「へーえ。やっぱ餃子屋さんが多いんだね……さっすが宇都宮」
手を繋ぐ広坂と、通りを練り歩く。「せっかく来たんですから、お昼、食べてきましょう……」
「えーでも。ご挨拶に来るのに、餃子臭い息吐かれたらどうよって思われない?」
「そこはもう、ミンティアがありますので」
「用意がいいね」
「宇都宮の民の必須アイテムです」誇らしげに言い、彼女は広坂を促し、行列に並ぶ。
6月15日、土曜日。同棲生活開始から約一週間。彼女の実家の家族に挨拶するために、連れ立って宇都宮を訪れたふたりである。
食の好みというものは大事である。あまりにも違い過ぎると結婚生活はうまくいかない。幸いにして、彼女と広坂の好みは驚くほど一致し――ふたりとも、焼肉もビールも餃子も大好きである――山崎への荷物を発送したのちに、昼過ぎに宇都宮に到着して餃子を食べてから行こうという話でまとまった。日曜になると更に混むからと、土曜日のほうがいいと彼女は提案した。
店は、普通の餃子店。駅から見える混雑っぷりである。この時間にも関わらず、五十人以上は並んでいるとみた。ようやくして店に通されるとメニューを見て広坂が驚いた。「うほっ、……見事なほどに餃子オンリーだ」きーみが、きみが、とおどけた調子でTOKIOの歌を歌いだす。
サイドメニューのなさに、観光客は大概驚く。そんな反応に慣れっこの彼女は、広坂の美声を聴きながら、「でもそのぶん、気絶しそうなくらいに、美味しいですよ。ね、譲さん。強炭酸水と、焼き餃子と水餃子、行ってみましょう」
オーダーを通すと十分ほどで料理が届く。「わ! 美味そー!」すかさずスマホで写真を撮る広坂に笑みがこぼれる。彼は、彼女の反応が愛おしいと言うが、彼女にとって広坂の反応こそいちいち――愛おしい。彼のことが可愛くてたまらない。
「さーて。お待たせしました。いっただきまーす!」
「……いただきます」先ずは、定番の焼き餃子から。
かりっ。
ほくっ。
噛みしめた瞬間、肉汁があふれる。じゅわぁああ……! 旨味を逃さんとばかりにごくり。あっという間に旨味が消え去り、その消えた旨味を補完しようとオートマティックに補充する。手が、止まらない。これはいったいどういうトランス。地元民である彼女でさえそうなのだから、広坂はどうなのか。しかしながら彼女は確かめる余裕すらない。久々に味わう故郷の味に、屈服させられながら必死に箸を運び続ける。五分で焼き餃子の皿が空になった。
「うぁあ……なんじゃこりゃー」
平らなお腹を押さえ、興奮を伝え来る広坂に、彼女はくすくす笑った。「……美味しかったですね。次、水餃子行きましょうか……」
「うん」
これまた――美味い。皮がもっちもちで、なかのお肉がジューシーで。官能的に、彼女の口内を、責め立てる。何故か、広坂のキスを連想した。お口のなかをあまやかに舐めあげるあのリズム。あのキスをされるだけでいつも彼女はとろけそうになる。実際、からだが重くベッドに沈みそうなくらいに、酔わされてしまう。あの熱くてあまい――舌に。
その張本人である美青年広坂は、静かに咀嚼する。食べ方のきれいなひとだな、と彼女は思う。食べ方のきれいな男は大概女をきれいに愛す。食べっぷりがいいのだ。その共通点に気づいた彼女はひとり、赤面する。
「……ん? どったの?」
「いいえ……」頬を赤くした彼女は首を振った。「その、……楽しいなと思って。あなたといると……」
「昨日は、いつになく、激しかったもんね?」
たまたま、店内のおしゃべりが途絶えたタイミングで、周囲の注目が集まった。どわははは、と近くのサラリーマン集団が笑った。「そらいいね。あんたたち、べっぴんさんとイケメンさんで、お似合いだ。結婚してんの?」
「いえ、これからで……」
「そっかそっかぁ。末永く、お幸せにねー」
親切なサラリーマン集団にも礼を言い、店を出た。おなかいっぱい、こころもいっぱい。満たされると人間のこころは満たされる。幸せを感じながら、また広坂と手を繋いだ。
あっ、夏妃おねえちゃんだー!
