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深い闇の底で見たそれは過去であり未来でもある。ユカリにはそれが分かっていた。
「また負けた!」とみどりはゆかりの背中をにらみつけて泣きべそをかく。
ゆかりは振り返ってにやりと笑う。「手加減してあげようか?」
「いらない!」みどりは俯き、涙を堪える。「どうしてゆかりばっかり勝つの?」
「みどりがそれを望んでいるからだよ」
みどりは顔を上げるが、滲む視界にゆかりの表情は見えなかった。
港町アミアルーグの市場の端で、塩漬けの鰯に玉葱、檸檬、酢漬けの茴香を来麦麺麭で挟んだ爽やかな朝食を頬張りながら、ユカリは構いたがりの潮風に目を細める。港までやって来た時、朝日はまだ背後の山々に隠れていたが、既に人々の営みは始まっていた。ユカリたちが屋台で来麦麺麭を買った時には山麓の稜線は黄金に染まり、往来の邪魔にならない所で一口目を齧った時には白と橙の眩い放射がアミアルーグを照らし出した。それは世界の始まりの戦にて巨人どもが神々を迎え撃つべく揃えた太刀、鏃を鍛え上げたという母なる種火の如き輝きであった。
「じゃあ、本当だったんだね」とグリュエーが無邪気に尋ねる。「あ、別に疑ってたわけじゃないけどね。また気配を感じ取れるようになったんだ」
「うん。半信半疑だったし、お陰でネーベーラさんと描く者さんを助けるのに時間をかけちゃったけど。ともかく魔導書探しがまた捗るよ」
ユカリがベルニージュに目を向ける。やはり秋のように色づいた眉を寄せて難しい顔をしている。来麦麺麭に苦手な香草が挟まっているからではない。魔導書の気配を感じる力が消えた理由も分からないまま、再び現れたこと、そうして振り回されることがベルニージュには許せないのだ。
「来た!」と叫び、ユカリは残った麺麭を無理矢理口に押し込む。「あ! あ! あ! 『我が奥義書』だ!」
「何で分かるの?」とグリュエーが問い質す。「気配で魔導書の種類は分からないんじゃなかった?」
「そうだけど。封印の気配は方向が分かる。『我が奥義書』はあるってことしか分からない。それで今、あるってことしか分からない気配も感じる。十中八九『我が奥義書』もあるってことだよ」
「それで封印の方向と距離は?」と早々に食べ終えていたソラマリアに急かされ、ユカリは東を指す。
「街の反対の端の方だと思います」
五人と一頭は港を出て、東へ急ぐ。
「私が先んじようか」ソラマリアがユビスの手綱を取る。
「そうですね。使い魔は一人のようですし、いや、でも動きはないのでこちらに気づいていないのかも。それなら――」
ユカリは振り返り、目を凝らす。朝日を浴びて語り掛けるように輝く海が、通りの向こうに僅かに垣間見えている。
「気配が増えた。たぶん三つくらい。船で来たのかもしれない」
「挟み撃ちでしょうか?」レモニカは不安げに行く先と来し方を交互に見比べる。
「一旦離脱した方が良いだろう」とソラマリアが提案する。
「じゃあ北に――、北にも! ああ、南にも! やっぱり挟み撃ちなんだ!」
「落ち着いて、ユカリ」とベルニージュは慣れたことかのように冷静に言う。「まだ気配を捉えられる最大距離でしょ? いくらでも隙間があるはず」
ユカリがその気配に気づき、「あ」と呟いて上空を見上げた時には既に、空から地上へ急降下した魔法少女かわる者がユカリを抱え、ほとんど同じ速度で飛び去った。
「案外大人しいんだね。観念したの? 諦めちゃったの?」ユカリを脇に抱えながら空を飛ぶかわる者が揶揄うように言った。
魔法少女の煌びやかな衣装も魔法の杖も今はかわる者のものだ。どこからか湧き上がってくる無力感を抑えつけてユカリは言い返す。
「今暴れたら落ちて死んじゃうので」
ユカリの眼下にアミアルーグの家々の屋根が南へと飛び去って行く。目まぐるしく体勢が変化してもベルニージュとレモニカに貰った外套の魔法のお陰で平衡感覚は狂わずに済んでいるが、この高さから落ちればただでは済まない。
