『承知致しました。では主人はレベル1の召喚士として、このチュートリアル空間より解放させて頂きますね』
“名も無き本”がそう告げた途端、パキンッと鈍い音が微かに聞こえ、一気に焔の感知出来る世界が広がった。 だが、相変わらず己達以外にこの周辺には生き物の気配は無い。ただ広大な森の奥深くに自分達が投げ出されていた事が何となくわかる。そしてこの世界は元の世界の様には丸くなく、平面的に感じた。どこまでも延々と空や大地が広がっている様な力強さも感じられず、どこか閉鎖的な感覚が焔を襲う。
「……本当にゲームっぽい世界だな」
『はい。ゲーム世界なのだと思って行動なさって下さい。全てが“とある者”が発案したゲームの企画書を参考に創世された世界なので。様々なものが数値で管理されており、ワタクシに指示して頂ければ少し設定を弄って、個々の頭上にレベル表示も出来ますよ。なんと、それぞれの地域をイメージした音楽だって流せます』
「音楽はどうでもいいとして、レベル表記なんかしたら、街とかだとすごく邪魔そうだな」
『同感です。ワタクシもまだ見た事は無いのですが、想像に容易いですよね』
「じゃあ、空を飛んだりは——」
いつもの様にトンッと地面を蹴っても、浮き上がる事が出来ない。その事が腹立たしく、焔はチッと舌打ちをして芝生を蹴った。
『申し訳ありません。召喚士には、空を飛ぶ能力がそもそもありませんので』
「それもそうか。……ま、まさか、此処では完全に俺の力は封印されているのか?」
『大丈夫です!それはほとんどありません。移動系の制限は多分、世界の狭さを誤魔化す為みたいな、ゲーム的あるあるなものではないかと推察しています。もしくは単純に、スタート時なのでとか、そんな理由かもしれませんが』
「半端に知識があるんだな、お前は」
『オウガノミコト様から頂けたわずかな知識量ですので、正直、主人に満足して頂ける程お役に立てるかどうか……』
「俺も境内で遊んでいた子供達の会話から推察する程度で、ゲームなんかよく知らんからな。俺よりは興味を持っていたアイツ程度にでも知識があれば、まぁ全く無いよりはマシだろう」
『ありがとうございます。お役に立てるよう努力致します』と言って、“名も無き本”が頭を下げるみたいに動いた。
「さて、じゃあまずは人里でも目指すか。このままじゃ何から手を着けていいのかもわからんしな」
匂いをくんっと嗅ぎ、焔が行き先の方角を決めてさっさと歩き出す。
“名も無き本”を開けば周辺の地図なんかも多少はわかるのだが、それを伝える前に彼はまず、別の提案をする事にした。
『ところで主人。村や町を目指すのは賛成なのですが、それよりも先にするべき事があると思うのです』
「……する事?えっと、経験値稼ぎの為の狩りか?それとも周辺のアイテムでも漁るとか」
だが周辺には生き物の気配が無いので、手始めに何かを倒すのは無理そうだ。やれてもアイテム集めだろうが、それは面倒だなと正直思う。
『……主人よ。貴方の職業は、何ですか?』
「召喚士、だな」
『召喚士は、魔物などを召喚してナンボの職業では?』
「……」
『……』
歩きつつ、無言のまま二人が顔的なものを見合わせる。
『そのご様子ですと、忘れておりましたね?もしくは、そもそも知らなかったですとか』
「かろうじて知ってはいる。が、完全に忘れていた」と言って、焔は力強く頷いた。キッパリと告げる声は清々しさを感じるレベルだ。
『ワタクシ、召喚の為の魔導書の役目も兼ねておりますので、一緒に最初の魔物を呼び出しましょうか』
歩みを止め、「何が呼べるんだ?」と焔が訊く。
『そうですね……このままではレベル1ですし、スライムですとか魔狼の類が関の山ではないかと』
「まぁ、それで十分だな。何もいないよりはいい」
『本当によいのですか?主人のリアルでの経験から得られている未振替分の経験値がたっぷりございますので、余剰数値を割り振りして一気にレベルアップし、イフリート級の精霊やドラゴンなどを呼び出す事も可能かと思いますが』