「おかえりー。夏妃おねえちゃーん。みんな待ってたよー!」
幼稚園のような作りの高く大きな建物、そして夏妃の人気ぶりに、広坂は驚いた。いつこの家が建築されたかまでは分からないが、仕事のために改築したか、或いは最初からこのような家だったか……いやそれは考えられない、と広坂は頭の中で結論を弾き出す。夏妃の両親の代から始めた仕事だ。彼らは、フリースクールと子どもの預かりを受け持っていると聞く。門扉に次々、子どもたちが集まってくる。開くとわーっ、と皆が夏妃に抱きついた。「夏妃おねえちゃーん! おかえりー! 会いたかったぁー!」……何人いるのだろう、と広坂は思う。二十人はかたい。学年は、小学生から高校生まで。皆がみな、夏妃をハグする。ちょっと生意気な感じの少年が「細田。おかえり」などと言えばご丁寧にもバッグから赤いウィッグを取り出して装着し、きりっとした顔つきで、「あたしのことを苗字で呼ぶな。あたしのことを苗字で呼ぶのは敵だけだ」……なるほど。なにしに使うのかと思っていたらそのためか。それにしても西尾維新はこの世代にも大人気なのか。子どもたちから歓声があがり、またやってーとせがまれる。
リクエストに応じているうちに、両親らしき夫婦が顔を見せ、夏妃はウィッグを外し、挨拶をした。「お父さんお母さん、こちらが、広坂譲さん。えーっとわたしより七歳年上で……見えないでしょう? 同じ会社で働いている課長さんで、やさしくて、みんなに慕われている素敵なひとなの」
そこまで言われてしまってはこっちが照れてしまう。しかしながら照れを押し隠し、広坂は手を差し出す。「広坂です。お世話になります。お嬢さんのことは必ず――幸せにします」
「まあ、うちの子にこぉんな素敵なひとが……」母親は広坂の美形っぷりに当てられた模様だ。「お母さんが結婚したいくらいですわ。こぉんなイケメンさんだったら……」
「こらこら」
子どもたちはみな、彼らの挙動を見守っている。警戒心のやや強いと思われる辺り、聞いていたことは本当だったようだ。学校に適応出来ない子どももいれば、ひどいいじめに遭った子もいるときく。昨晩、夏妃からその話を聞き出したときには、胸が痛んだ。――また。
子どもを預かり育てる、善意の塊のような夏妃の両親に、偏見を持つ人間がいるということに――。
「お邪魔します」
「せっかくですんで、いろいろ見てってください」と夏妃の母が頭を下げる。「さぁさ。散らかっておりますけどどうぞ」
入ると――天井が高いのに気づく。表玄関から入ると迎えるはフリースクールのスペース。白い壁や天井を埋め尽くすかのように、ところ狭しと、子どもたちの絵が貼られている。絵は、誰かからなにかを強制されて描かれたものではなく――それは見ればわかる――青い山を描いたもの、赤い空を描いたもの、なかには餃子も……。これには、笑ってしまった。それから、自分たちや家族を描いたものも。中を進み、子どもたちの荷物の入ったロッカー、勉強机、図書スペースを眺めるうちに、ああここは学校なんだなと――実感する。広坂自身は、ひどいいじめに遭った経験はないが、もし、あの頃、こういう場所があれば救われた子たちのもいるのでは――と思う。彼が子どもの頃は、不登校に対する認識が低かった。
奥へ進むと、ここからは細田家の住居のようだ。茶色い木の壁に畳の茶の間にちゃぶ台。懐かしい昭和のノスタルジーが出迎える。そこに、夏妃の祖母らしき女性が座っていた。
「あらあら、お父さん、今日は早かったのね」その女性は広坂に話しかけていた。「さぁさ。座って座って。疲れているでしょう」
「あはい」認知症の気があり、近いうちに病院で診てもらうと聞いている。広坂は調子を合わせ、夏妃の祖母の隣に座った。見た感じ、しっかりした女性なのだが……広坂の母親よりは年上だが。年相応に、シミや皺が目立つ。患った人に特有の、焦点の合わない目で笑い、「お父さんたら。まぁたかっこよくなっちゃって。今度はいつ、帰ってくるんです? お父さんがいないとあたしは、寂しくて寂しくて……」