「もう一年以上魔導書探究の旅をしているんじゃなかった? 身に迫る危機を脱する魔術は一つも使えないの?」
逃げる、離れる、そういった魔術でユカリが使えるものは深奥に潜る魔術くらいだ。が、儀式的な下準備を必要とする大規模な魔術だ。
追っ手を警戒してかかわる者は時折振り返る。飛んで追ってくるとすればグリュエーくらいのものだが、そんな無茶はしないだろうし、ベルニージュがさせないだろうとユカリ派確信していた。
かわる者はユカリによく聞こえるように溜息をつく。
「君は本当に自分が魔法少女だと思ってる?」
「……どういう意味?」
「本物の魔法少女なら、こんな風に使い魔にいいようにされないはずだよ」
「本物? 一体何を知ってるの? 魔法少女について、魔導書について、何か知ってるの?」
「思い出したんだよ。私を、私たちを……」
ユカリの体が宙に浮く。そして落下する。かわる者に放り出されたのだ。こんな時にも外套の魔法は律儀にユカリの平衡感覚を保つ。ただそれだけで、上から下へ落ちていくことには変わりない。が、大地の抱擁で圧死する前にユカリの体は空中で止まった。グリュエーだ。
「あいつ何のつもり?」とグリュエーの声が耳元で憤っている。「ともかく連れ戻すね、ユカリ」
「うん。ありがとう。グリュエー」
しかし次の瞬間、どこからか飛んできた鎖に雁字搦めにされ、さながら錨を下ろした船のようにユカリの体は空中に停泊する。そうして地上へと、網にかけられた魚とは逆に引き下ろされる。グリュエーが抵抗し、鎖ががちゃがちゃと暴れるが、無意味だった。
アミアルーグの郊外だろうか、廃屋らしき建物の裏庭にユカリは連れて来られたようだった。手入れされず、草むらに覆われていて、僅かに古井戸らしきものの残骸が見て取れる程度の有様だ。
「大丈夫ですか? ユカリさま? かわる者の乱暴をお許しください」と優しげに声をかけた女性は黒いどろどろとした液体を目鼻口から垂れ流し続けている。両腕は白鳥の翼であり、脚は二本だが、踵から五方向に甲が伸びている。
「ありがとう。大丈夫です。貴女も使い魔?」
「ええ、拙者、忍ぶ者と申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
「どういうこと、忍ぶ者。ラミスカを魔法少女と認めるの?」かわる者が空から降りて来ながら使い魔忍ぶ者を問い質す。
鎖を解かれたユカリは辺りを見渡す。かわる者と忍ぶ者を含め、十七柱の魔性がユカリを取り囲んでいる。忍ぶ者のように本性の姿を見せている者もいれば、貼り付けた物体を人の形にしている者もいた。
「驚いた? もうこれだけ集まってるんだ」かわる者がにやにや笑みを浮かべて尋ねる。「そういえばラミスカは何人手に入れたの?」
「十四人」とユカリは正直に答える。
「僅差ね」と誰かが呟いた。
「僅差じゃない!」とかわる者が抗議する。「私について来なかっただけの者も何人かいるの! 私の方がずっと沢山魔導書を見つけているってことだし、使い魔を助けてもいる。そしてラミスカは私が自由にした使い魔も何人か手に入れているはず。そうだよね!?」
そう問われ、ユカリは正直に頷く。魔導書を封印するのが魔法少女の使命だ。
「それで魔法少女について何を知ってるんですか?」とユカリは問う。「いや、思い出したんでしたっけ? それってつまり、……私じゃない魔法少女について知ってるってことですよね?」
「それは――」忍ぶ者が応えかけたがかわる者が手で制止する。
「聞いたでしょ? みんな。私たちより知らないのに魔法少女? そんなことってある?」
何が何だか分からないが、使い魔たちを失望させたらしいことはユカリにも分かった。
「ワタシが何より知りたいのはそんなことじゃない」と地面に座り込んでいる黒髪の女が言った、が言いながら、首から上だけが巨大な黒犬の頭になった。眼窩には黄色い髑髏が、そして歯や牙の代わりに腕骨が並んでいる。そして頭の重さに耐えかねて倒れ込む。「魔導書を封印するってのはどういうことなんだ? それを教えてくれよ」
