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◻︎愛菜の打ち明け話
「ごめんなさい、課長じゃありません」
涙を流しながら愛菜が打ち明けようとしている。
「それはわかってるけど。うーん、この際、相手は誰だか後回しにしようか?」
私は当然だと思い、そう言った。
「ちょっと待ってください、この書類にはお宅のご主人のサインがあるんですよ」
「どうせ、サインしただけですよ、ね?そうでしょ?」
「あたり!さすが美和ちゃん」
「うちの人、たまにこういうことやらかすんですよ。困ってる人の相談に乗って、うっかりクビを突っ込んじゃって巻き込まれるという…」
仕方ないなぁと夫を見る。
「悩んでいるように見えたからさ、話を聞いた。そして産むことはできないから、病院に行きたいからついてきて欲しいと言われて。で、その書類にサインしてしまったけど。軽率だったなと反省」
「そうだね、簡単にそんなものにサインなんかするんじゃないの!命がかかった大事なことなのよ」
「ですね、今後気をつけます」
そして愛菜に話しかける。
「あなたは、どうしたい?どうするの?」
「…どうすればいいのか…」
そう言いながらお母さんの顔を見る愛菜。
「相手は誰なの?どうするかは決まってるでしょ?責任をとってもらわないと!」
「……」
お母さんは、さっきまでよりいくらかは落ち着いて見えるけど、愛菜は答えない。
「どうしても話したくないみたいです。相手には妊娠のことは話してないんだよね?」
「…」
夫の問いかけにも黙ったまま頷く。
「わかった。とにかく、愛菜さんがどうしたいのかを、話して欲しい」
「産みたいです」
「そんな、どこの誰の子かもわからないのに、認められるわけがないでしょ!!」
真っ赤な顔をして怒り出すお母さん。
「認めるって、何を?お母さんは“早く孫の顔が見たい”ってずっと言ってたじゃない?それが叶うのになんで?」
「ちょっと待って!お母さんが言いたいこともわかる、私にも娘がいるからね。でも愛菜さんの気持ちもわかる気がする。お母さんが心配してるのは、後々のことですか?生活していくことが心配だと?」
「それもありますけど。一人で子どもを育てていくのは並大抵のことじゃないですよ、それをこの子は分かってないから。私がこの子を育てるのにどれだけの我慢をしたか…」
「それは、お母さんがお父さんとのことを我慢したってことでしょ?そんなふうに言うなら、離婚すればよかったのに。両親が揃っていてもずっと不満ばかり聞かされていたら、幸せだとは思えないよ」
「ま、愛菜!あなたって子は!」
落ち着いて!と夫がお母さんをなだめる。
「夫婦揃っていても、どちらかに問題があったりしたら、子育てにも影響しますよ。それは娘さんの覚悟次第じゃないですか?」
「妊娠がわかったとき、最初は産めないと思った。だって、父親のいない子になってしまうから。でも、ここに新しい命があると思ったら…その命を私が奪ってしまうと思ったら震えてきて。だって、それじゃ殺人になってしまう…。この子は何も悪いことしてないのに。私の中で私だけを頼りにしてるのに、そんな酷いこと、できない」
「じゃあ、どうして、そうなることをしたの?」
「…とても好きな人がいて、私からお願いした、一度でいいからと」
「あなたって子は!いい歳してなんて軽率なことを!」
「いい歳だからよ!その人より好きな人なんてあらわれないし、このままあっという間に歳をとって子どもも産めなくなるかもしれない。そしたら結婚なんてできない」
「でも、大変よ。シングルマザーは」
それは私にも経験ないから、想像だけど。
「覚悟はしてるつもりです。どんなにつらくてもこの子のためなら、頑張れます。だから、お願い、お母さん、産ませて、お願いだから…」
涙の懇願だ。
「覚悟して、言っているのね?」
「はい」
「私たちも手助けできないかもしれないわよ」
「はい」
「じゃあ、お父さんに話さないとね。でも、私よりも頑固よ、あの人は」
「わかってます」
「何があっても、その子を守りなさい」
「はい」
_____うーんと、あれ?話はまとまった?
私は夫と目で話した。
「じゃあ、結論は出たということで。ところで仕事はどうするの?」
「うちは育児休暇も取れるけど、周りの目は大丈夫かな?」
上司としての夫の発言だ。
「大丈夫です、この子のためにも働かないといけないので」
「仕方ないので、私も育児を手伝いますからよろしくお願いします」
お母さんも頭を下げた。
「じゃあ、体調がすぐれなかったりしたら無理はしないこと、それから仕事で迷惑をかけるかもしれない人には、早めに打ち明けて相談しておくように。仕事は仕事としてきちんとやってもらうからね」
「わかりました」
「では、そういうことで。これで失礼します。お騒がせして申し訳ありませんでした」
お母さんが謝罪の意味で深く頭を下げた。
「いえいえ、心配ですよね、母親としては」
「えぇ、親にとって子どもはいくつになっても子どもですから」
親子で並んで帰って行った。
これから家で、頑固だというお父さんに打ち明けるのだろう。
「ねぇ、愛菜あさんの相手に、本当に心当たりはないの?会社の人とか」
「ないこともない、でも、あの子が頑なに打ち明けてくれないし、相手に伝えたくないようだからそっとしとくよ。まぁ、何かあったら俺がなんとかするよ」
「もう、おかしな書類にサインしたりしないでね」
「はい。かしこまりました!」
_____これから出産して育児かぁ、そしてシングルマザーとして生きてく
私にはとうてい真似できないことだと思った。
_____そこまで好きになった人って、いなかったかも?
テレビを見ている夫の横顔を見た。
好きでたまらなくて結婚したわけじゃなく、一緒にいてラクだから結婚した…ような気がした。
それはそれで私たちの夫婦の形かもね。