「さ。おばあちゃん、お昼寝の時間ですよ」
夏妃の母が声をかけるのだが、「いやだいやだ!」と祖母がごねる。「せっかく、お父さんが帰ってきたんですもの。なんでみんな、あたしからお父さんを奪おうとするの。ひどいひとたちだね……お父さん、今度はいつ帰ってくるかなんて、分からないのに……」
「お昼寝をするようでしたらお見送りしますよ」
「あらほんと?」ぱっ、と祖母が顔を輝かす。すみませんねえ、と夏妃の母が目で詫びていた。
広坂は調子を合わせ、なるだけ夏妃の祖母を刺激しないように、彼女が眠るまで、ついていた。
戻ってくると、夏妃の父と夏妃が会話をしているところだった。
「どうも、ご面倒をおかけしました」立ち上がって礼をする夏妃の父に、広坂は恐縮した。「いえとんでもない。ぼくが来たことで変に刺激してしまったようで、申し訳ないです」
「やーとんでもない」夏妃の母に合わせ、広坂もちゃぶ台の前に座る。「おばあちゃん、波があるから……元気なときもあるけど、ふさぎ込むときもあるから大変で……ああやって元気でいられるほうが、こっちは助かるの……。そろそろ本気で施設とか考えたほうがいいかもしれないわね。子どもたちの様子も心配だし……」
施設と居間を繋ぐドアには閂の鍵がかけられている。簡単に開かないように。祖母対策であろう。
「それで。結婚のことでしたな……」夏妃の父が口火を切る。「契約結婚とは、いったい、どういう……」
正直に話そうと提案したのは、広坂だった。至極丁寧に説明したつもりだったが、やはり、夏妃の父親が渋い顔をした。「それはまあ、ふたりで決めたことなら、わたしらにはどうこう言う権利はありませんが、ただ、夏妃が後悔しないか。それだけがわたしたちは心配です」
「わたしたちうまく行ってるの。本当よ。大好きなの」
「それでもほら、子どものこととか……」夏妃の母親が口を出す。「夏妃。あんただって三十二なんだし、子ども考えるならそろそろちゃんとしないと……」
「まあそうなんだけど。もし出来なかったら、養子とか、或いはふたりきりで過ごすとか、夫婦のかたちはいろいろあるんじゃない?」
「そうだけど、夏妃……」
「わたし、どうしてお母さんがそんなに不安がっているのか分からない。だってお母さんだってわたしを――養子にしたでしょう?」
「夏妃、あんた……」
「全部話したの。だって、譲さんには、すべてを知っていて欲しかったから……」
広坂は昨夜聞いた。夏妃の母親は、子どもの出来ないからだだ。であるから、三人の孤児を引き取った。夏妃には姉と弟がいるのだが、皆、血の繋がりはない。姉は実家近くに結婚して住んでおり、弟は外国でサッカーをしているそうだ。姉は子どもたちの部活の送迎があり、来られないらしいが。
日本では、養子に対する偏見が強いことを、夏妃は嘆いていた。差別されることが多く、なにかと「貰いっ子」とそしられる。また、夏妃の両親が、学校へ行けなくなった子どもたちの世話をすることも偏見に拍車をかけた。浮いている、という表現が適切だと夏妃は語る。――不思議ね、譲さん……。うちの両親、なぁんにも悪いことなんかしてないのに、世間様からはまーたあのうちが変なことしてる、って目で見られるの……。
夏妃が地元を離れたのも、無理からぬ話かもしれない。地元だと、貰い子なのがバレるから、どこか誰もわたしを知らないところへ行きたかったの、と彼女は語った。
『……普通にね、こっちで友達出来て話したりなんかしてると、みんな当たり前にきょうだいがいるのね。子どもが出来ることも、血のつながりがあることも、当たり前で……親子なんか見てるとみぃんな顔そっくりじゃない。ああおまえもか。ユダかよって……自虐的に突っ込む自分自身を発見したりして……』
「夏妃という名前が、わたしを育てられなかった中学生の母親、椿妃から一字を取ったことも知っている。でもね、お母さん。血のつながりが、すべてじゃないの。事実、お父さんとお母さんは、本当の父親と母親のように接してくれたから……感謝しています」