「拷問は駄目ですよ」と忍ぶ者が犬頭の使い魔に忠告する。
「その必要がないことを願うよ」犬頭の眼窩の二つの髑髏がユカリの方を向く。
ユカリは努めて冷静に答える。
「封印って魔導書を集めた時にその魔法が使えなくなること、ですよね? それに関しては私がやってるわけではありませんよ」
「オマエじゃないなら誰だ?」と犬頭は問う。
「誰? 誰かがやっているんですか?」とユカリはしらを切る。「私は魔導書の特性なんだと思っていましたけど」
ププマルに関して、どこまで話していいのか分からない。話すなとは言われていないが、彼らの感情の矛先がププマルに向けられそうな気がしたのでユカリは黙っていることにしたのだった。
ユカリの答えに納得できないのか、何人かの使い魔が囁き合うように意見を交換している。
「意外。拷問しないんだな」と誰かが呟いた。
「できるかよ」と犬頭は吐き捨てるように言う。
ユカリは探るように、軽んじて聞こえないように慎重に尋ねる。
「それじゃあ、つまり皆さんは封印を恐れているってことですね? そうすると、もしかしたら消えてなくなってしまう、かもしれないから」
静かな視線がユカリに集まる。その瞳の揺らぎが答えだった。ただかわる者だけは違った。
「それで? 私たちを助けてくれるのかな? 魔導書収集家のラミスカさん」
魔導書は世界を滅ぼす力だ。しかしそのために心を持つ彼らを消滅させても良いのだろうか、とユカリは自問する。そもそも既に『守護者を生み出す叫ぶ魔法』ごと『咒詩編』こと『プリンセスのおまじないポエム』を封印してしまっている。あの時は知らなかったのだ、と言い訳できるだろうか。
「だってさ、皆。私たちを助ける選択肢はないみたいだよ」かわる者が杖を振りかざす。「そんなの魔法少女じゃない。ただ、たまたま『わたしのまほうのほん』を手に入れただけ」
杖から噴き出した強風にユカリは倒れ、波打つ下草の上を転がり、廃屋の壁へと追いやられる。その空気の放出量はユカリがやるよりもずっと多いようだった。
立ち上がれず、ほとんど目も開けられない。使い魔たちの様子を見るに半信半疑の者もいれば、同情している者や興味を失っている者もいる。少なくとも味方はいないようだ。
「聞こえるか? ユカリ」暴風が耳を塞ぐ中、その声ははっきりと聞こえた。「まあ、聞こえているだろう。僕の名前は伝える者。とりあえずは味方だと思ってくれ。そこから脱出したいなら僕の言う通りにして欲しい。とにかく隙を見つけて表の通りに出てくれ。あとはこちらで何とかする」
何とかって!? と叫び返したかったが風がそうさせない。この使い魔たちの中から逃げることなどできるのだろうか、と疑念を抱いたが、とにかくやれることをするしかない。
「グリュエー。まだいるなら助けて。この風をできる限り中和して、表まで逃げれば何とかなりそうだから」
返事はなかったが一呼吸置いて風が弱まった。ユカリは即座に立ち上がり、草を掻き分けて走る。グリュエーらしき風が背中を押してくれる。
「逃がすな!」と言った声は誰だか分からない。
ユカリは必死に走り、廃屋を回り込み、表の通りへ飛び出した瞬間、強烈な衝撃と共に世界が溶けた。強烈な圧力が体の側面を押し付ける。どうやら誰かに抱きかかえられているらしく、その誰かは近傍の様子を把握できなくなる程の速さで移動しているらしい。今日最も助けて欲しい気持ちになったが悲鳴すら出なかった。
それでもなお吐き気の一つも感じないで済んだのはやはり外套の魔法のお陰なのだろう。ユカリは改めてベルニージュとレモニカに感謝する。
地面に降ろされてから暫くして、吐き気が収まり、気持ちが落ち着いたところで立ち上がる。森の中だ。アミアルーグを出たらしい。そしてユカリは再び、しかもさっきより多くの使い魔たちに囲まれていた。
ユカリの目の前には見覚えのある男が立っている。艶のある黒髪に撫でつけたような口髭。ユカリよりは背が低いが、特別低いわけでもない。
「こんにちは。ユカリ様。お初にお目にかかります。私は除く者と申します」と魔法少女狩猟団団長シャナリスが言った。