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雨は夜遅くなっても弱まらなかった。結衣は濡れたままの足で、
何度も何度も花の名前を呼んだが
返事はどこにもない。
胸に抱きしめているハンカチは
花の体温をもう宿していない。
それなのに
触れるだけで息が詰まるほど懐かしくて
痛く、辛かった。
結衣は
雨の中でひとつの決意をした。
花を探すんじゃない
花がどこにいるのか
その答えを見つける。
結衣はその足で
花の家に向かった。
普段なら 気軽に入れるはずの門の前。
けれど今日は、 玄関先の灯りが
いつもより冷たく感じられた。
呼び鈴を押す指が震える。
胸の鼓動が苦しいほど早い。
しばらくして
花の母親が扉を開けた
目元が少し赤く
けれど、無理に微笑んでいた。
「結衣ちゃん…来たのね」
その声の震えだけで
結衣の心はひどくざわつく。
花の母は
玄関の靴箱の上に置かれたものを指差す。
そこには
結衣が去年、花に贈った小さな手鏡があった
冷たい光を反射させ
ぽつんと
忘れ物のように置かれている。
「花ちゃん、あれね、置いていったんよ
大事にしてたのに」
その言葉を聞いた瞬間
結衣の胸が深く沈んだ。
置いていった
大切にしてたのに
ハンカチ
手鏡
返すように置いていく。
まるで
この世界に自分をつなぐものを、
ひとつずつ確かめるように、
消しているみたいだった。
結衣は震える声で問う
「あの…どこに行ったか
少しでも 心当たりありませんか」
母親はゆっくりと首を振る。
涙をこらえるように
唇を噛みしめて、
「ごめんね… 何も言わずに出ていって…
でもね
“今日は終わらせたいことがある”って
今朝言ったの」
結衣の呼吸が止まりかける
世界が
ゆっくりと遠ざかっていくように感じた。
母親が
そっと結衣の手を取る
「結衣ちゃん
花と仲良くしてくれてありがとね
あの子
貴女の話をするときだけ
本当に優しい顔をしてた」
刃のように胸へ刺さる。
どうして
そんな顔を私には見せてくれなかったの
どうして
黙っていなくなるの
どうして
私を選んでくれなかったの
叫びたい
泣きたい
けど結衣は
ただ静かに頭を下げて
玄関をあとにした。
外へ出ると
雨はもう小降りになっていた。
夜風が冷たく頬を撫でる。
その冷たさだけが
花の代わりみたいに
結衣の隣に残った。
胸の奥に穴が開いたみたいで、
息をするのも辛かった。
花は、 自分の大切なものを整理して
消える準備をしていたんだ。
それが だんだん はっきりと
形になっていく。
結衣は
ハンカチを握りしめながら
静かに呟いた
「花
お願いだから
私が間に合うまで
どこかで立ち止まって」
祈りにも似たその声は、
夜空へ吸い込まれるように消えた。
もう
花に届く距離にはいない。
そんな確信だけが。
ひどく刺さった。