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ゆうき あきや
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#心理描写重視
第22話:シロが浸かれば、そこは神聖な泉
ゴゴゴゴゴッ、ドバァァァァァァァァッ!!
十数年間、ボウフラすら湧かないほどのただの泥水と化していた裏山の廃温泉。
そこに、シロの純白の肉球が「ぽちゃん」と触れた瞬間。
地中深くから凄まじい勢いで噴き出したお湯は、瞬く間に岩風呂の浴槽を満たし、溢れ出した。
モクモクと立ち上る純白の湯気。
そして、浴槽にナミナミと湛えられたそのお湯は、泥の茶色など微塵も残っていない、透き通るような『エメラルドグリーン』に発光していた。
「……………………」
「……………………」
俺と小春ちゃんは、完全に言葉を失い、その奇跡の光景をただ呆然と見下ろしていた。
硫黄のツンとした臭いは全くない。代わりに、森の木々の清々しい香りと、シロがいつも纏っている『極上のマイナスイオン』を100倍に濃縮したような、胸の奥底まで浄化されるような神聖な香りが辺りを包み込んでいる。
ジンバルに固定されたカメラの向こう側、60万人の視聴者も、おそらく俺たちと同じように画面の前でフリーズしているのだろう。
滝のように流れていたチャット欄が、嘘のようにピタリと止まっていた。
数秒の圧倒的な静寂の後。
「……なるほど」
俺は、大きく、深く息を吐き出し、深夜のラジオDJのような極めてフラットなトーンで口を開いた。
「どうやら、ちょうど今のタイミングで、地殻変動による地下水脈の移動が起きたらしいな。北海道の大自然はスケールが違う。たまたまシロが足を入れた瞬間に、枯れていた温泉脈が復活したんだ。……うん、自然の神秘だな」
「お兄さん!! 現実逃避にも限界がありますよ!!」
小春ちゃんが涙目でツッコミを入れる。
「たまたまの地殻変動で、お湯がエメラルドグリーンに光るわけないじゃないですか! それにこの匂い、完全にシロちゃんの『癒やしオーラ』の匂いですよ! どう見たって、シロちゃんが泥水を『神聖な泉』にクラスチェンジさせたんじゃないですかぁぁっ!!」
『小春ちゃんの言う通りすぎるwww』
『主、息を吐くように現実から目を背ける』
『地殻変動を起こす猫(物理)』
『どう見ても魔法です、本当にありがとうございました』
『これRPGの終盤にある、HPとMPが全回復する泉だろ絶対……』
チャット欄が再び爆発的な速度で流れ始めた。
世界中の視聴者からの総ツッコミを背中に浴びながら、俺はそれでも「いや、大自然の神秘だ」と言い張ろうとした、その時だった。
『……ミャウ♪』
シロが、嬉しそうな、甘ったるい声を上げた。
見れば、シロは岩風呂の縁から、ためらうことなくエメラルドグリーンのお湯の中へと足を踏み出そうとしていた。
「あっ、おいシロ! 猫はお湯とか水が苦手なはずじゃ……それに、温度が何度あるか分からないぞ! 火傷したら――」
俺の制止の言葉は、途中で宙に消えた。
ちゃぷん。
シロは、全く嫌がる素振りも見せず、お湯の中へと全身を沈めた。
そして。
沈んだはずのシロの体は、濡れてみすぼらしくなるどころか、お湯の表面に『ぷかぁ……』と、まるで白いアヒルのオモチャのように浮き上がったのだ。
「……浮いてる」
「浮いてますね……」
お湯の表面張力か、それともシロ自身の反重力スキル(以前おやつをねだる時に見せたアレ)の応用か。
シロの純白の毛並みはお湯を弾き、濡れるどころか、エメラルドグリーンのお湯の成分を吸収してますます神々しく『ピカァ……』と発光し始めている。
シロは岩風呂の縁に器用にアゴを乗せ、目を細めて『ふぁぁ……』と大きなあくびをした。
『ゴロゴロ、ゴロゴロ……』
まるで、休日の銭湯で一番風呂を満喫するおっさんのような、絶対的なリラックス状態。
お湯から立ち上る湯気と、シロの喉鳴らしが共鳴し、周囲の空間が『究極の癒やし(ヒーリング)領域』へと変貌していく。
『……あぁ……』
『尊い……画面越しの湯気だけで、なんか涙出てきた……』
『猫がお風呂に浸かってる……しかも浮いてる……可愛すぎる……』
『極楽浄土の映像化ですか?』
『(スイスの銀行家からの¥50,000ギフト)=”An angel bathing in a sacred spring! A masterpiece!“(神聖な泉で沐浴する天使! 名画だ!)』
「……ははっ、ほんと、お前はやりたい放題だな」
俺は毒気を抜かれたように笑い、岩風呂の縁にしゃがみ込んだ。
そして、温度を確かめるために、そっと自分の右手をエメラルドグリーンのお湯に浸してみた。
「――っ!?」
指先がお湯に触れた瞬間、脳天を突き抜けるような衝撃が走った。
「え、お兄さん!? 熱かったですか!?」
