申し訳なさを感じながら、放心状態で車に揺られていた俺は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。夕方六時をすぎてようやく夕やけの気配が漂い始めた空がきれいで、もう少しで寝てしまうところだったと思う。
窓に大きな虫が止まった。腹側からしか見えないが、たぶんミヤマクワガタのメス。
確かにこれだけ自然豊かなら、昆虫採集には苦労しなさそうだなんて考えた時だ。
目の前でそれが潰された。一瞬なにかの重さに耐えるように、六本の足に力が入ったのすら見えたんだ。
潰れたんじゃなく、明らかに何者かによって、潰された。
──石がぶつかったような衝撃も、音もしなかった。
ただ見えない誰かの手の平で潰されたように、体液をまき散らして平らになった残骸。それがピロピロと風にはためきながら、俺の目の前に貼りついていた。