経験値が貯まっていても、勝手にレベルが上がっていくタイプの仕様では無い様だ。得られた経験値を割り振りし、自分でレベルアップの作業をしないといけないので“名も無き本”は一応そう提案してみた。
「いやいやいや、最初からそんなにごつい名前の奴らをか?それはつまらないだろ」
『確かに、それはありますね』
「早く元の世界に帰りたいのは確かだが、だからって手順をすっ飛ばすのは無粋ってものだからな。それに強大な力で色々ズルをすると、帰る手段への答えを見過ごす場合がある。お前が帰る方法を知っているなら話は別だが、どうせ知らないんだろう?」
『お察し頂きありがとうございます。帰る方法に関しては本当に何も知らされていないのですが、もし知っていても、きっと発言に制限がかかっていたでしょうね』
「だろうな」と短く答え、焔が頷いてみせた。
「さてと、じゃあ“召喚士”らしく使役する者を呼び出してみようか」
『承知致しました、我が主人よ』
頭を下げるみたいに“名も無き本”が動く。 焔の視線くらいの高さに浮いていたその身を開き、丸い形をした魔法陣と召喚の為の呪文が描かれたページまでパラッと己を捲った。
『では、召喚を開始致します。ワタクシの体に向かい、手をかざして頂けますか?主人』
「こうか?」と、真っ直ぐに腕を伸ばして“名も無き本”に手をかざす。するとその動きに反応して、洋書は強い光を放ち始めた。 赤みの強い光はだんだんと大きくなり、平たい円を空中に描く。風がどこからともなく吹き始め、その風が今度は円の中に焔の見知らぬ文字を描き始めた。
「……綺麗、だな」
自分を中心としていた召喚陣は完成度があがっていくにつれ、上空へと徐々に浮いていく。力強く、赤く光るその召喚陣は、小さな光を無数に放ち始め、まるで河原を舞う蛍の様に美しいなと焔は思った。
異国風のメロディーまでが彼の耳の中で微かに聴こえる気がする。聞きかじった程度の知識しかなかろうとも、これまたゲーム的な演出だなと彼は感じた。
『来ますよ!ちょっと避けましょうか』
「あぁ、そうだな」
召喚陣の真下から少し離れ、何が出てくるのかジッと待つ。初めての召喚という事もあって、焔の胸が珍しくドキドキと高鳴っていった。
(何が来るか)
狐や狸系とは縁深いが、苦手でもあるので出来れば来ないでもらいたい。移動手段としても使えそうな大型の魔狼系であると助かるが、何せ初めての召喚なのだし、そう都合よく希望通りにはいかないだろう。
パンッと鈍い音が鳴ったと同時に、上空を覆っていた召喚陣が弾けて消える。それと同時に何やら真っ黒い物体がドスンッと地面まで真っ直ぐに落下してきて、二人は我が目を疑った。
「……おい。着地も出来ないヤツとか、大丈夫なのか?」
『それを言ったら、主人だって同じ様にワタクシの目の前に現れたのでどっこいですよ』
「本当か?ならば証拠隠滅しないといけないな、それは」
『スミマセン、ソンナジジツハアリマセンデシタ』と、“名も無き本”は片言で事実を即座に否定した。
そっと近づき、落下物の側に焔がしゃがむ。 頭から足の先まで真っ黒なこの物体には大きな巻き角が生えていて、今は軽く丸まっているが、図体はとても大きそうだ。髪は長く、立派な服を着ているので二足歩行タイプの存在である事が見て取れた。体の輪郭的にも多分コイツは人型だろうと焔が推測する。
『……何者でしょうか?』
「お前にもわからないのか?」
体を閉じ、“名も無き本”も焔の側に寄り添って様子を伺う。
『ある程度の魔物の知識はあるのですが、この様に、この者のページは情報がロックされていて文字が一切書かれていないのです』と言って、その身を再び開く。“名も無き本”の言う通り、召喚対象となった者のページは、この者の後ろ姿を描き写したであろう美しい立ち絵くらいで、説明書きがされているはずの部分は全て鍵マークが描かれているだけだった。
「……何者だ?コレは」
『や、だから、ソレはワタクシに訊かれても……』
顔っぽいモノをお互いに見合わせ、首を傾げる。ひとまずコイツの顔を拝んで見ようかと思った焔が転がる物体の正面側に回った。
