テラーノベル
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屋上の夜風は冷たく、二人の息遣いだけが白く揺れていた。
遠くの街の灯りが、ぼんやりと霞んで見える中、静寂がゆっくりと訪れていた。
ルナは膝をついたまま、レクトが置いた紙袋をじっと見つめていた。
袋の口から、ほのかに甘い香りが漂ってくる。
それは、両親の手作りショートケーキの匂い——
幼い頃、ルナが「これが一番好き!」とねだっていた、あの懐かしい味。
ルナの指が、震えながら袋に伸びる。
そっと蓋を開け、中から一口大に切られたケーキを取り出した。
断面からは熟れたイチゴの粒が覗いている。
一口かじると、しっとりとした生地が舌に優しく溶け、
生クリームの自然な甘さと、ほのかなイチゴの甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。
温かくて、懐かしくて、胸がぎゅっと締めつけられるような味。
「……おいしい……」
小さな呟きが、夜の静寂に溶けていく。
その瞬間、頭の奥で何かがぱちんと弾けた。
──幼い頃の記憶が、鮮やかによみがえる。
サンダリオス家の広い庭。
夏の陽射しが容赦なく照りつけ、芝生の緑が眩しく輝いていた。
蝉の声が耳をつんざくほど鳴り響き、空はどこまでも青く、雲一つない。
ルナは八歳、髪をポニーテールに結んで、木の枝を剣に見立てて構えていた。
対するレクトは五歳、黄緑の髪を無造作に揺らし、小さな体で同じく枝を握っている。
「準備はいい、レクト!」
ルナが声を張り上げ、枝を高く振り上げる。
「うん! 姉ちゃん、負けないよ!」
レクトの目がキラキラ輝き、満面の笑みで応じる。
「やあっ! 覚悟しなさい!」
ルナが勢いよく枝を振り下ろす。
小さなレクトは慌てて横に跳び、「わっ!」と可愛い声を上げながらかわす。
すぐに反撃。
「とあっ! 姉ちゃんの隙だー!」
枝同士がぶつかり、カチン、カチンと乾いた音が庭に響く。
二人は庭中を駆け回った。
12歳になったら発現する魔法、
それまでの間
サンダリオス家として強い魔法使いになるために修行していたのだ。
レクトは負けじと枝の先に枝をさらにくっつけて「重い剣だ!」と叫ぶ。
それがまたおかしくて、二人は転げ回るように笑った。
「姉ちゃん強いよー! 負けそう!」
レクトは息を切らしながらも、目を輝かせて笑う。
ルナは少し得意げに胸を張り、
「当然よ! サンダリオスの長女なんだから!
レクトなんか、まだまだね!」
でも、心の中では嬉しくてたまらなかった。
弟が、自分を本気で相手にしてくれる。
自分と同じくらい、サンダリオスの血を騒がせて遊んでくれる。
未来の影と未来の果実が、庭で小さな光を踊らせる。
ルナが勢い余って転んで膝を擦りむいた。
血がにじみ、痛くて涙目になる。
レクトは慌てて駆け寄り、「大丈夫!?」と心配そうに覗き込む。
すぐにハンカチを差し出す。
ルナは涙を拭きながら受け取り、二人は芝生に座って休んだ。
そして、
日が暮れるまで遊び続けた。
最後は二人でへたり込み、息を切らしながら空を見上げる。
そこへ母エリザがやってきて、
「もう、汗だくだらけね。はい、おやつよ」と、
トレイに載せたショートケーキを持ってきてくれた。
二人で分け合い、
指についたクリームを舐めながら、
「明日も修行しようね!」と約束した。
父パイオニアは遠くから微笑みながら見守り、
「二人とも、サンダリオスの誇りだ」
と呟いていた。
あの味——今、口の中に広がる味と、まったく同じだった。
ルナの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
ケーキの上に落ち、塩辛い雫が甘い生地に染み込む。
記憶の温かさが、胸全体を満たす。
「……もう、一回」
ルナはゆっくり立ち上がった。
影が再びざわざわと動き出し、足元からゆらゆらと立ち上る。
でも、今度は違う。
怒りや拒絶の黒い棘ではなく、
どこか楽しげに、生き生きと波打つ。
修行の続きをするような、ワクワクした影。
レクトも立ち上がり、にやりと笑った。
戦いが、再び始まった。
ルナの影が、まず細い鞭となってレクトを狙う。
鞭はしなやかに曲がり、予測不能の軌道で襲いかかる。
レクトはバナナの皮を大量に生成し、屋上の床を滑り台のように変えてかわす。
同時に、パイナップルを転がし、爆発。
棘の雨が飛び散るが、ルナは影を薄く広げて盾にし、軽く弾き返す。
「はっ!」
ルナが影の槍を三本同時に飛ばす。
槍は黒い流星のように鋭く、レクトの周囲を囲む。
レクトはマンゴーの果汁を爆発させ、粘着質の霧を発生。
霧が槍の軌道を曲げ、槍は互いにぶつかり合って消滅。
「すごい、姉ちゃん! そのコンビネーション技!!」
レクトの声に、純粋な興奮と喜びが乗っている。
ルナの頰が、わずかに緩む。
心の奥で、懐かしい熱が灯る。
「……当たり前でしょ。
レクトだって、悪くない魔法じゃない。」
影を自分の周りに渦巻かせ、ルナは高速で突進。
影の拳が連続で繰り出され、風を切る音が響く。
レクトはココナッツを盾にしつつ、グァバの実を投げて反撃。
爆発する果汁が影を少し溶かすが、ルナは笑いながら影を即座に再生させる。
バトルは、だんだん楽しくなってきた。
ルナの動きに、無駄がなくなっていく。
影が鳥のように優雅に舞い、蛇のように狡猾にうねり、
狼のように力強く咆哮を上げる。
レクトも負けじと、フルーツを次々に生成。
ドリアンの重い一撃、オレンジの酸の雨、
キウイの種を高速弾幕のように連射。
パパイヤの酵素で影を少し柔らかくし、
ドラゴンフルーツの鮮やかな光で視界を乱す。
屋上は魔法の光と影で埋め尽くされ、
爆音と笑い声が混じり合う。
コンクリートに新たなひびが入り、手すりが曲がり、
夜空に火花のような光が散る。
フルーツの甘酸っぱい香りと、影の冷たい匂いが混ざり、
不思議なハーモニーを生む。
「ははっ、姉ちゃんの影、めっちゃ速くなった!」
「あなたも、フルーツのタイミングが上手くなったわね!
