テラーノベル
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第32話:裏山の来訪者。傷ついたキタキツネ
シロが展開する『適温25度の絶対防壁(動くこたつ)』の恩恵を受け、俺と小春ちゃんは寒空の北海道で、半袖姿のままみかんを頬張っていた。
「お兄さん、このみかん甘くて美味しいですね!」
「ああ、スーパーの特売品だけど、シロのマイナスイオンを浴びてるせいか、高級フルーツみたいな味がするな」
縁側にセットされたスマートフォンの向こう側では、今日も200万人の視聴者が、俺たちの徹底的にダラけきった日常を眺めては「尊い」「癒やされる」とコメントを弾幕のように流している。
俺の膝の上では、超常的な暖房器具と化した神獣シロが、『ゴロゴロ』と重低音のモーター音を響かせながら幸せそうに丸まっていた。
その隣では、すっかり家族の一員となったキタキツネのコン吉も、気持ちよさそうに目を閉じている。
ブラック企業で凍えるような冷遇を受けていた俺が、今や神の如きもふもふたちの膝枕係(暖房付き)である。人生、何が起きるか本当にわからない。
そんな平和なお昼下がり。
ガサガサッ……。
「……ん?」
『コンッ!?』
裏山へと続く庭の茂みから微かな葉擦れの音が聞こえた瞬間、コン吉がいち早く耳を立ててそちらを睨みつけた。
風の音ではない。何かの小動物が、枯れ葉を踏みしめながらこちらへ近づいてくる気配だ。
「小春ちゃん、ストップ。裏山から何か来る」
「えっ……ま、まさか、またヒグマですか!?」
小春ちゃんがビクッと肩を揺らし、みかんを持つ手を止めた。
以前、シロに土下座して帰っていった巨大ヒグマの記憶がよぎる。だが、足音はもっと軽く、小さい。
俺たちは息を潜め、茂みの隙間を見つめた。
ガサッ、と笹の葉が揺れ、そこからひょっこりと顔を出したのは――。
「……あ、キツネだ。コン吉よりもずっと小さいな」
小春ちゃんがホッとしたように声を漏らす。
ピンと立った大きな耳に、黄金色に近い明るい茶色の毛並み。顔の下半分から胸にかけては雪のように白く、ふさふさの尻尾を持っている。
今年生まれたばかりであろう、野生の子狐だ。
『うおおお! またキタキツネだ!!』
『野生の子狐が庭に遊びに来たぞ!』
『新しいもふもふが追加された!!』
『コン吉の弟分になるか!?』
配信のチャット欄が、新たな来訪者の登場に一気に沸き立つ。
「わぁ……可愛いですね、お兄さん! 触ってもいいですか!?」
「ダメだ、離れてろ!! コン吉の時も言っただろ、野生動物には不用意に触るなって」
俺は小春ちゃんを鋭い声で制止し、自分も縁側から一歩引いた。
「北海道のキタキツネは『エキノコックス』っていう恐ろしい寄生虫を持ってる可能性が高いんだ。人間が感染したら、最悪の場合、命に関わる。絶対に触っちゃダメだし、餌付けも厳禁だ」
俺の真剣な言葉に、小春ちゃんは青ざめてコクリと頷いた。
限界集落に住む以上、大自然との距離感は絶対に間違えてはいけない。可愛かろうがなんだろうが、野生動物とは一線を引くのが北海道の鉄則だ。
だが、俺が警戒を強める中。
庭に現れた子狐の様子が、どうもおかしいことに気がついた。
「……おい、あいつ……」
子狐は、俺たちに警戒心を向ける余裕すらないのか、ガタガタと全身を震わせていた。
よく見ると、右の後ろ足が不自然に曲がっている。さらに、その毛並みは赤黒い血でべっとりと汚れ、肉がえぐれたような生々しい傷跡が見えた。
罠にかかったのか、それとも他の野生動物に襲われたのか。
「ひどい……足、怪我してます……。すごく痛そう……」
小春ちゃんが痛ましそうに顔をしかめる。
『あっ、本当だ……右足から血が出てる』
『可哀想に……歩くのもやっとみたいだ』
『どうにかしてあげられないの主!?』
『でもエキノコックスがあるから触れないんだろ?』
『(ハリウッド女優シャーロットからの$500ギフト×2連発)=”Oh no! Poor baby! Call an animal hospital right now!“(なんてこと! 可哀想な赤ちゃん! 今すぐ動物病院を呼んで!)』
視聴者たちも、子狐の痛々しい姿に悲痛な声を上げる。
子狐は、縁側の手前までなんとか這いずるように進んできたが、ついに力尽きたのか、乾いた土の上にバタリと倒れ込んでしまった。
「キュゥゥ……」
弱々しい、命の火が消えかかっているような鳴き声。
野生の掟だ。俺たちが手を出せば、エキノコックスの危険もあるし、そもそも助かるかどうかもわからない。
だが、目の前で小さな命が消えようとしているのを見過ごすほど、俺の心はもうブラック企業時代のように冷え切ってはいなかった。
「……くそっ、タオルと分厚い手袋を持ってくる。保健所に連絡して――」
俺が覚悟を決めて立ち上がろうとした、その瞬間だった。
『……ミャウ』
俺の膝の上で丸くなっていたシロが、音もなくスッと立ち上がった。
そして、縁側からフワリと飛び降りると、倒れ伏す子狐の元へと、悠然とした足取りで歩み寄っていったのだ。
「あっ、おいシロ! ダメだ、お前も感染するかもしれないぞ!」
俺の制止の声など、神獣の耳には全く届かない。
シロは、荒い息を吐く子狐の目の前で立ち止まった。
子狐は、自分より一回り小さい純白の猫を見上げ、最後の力を振り絞るように「カァッ!」と牙を剥いて威嚇した。
だが、シロは全く動じない。
サファイアとアンバーの神秘的なオッドアイで、傷ついた子狐を、まるで慈母のように優しく見つめ下ろした。
そして。
シロは、自分の純白の右前足を、ゆっくりと持ち上げた。
「シロちゃん……?」
小春ちゃんが息を呑む。
シロの小さな肉球が、子狐の血だらけの右足に、ポン、と優しく触れた。
――ピカァァァァァァァァァッ!!!!