「……どう見ても、スライムや魔狼クラスの召喚魔じゃないと思うのは、俺だけか?」
『いえ……。ワタクシも激しく同意致します』
二メートル弱はあろう巨体をした、真っ黒い服を着込んだ物体の顔はとても綺麗で中性的なものだが、どうやら男性っぽい。耳は軽く尖っており、その上から生える巻き角は随分と大きい。肌は健康的な褐色をしており、転がる手から生える爪は長くて鋭い。軽く開いた口の端からは少しだけ八重歯がのぞいて見える。黒髪は腰までと長く、さらりとしてよく手入れがされている事が窺い知れた。
「……や、待て。コレは流石に、何かの間違いじゃないのか?」
『ワ、ワタクシもそう思えてきました』
そう言う“名も無き本”の声が震えている。 焔はそこまで動揺はしていないものの、この正体不明の存在はレベル1の召喚士である者が呼び出していい者では無い事だけは確信出来た。
「コイツを返して、またやり直すか?」
『それは出来ません。今の主人はMPが枯渇状態です』
「……MPって、何だ?」
『世に言う、マジックポイントというやつです。魔法を使う、召喚をおこなう時などに必要な魔力の事を指します。主人は今レベル1なので、この召喚で全てのMPを使い果たしてしまいました。回復をする為には薬での回復か宿屋などで休む必要があります。ちなみに、魔力を回復する類の薬は、此処からは随分と離れた街まで行かねば売っていない事を、最初にお伝えしておきますね』
「ご丁寧にどうも」
『いえいえ』と、“名も無き本”が頭を下げるみたいに動いた。
「でも、コレを返すくらいは……」
『それくらいは少しの休憩を挟めば出来るかもしれませんが……。思うにコレは、もしかして、激レアな魔物の召喚に成功したのでは?』
「……レベル1でか?」
『固有スキルというものが個々にはあります。主人のモノはえっと……“激運”を固有スキルとしてお持ちですね』
それを聞き、焔がそっと額を押さえる。…… 思い当たる事しかない。運のパラメーターだけはいじらずとも既に上限まで達しており、ついでに自分が元来から持ち合わせている力が此処で今勝手に発動したのなら、コレは難なく起こる現象だったなと今更気が付いた。
「もしやり直しても、またコレが来る気がする」
『ワタクシもそう思います』
二人は同意し合い、「じゃあ、まずはコイツを起こすか」『そうですね』と決めた。そうとなれば、もうやる事は一つだと言わんばかりに“名も無き本”は自分を横向きにし、焔は当然の様にその洋書の体を掴んで、これでもかと腕を振り上げた。
『いっけぇぇぇぇ!』
同じノリで叫び、“名も無き本”は心の中で意味も無く歯を食いしばる真似をする。今日、数十分前に会ったばかりの二人なのに、もうすっかり意気投合した様だ。
高らかに上げた腕を、辞書並みに分厚い洋書と共に勢いよく振り下ろす。
(あれ?そういえば、“鬼”であられる主人が本気で振り下げた攻撃を受ければ、この者の頭が砕けるのでは?)
“名も無き本”がそう思った時にはもう既に遅く、あと数センチで接触する寸前だった。マズイ!と思ってはいても、ガッシリ両手で掴まれていては抜け出す事など不可能だ。下手をすれば我が身すら危ういのでは?といった不安も加算される。時を止める魔法でも使えれば良いのだが、そんなスキルを与えてなどはもらえておらず、ただただ流れに任せるしか出来ない現状を“名も無き本”は今更後悔した。
——が、もう絶対にぶつかる!というタイミングで、運良く召喚対象となった者が意識を取り戻した。
そして、自分に迫ってきている分厚い物体の存在にも即座に気が付き、サッと手を前に出し、顔面に迫ってきていた“名も無き本”を平手で受け止める。
殺す気か?と疑いたくなるくらいの速度で洋書を振り下ろした影響で召喚対象者の体がグッと下へ沈み、激しく地面がへこむ。だが、それ程の力が加わったにも関わらず、彼は怪我一つ無いまま焔の方を睨みつけたのだった。
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