花が海の向こうに消えたあと、結衣は砂浜に立ち尽くしていた。波が足元を洗うたび、胸の奥にぽっかり穴が開いたような感覚。
でもその穴は、ひどく痛いけれど、もやもやする感情ではなかった。
ただ、静かに、確かに存在する痛みだった。
結衣はヘアゴムを握りしめ、海を見つめた。
光が波に反射して、眩しくて、どこか遠くて、けれど確かなものだった。
花が選んだ道。
もう戻れないことを、結衣は受け入れるしかなかった。
「花……」
小さく、けれど胸から絞り出すように声を出す。
それでも海の音にすぐにかき消される。
それでいい。
声は届かなくてもいい。
花はもう、結衣の世界にはいないのだから。
結衣は静かに、浜辺に座り込み、冷たい海水で濡れた手を握った。
空は徐々に明るくなり、光が波間を照らす。
悲しさだけが残り、でも胸の中に澱のようなもやもやはない。
それが、花が結衣に最後に残した優しさの証のように思えた。
結衣は深呼吸して、立ち上がる。
海風が冷たく、髪を撫でる。
でもその冷たさは、心を締めつける痛みだけで、苛立ちや疑問はもう残らなかった。
すべては、終わったのだ。
結衣はゆっくりと歩き出す。
足元の砂が崩れるたび、花の記憶が淡く揺れる。
でも、痛みの中に、ほんの少しの清らかさもある。
花が選んだことを、結衣は尊重していたからだ。
「……ありがとう、花。」
涙はまだ流れるけれど、もう叫ぶことはしない。
ただ、胸の奥で静かに花を想う。
それだけで十分だった。
――静かな海の音が、結衣の心を包む。
悲しさはあっても、もやもやはない。
花は確かに存在し、そして、静かに去ったのだ。
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