「うおっ!?」
シロの肉球が触れた瞬間、子狐の体全体を、強烈な『真珠色の光』が包み込んだ。
それは、枯れた温泉をエメラルドグリーンに変えた時と同じ、いや、対象が生命である分、さらに純度の高い、絶対的な『癒やしと修復の神聖力』だった。
光は子狐の右足の傷口に集束し、まるでビデオの巻き戻しを見ているかのような凄まじい速度で、肉を盛り上げ、皮膚を繋ぎ合わせ、美しい黄金色の毛並みを再生していく。
わずか数秒。
光がスッと収まった後には、血の跡一つ、かすり傷一つない、完璧に健康な状態の右足がそこにあった。
しかも、子狐の体を覆っていた泥汚れや、野生特有のノミダニ、果ては体内に潜んでいたであろう寄生虫(エキノコックス)すらも、神聖な光によって完全に『浄化(滅菌)』されてしまったらしい。
毛並みは高級サロンでシャンプーしたかのようにフワフワで、シャボン玉のような良い匂いすら漂ってきている。
「………………………………は?」
俺の口から、今日一番の間抜けな音が漏れた。
「あ、あの時の……コン吉くんを助けた時と同じ光……!」
小春ちゃんが、奇跡の再来に目を輝かせた。
倒れていた子狐は、ポカンとした顔で自分の右足を見た。
そして、恐る恐る立ち上がると、ピョンピョンと軽く跳ねてみせた。痛みが完全に消え去っていることに気づき、金色の瞳をこれ以上ないほど見開いている。
配信のチャット欄は、完全なる狂乱状態に陥った。
『はあああああああああああ!?!?』
『治った!? 触っただけで治ったぞ!?!?』
『ベホマ!! 完全なるベホマ!!』
『毛並みまでピカピカになってるんだがwwww』
『エキノコックスごと浄化しやがった……!!』
『シロ様、ついに生命の理にまで介入し始める』
『これはもう猫の皮を被った神様だって、世界中が知ってる』
『(スイスの銀行家からの¥50,000ギフト)=”A miracle! The absolute power of God! Medical science is defeated!“(奇跡だ! 神の絶対的な力だ! 現代医学の敗北だ!)』
数百万人が奇跡の目撃者となり、コメントとスパチャの雨が画面を埋め尽くす。
俺は、大きく深呼吸をしてから、カメラに向かって語りかけた。
「……皆さま、落ち着いてください」
『落ち着けるかああああああ!!!』
『出た! 主の限界言い訳タイム!!』
『さあ、今回はどうやって現実逃避する気だww』
俺は、完璧なポーカーフェイス(元社畜の極意)を維持したまま、静かに言い放った。
「北海道のキタキツネというのは、非常に自己治癒能力が高い生き物なんです。トカゲの尻尾が切れても生えてくるように、キツネも気合を入れれば、数秒で肉と骨を繋ぎ合わせることができます。ええ、田舎の大自然では、よくある野生の生存本能です」
「あるわけないじゃないですかぁぁぁ!!!」
小春ちゃんが、俺の背中をバンバンと叩きながら絶叫した。
「コン吉くんの時の『静電気のプラズマ洗浄』って言い訳も無理がありましたけど! 気合で肉と骨が数秒でくっつく野生動物がどこにいるんですか!! どう見たって今回もシロちゃんが魔法の力で治したんでしょうが!!」
『小春ちゃんのツッコミが冴え渡るww』
『気合(物理法則無視)』
『主、ついに生物学にまで喧嘩を売り始める』
『限界集落おじさんの辞書に「奇跡」という文字はない』
俺の苦しすぎる言い訳と、小春ちゃんの鋭いツッコミに、視聴者たちは大爆笑の渦に包まれている。
『コンッ……!』
そんな俺たちのやり取りの足元で。
完全に回復した子狐は、森へ逃げていくどころか、自分を救ってくれた純白の神猫(シロ)に向かって、前足を揃えて深々と頭を下げていた。
まるで、ヒグマやコン吉が土下座した時のような、絶対的な服従のポーズ。
『ミャウ(当然ね)』
シロは女王様のようにフンッと鼻を鳴らし、子狐の頭をポンポンと前足で撫でてやった。
「……なんか、またすげぇのが懐いちゃったな」
俺は額に手を当て、深い深いため息をついた。
限界社畜の静かなスローライフに、シロとコン吉に続く『三匹目のもふもふの眷属(コン次郎)』が追加されてしまった瞬間だった。
コメント
1件
第33話、読み終わりました! シロのあの浄化の光、毎回見応えありますね。今回は傷ついた子狐が相手で、しかもエキノコックスごと浄化しちゃうっていう、もう「神様かな?」って思いました。でも、その後の主人公の「気合で治る野生動物」発言には笑っちゃいました。小春ちゃんのツッコミも冴えてて、そのバランスが好きです。 コン次郎、これからどうなるんでしょう。新しいもふもふの眷属、楽しみです。
ゆうき あきや
3,596
259
#心理描写重視