テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
バルカは巨大となったグラン王国の内実を静かに見つめていた。
海を軸とした交易網は王都へ集約され、
動員兵力は九十四万を超える。
いずれ、この巨人はスパルーニャへ牙を向くだろう。
(迎え撃ち、山中でゲリラ戦を仕掛けるか。)
だが、すぐに首を横へ振る。
(違う。)
(巨人には、巨人ゆえの弱点がある。)
地図へ視線を落とす。
「ガラリア……」
北方では、グラン軍が泥沼の戦いを続けている。
チェルシーの掃討戦は思うように進まず、
アルミンの勢力は日ごとに拡大していた。
ガラリアは、今のグランにとって鬼門ともいうべき土地だった。
海路も沿岸も、マゴの言うとおりだ。
いまやグラン海軍の庭でしかない。
(ならば――。)
バルカの指が、一本の細い線をなぞる。
アルペス山脈。
標高三千メートル。
天を衝く白き山脈を越える、ただ一つの道。
トラベル峠。
「ここだ。」
バルカは窓の外へ目を向けた。
空は鉛色に曇り始め、
山々の頂には、うっすらと白い雪が積もり始めている。
「もうすぐ、雪の季節が来る。」
スピリタスは赴任先へ向かう船の甲板に立っていた。
「どうしてライナー様は、スピリタス様をキュレニア総督に任命されたんですか?」
パーカー兄弟の兄、ジェームスが尋ねる。
「ん?」
「豊かな属州とはいえ、少し前までは敵国だった場所でしょう。」
「それも理由の一つだろうね。」
スピリタスは穏やかに海を眺めた。
「それに、ここなら海を挟んでスパルーニャは目の前だ。」
「例のバルカって人がいるんでしょ?」
弟のチャールズが身を乗り出す。
「だったら、今のうちに攻め滅ぼせばいいのに。」
スピリタスは小さく笑った。
「そんなに簡単なら、誰も苦労しないさ。」
しばらく沈黙が流れる。
「ライナー王が目指しているのはね……。」
二人は耳を傾けた。
「平和が長く続けば、人は戦争を忘れていく。」
「争うより、商売をし、家族を育て、豊かに暮らす方を選ぶようになる。」
「そんな世界を築きたいんだと思う。」
チャールズが首をかしげる。
「そんな時代、本当に来るの?」
スピリタスは水平線の彼方を見つめながら、静かに答えた。
「パクス・グラーナ。」
「グランがもたらす平和。」
「俺は、その時代が来ると信じたい。」
雪は容赦なく降り続いていた。
アルペス山脈。
天を貫く白銀の峰々は、人の侵入を拒むかのように荒れ狂う。
吹きつける風は肌を切り裂き、兵たちは身を寄せ合いながら、
一歩、また一歩と険しい山道を進んでいた。
「将軍、このままでは兵がもちません!」
副官であるバルカの弟マゴが声を張り上げる。
振り返れば、崖下へ転落した荷馬車が雪煙を上げながら谷底へ消えていく。
食糧を積んだ荷車だった。
疲労で足を止めた兵は、そのまま雪へ倒れ込み、二度と立ち上がることはない。
凍てつく風は命そのものを奪っていく。
「引き返しましょう!」
誰かが叫んだ。
「いったん止まり別のルートを探すというのは」
その言葉に、兵たちの間へわずかな希望が広がる。
しかし、バルカは静かに首を横へ振った。
「いや、だめだ、そのまま進む」
その一言で、誰も口を閉ざした。
「すでにガラリアには使者を送ってある」
「ここを超えれば向こうで合流できる。」
バルカは険しい山頂を見上げる。
「敵が来ないと信じる道こそ、最大の進軍路だ。」
その視線の先には、雪に埋もれた細い獣道しかなかった。
そのときだった。
谷の向こうから、大きな咆哮が響く。
兵たちが一斉に振り向く。
白い息を吐きながら、巨大な戦象たちが雪を踏みしめていた。
長い鼻で雪を払い、太い脚で岩を押しのけながら、一歩ずつ前へ進んでいく。
「すごい……。」
若い兵が思わずつぶやく。
人が立ち止まる雪原を、象たちは力強く歩いていた。
その姿は、まるで山そのものへ挑む巨人のようだった。
バルカは先頭の象へ手を置く。
「お前たちも、ここまでよく来てくれた。」
象は静かに鼻を鳴らした。
吹雪はさらに激しさを増す。
それでも行軍は止まらない。
兵も、馬も、象も。
ただ前だけを見つめ、白銀の世界を進み続けた。
幾日が過ぎた頃――。
先頭を歩いていた斥候が、山頂で声を上げる。
「見えた!」
兵たちは一斉に駆け寄った。
眼下には、果てしなく広がる緑の平原。
その先には豊かな都市と街道が幾筋も延びている。
その先に見えるのは、グラン王国北部ティキスス川だった。
バルカは静かに剣の柄へ手を添える。
「ここからが戦いだ。」
雪山を越えた兵たちは歓声を上げた。
その歓声は冬空へ響き渡り、やがて南の王都へ届くことになる。
――誰も越えられないと信じていたアルペスを、
一人の将軍が、象とともに越えたという報せとともに。
バルカは、前人未到といわれた冬のアルペスを、わずか十五日で踏破した。
四万六千を数えた軍勢は、
山を越えた時には二万ほど失っていた。
それでも軍が崩壊しなかったのは、
バケモノじみた統率力と、
悪魔に魂を売ったかのような執念があったからである。
誰も予想しなかった北方から、
復讐の軍勢はグラン王国へ姿を現す。
ライナーが夢見た「パクス・グラーナ」。
その平和は今、
一人の復讐に燃える軍略家によって、
破られようとしていた。
#異世界
眠狂四郎
1,002
柊遊馬
4,994
#軍師
コメント
1件
「バルカ将軍、冬のアルペス越えか…格好良すぎるわ。戦象を連れて行く発想、完全に盲点だった。グラン94万に対してスパルーニャ4万、しかもゲリラ戦を考えたあと即座に「巨人の弱点」を突くルート選び…軍略家ってこういう人のことを言うんだなって実感した。スピリタスの穏やかな理想論と、バルカの執念がぶつかる構図も熱い。復讐の軍勢というタイトル回収が綺麗だった🔥」