「そんな他人行儀な言い方およしなさいよ」涙を拭う夏妃の母。「あなたは……夏妃。あなたたちは、わたしたちの大切な子どもなんだから……親にとって子どもはいつまで経っても子どもなのよ。だからね、夏妃……。
あなたの決めたことなら、お父さんお母さんは反対しないわ。でもね、夏妃。自分が、出来るだけ幸せになれる道を選んでちょうだい」
「……難しいもんだよな」
ぽつり。
客間にて並んで眠る広坂が天井を見上げながら呟く。「仲がいい夫婦なのに、子どもを授からない場合もあるし、一方で、望まない妊娠をする女性もいる。日本における人工妊娠中絶の件数は年間18万件、一日当たり500人が殺されている計算だ。罪もない命が、あたたかな母親の胎内以外の世界を知る前に奪われている。
血のつながりがすべてじゃないのは、頭では分かっていても、いざ、自分が、自分の家族が養子を引き取るとなると……どうだろうな。自分たちがどうこういう以前に、日本だと、差別意識が強いから、難しい面が、あるのかもしれないな……他人の偏見は、どうすることも出来ないからな」
「……本当に」からだを傾けた彼女は、「ねえ、そっちに行っていい?」
普段は前向きな発言をする広坂が、珍しくも弱気になっている。励ましてやりたくなった。それに、彼のぬくもりも恋しかった。宅にいるときはくっついてばかりいるから。
「おいで」
薄闇の中で広坂の怜悧な瞳が光った。――やっと、触れられる……。ほんの数時間、触れずにいただけなのに、もうどうしようもないほどに、広坂が恋しかった。
「子どもとか、欲しいと、思っている……?」
「年が年だから、出来ればな」と彼女を抱き寄せると広坂。「でも、妊娠出産で負担がかかるのは女性のほうだ。ふたりでも仲良くやっていけてる夫婦もいる。だからな、これから生活するうちに、考えていきたいと、思っている……」
「――わたし、広坂さんとの子ども、欲しいな」
「……どうして?」
「好きだから」
「おれもだよ、夏妃……」やわらかく、すりすりと夏妃の背を撫でる広坂の手。それだけで激しく、夏妃は欲情してしまう。「だめ、気持ちよく、しない、で……」
「むらむらしちゃうな」彼女の髪に顔を埋める広坂。「きみが『あんなこと』を言うから。ここがきみの実家じゃなかったらきみのことを思い切り乱してやって、それで、存分に膣内射精するんだ。んで、何度も何度も狂わしてきみのことを、全身、精液と愛液まみれにする。恍惚としたきみはおれのペニスをしゃぶり、ああ譲さんのこれ大好き、とか言いながらアヘ顔を晒すんだ。可愛い可愛いきみの顔をね」
「……やめて、譲さん、興奮しちゃう……」
「ぼくも」
頬を挟み込まれ、ありったけの愛を与えられる。それだけで満足だった。
「おやすみ」と広坂。「いつか、お互いの妄想を完全に実現できる日を信じて、今夜は、修行僧のように禁欲して寝よう。……おやすみ」
広坂の高ぶりは伝わっていたが、それを押し殺す理性を共有しつつ、彼女は広坂の腕のなかで眠った。
翌日は宇都宮を散策し、東京駅周辺も見て回ってから帰宅した。
「ああ……うちの空気っていいなあ……落ち着く」ほんの二日間離れていただけなのに、もうこの家の空気が恋しい。広坂宅は、自分にとって、もうホームなのだと思う。
「不思議だねえ。そんなこと言ったって、あそこがきみの実家なんじゃないかい」
「でも、……ここが、一番、落ち着くんです。……不思議ですね。一週間ちょっとしかいないのに……向こうだとトイレとか洗面所とかお風呂の作りが違くって、いちいち戸惑ったりして……小さい頃は高く感じられたドアノブが、むっちゃ低いところにあったり……」からころとキャスターを引く彼女から、スーツケースを取る広坂に、ありがと、と礼を言い、
「ここは、きみの、家なんだよ……夏妃」
そっと彼女を抱き寄せる広坂は、汗ばんだ彼女の首筋をなぞり、頬に手を添えると、
「――今夜は、お風呂で、いちゃいちゃ、しよっか?」
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