てかあのドリアン、めっちゃ重い!」
二人は、まるで幼い頃の庭に戻ったように、
本気で、でも心から楽しそうにぶつかり合う。
汗が飛び、髪が乱れ、息が上がるけど、
笑顔が絶えない。
魔法が現れても、何も変わらないそんな、修行。
ルナの胸の奥で、何かがはっきりと形を成した。
そうだよ。
私は、
同じサンダリオスの血を持つ者として。
家族として。
ただの「弟」じゃなくて、
ライバルとして、仲間として、
本気で向き合ってほしかった。
父さんも母さんも、レクトのことばかり見て、
「フルーツ魔法がすごい」「世界を救った英雄」って。
とつぜん引き離されたみたいで。
それで、私の影魔法は、二の次。
私は、レクトと一緒に、
同じ高みを目指したかった。
最初フルーツ魔法を出した時はもう対等にはなれないって諦めていた。
サンダリオスの恥だって確信したから。
でも本当は、
影魔法を、フルーツ魔法を、
どちらもサンダリオス家の誇りとして、
並べて認められる存在になりたかった。
だから、諦めたんだ。
だから、そのあとレクトは強くなったけど、
逆に強くなりすぎて引き離されて、
だから、桃源郷を作ろうとした。
でも、今——
この戦いの中で、
レクトは私を本気で相手してくれている。
それに私もついていけてる。
褒めて、驚いて、笑って。
昔みたいに、修行だなって。
ルナは影を最大限に広げ、
背中に巨大な黒い翼を生やした。
翼をはためかせ、空に舞い上がり、
影の嵐を呼び起こす。
黒い渦が屋上全体を覆い、星すら飲み込もうとする。
レクトも、両手に黄金のバナナを生成——
あの、世界を救った奇跡のバナナ。
光を放ち、周囲にフルーツの虹色のオーラを纏う。
バナナの表面が輝き、温かな黄金の波動を放つ。
二人は同時に突進した。
影の翼と黄金の光が激突。
屋上が大きく震え、衝撃波が夜空に広がる。
光と闇が絡み合い、爆発的な閃光が生まれる。
二人は吹き飛ばされ、
屋上の反対側に着地——いや、転がった。
ルナは仰向けに倒れ、
レクトも隣でへたり込む。
静寂が訪れる。
遠くで、街の灯りが静かに揺れている。
屋上の空気は、フルーツの甘酸っぱさと影の冷たい匂いが混じり、
不思議な調和を保っていた。
そして、
二人同時に、笑い出した。
「ぷっ……あははっ!」
「ははははっ!」
ルナは腹を抱えて笑い、
レクトも涙を浮かべて大笑いする。
幼い頃、修行で疲れて芝生に転がった時と、
まったく同じ笑い方だった。
汗と涙が混じり、夜風に冷やされる。
笑いがようやく収まると、
ルナは上体を起こし、
レクトをまっすぐ見た。
「……ごめん、レクト」
声は少し掠れていたが、穏やかだった。
「私、わがままだった。
あなたのこと、嫌いなんかじゃなかった。
ただ……寂しかっただけ。
対等でいたかっただけ。
昔みたいに、ずっと一緒に遊びたかっただけ」
レクトは首を振って、優しく笑った。
「俺も、ごめん。
姉ちゃんの気持ち、ちゃんと気づいてあげられなくて。
でも、今わかったよ。
姉ちゃんは、俺の大事なライバルだ。
これからも、修行しようね!!」
二人は並んで座り、
夜空を見上げた。
星が、たくさん瞬いている。
流れ星が一つ、静かに尾を引く。
「お母さんもお父さんも、説得させたよ。
俺の魔法もルナの魔法も、
何も特別じゃない。
全部、大切な魔法だって。
サンダリオス家の、みんなの魔法だって。
これからは、ちゃんと並べて褒めるって約束した。
暖炉の前で、ケーキ食べながら話そう」
ルナは目を閉じた。
涙が、また一粒、頰を伝う。
でも、今度は悲しい涙じゃない。
温かくて、優しい涙。
家族の匂いが、風に乗って思い出される。
「……帰ろうかな」
小さく呟くと、レクトがにっこり笑った。
「うん。
一緒に帰ろう。」
ルナは立ち上がり、
影を優しく収めた。
二人は屋上を降り、
街の灯りの中を歩き始めた。
食べきったショートケーキの空袋を、ルナが大事に抱えて。
ー果実少年 最終章ー
コメント
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ルナが可愛い!