小春ちゃんが慌てて身を乗り出す。
「いや……違う。これは……」
俺はお湯からゆっくりと右手を引き抜いた。
熱くはない。体温より少し温かい程度の、まさに『適温』。
しかし、問題はそこではない。
つい昨日、キャットタワーの木材を運んだ時に手の甲に作ってしまった、少し深めの擦り傷。
そして、ブラック企業時代のストレスで荒れ果て、最近の畑仕事でマメだらけになっていた手のひら。
それらが、お湯に数秒浸かっただけで。
傷跡一つない、まるで生まれたての赤ん坊のようにスベスベで、潤いに満ちた『完璧な肌』に生まれ変わっていたのだ。
「……嘘、だろ」
俺は自分の右手を裏返し、信じられない思いでまじまじと見つめた。
痛みも、疲労感も、肌の荒れも、全てが『なかったこと』になっている。ただお湯に触れただけだというのに。
「えっ……お兄さんの手、なんか信じられないくらい綺麗になってません!? モデルさんの手みたい……!」
カメラ越しにそれを見ていた小春ちゃんが、悲鳴のような声を上げる。
「私も、私も触ってみます!」
小春ちゃんはジンバルを片手で持ちながら、空いている左手でお湯をすくい、自分の顔にパシャッと軽くかけた。
瞬間。
「……っ!? え、えええええええっ!?」
小春ちゃんが、自分の頬を触りながら絶叫した。
もともと女子高生らしく若々しい肌だったが、お湯を浴びた瞬間に、彼女の肌の内側から発光するような異常なほどの『透明感』と『ツヤ』が引き出されたのだ。
まるで、世界最高峰の高級美容液をバケツで被ったかのような、究極のスキンケア効果。
「お、お兄さん! 私の肌、ぷるんぷるんです! 指が跳ね返ってきます!! なにこれ、魔法!? エリクサーですか!?」
「いや……だから、北海道の温泉は、ミネラルが豊富で……」
俺の言い訳は、もはや誰の耳にも、俺自身の耳にすら届いていなかった。
『は????????』
『今、主の手の傷が一瞬で消えなかったか!?』
『小春ちゃんの肌がCGみたいに輝き始めたぞ!?』
『美容液の温泉!? いや回復の泉!?』
『不老不死の泉を見つけてしまったのか……』
『シロ様が浸かったことで、お湯に神聖なダシ(成分)が溶け出したんだ!!』
『そのお湯、1リットル100万円で買います!!!』
『俺も!! 100万出す!! 妻の病気を治したいんだ!!』
チャット欄は、ただの「癒やし配信」の枠を完全に超え、人類の夢である『万能薬』の発見に狂喜乱舞するパニック状態へと陥っていた。
世界中の富豪や研究機関が、画面の向こうで目の色を変えているのが容易に想像できる。
『(ドバイの石油王からの¥50,000ギフト×5連発)=”I WILL BUY IT!! I WILL BUY THE ENTIRE MOUNTAIN AND THE SPRING RIGHT NOW!!“(買う!! 今すぐその山ごと泉を買うぞ!!)』
「お兄さん!! 石油王さんが、また山を買うって言ってます!!」
「いや、だからここは村の共有地であって、個人の持ち物じゃないから買えないんだってば……」
俺は頭を抱え、再びエメラルドグリーンのお湯に視線を戻した。
シロは、世界がどれだけ狂騒しようとも我関せずといった様子で、お湯の上にふかふかと浮かびながら、気持ちよさそうに目を閉じている。
その頭の上に、近くに生えていたフキの大きな葉っぱを、タオル代わりにそっと乗せてやる。
『ミャァ……♪』
風情たっぷり。ワビサビの極致。
究極の神聖成分が溶け出した、シロ専用の世界最高峰の露天風呂。
「……まぁ、いっか。シロが気持ちよさそうなら、それで」
もはや、俺の適応力(という名の現実逃避スキル)をもってしても、この事態を「田舎の日常」として処理することは不可能だった。
チャンネル登録者数100万人突破記念の、のんびりとしたお散歩配信。
それは、北の大地に『不老不死の神聖な泉』を爆誕させ、世界中の国家権力と巨大資本の目を、この限界集落に向けさせてしまうという、とんでもないパンドラの箱を開ける結果となってしまったのだった。
俺はただ、猫と縁側で昼寝がしたかっただけなのに。
俺の『スローライフ』は、一体どこへ向かっていくのだろうか。
コメント
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読了しました!シロが一瞬で廃温泉をエメラルドグリーンに輝く神聖な泉に変えちゃうところ、もう圧巻でしたね。主人公が「地殻変動だ」と現実逃避しようとするのも笑えるし、小春ちゃんが涙目でツッコむのもいい味出してる。それにしてもお湯に浸かっただけで傷が治り肌がぷるぷるになるって、完全にファンタジーの回復の泉じゃないですか。シロが浮いてる姿も可愛すぎて、思わず「尊い…」って声が出ました。最後の「俺はただ猫と昼寝がしたかっただけなのに」の切なさがまた、この物語の魅力ですね。次回も楽しみです!