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ある晴れた日の午後。 エステルは隠れ家の庭でベリーを集めていた。 これでジャムを作るつもりなのだ。
先日、エステルは食材についてアルファルドに相談してみた。 その結果、いろいろと買い足してもらえることになり、おかげでパンの材料もそろったので、今はエステルがパンを焼いて朝食に出していた。
(バターだけでもいいけど、ジャムもあったらもっと美味しいわよね。せっかく庭でベリーが採れるんだから、ありがたく使わせてもらわないと)
ふんふんと鼻歌を歌いながらベリー摘みに励むエステルを、ミラが家の窓から眺めている。
開け放した窓から風に乗って、ミラの寂しそうな声が聞こえてきた。
「僕もエステルと一緒にベリーを摘みたかったな……」
「ミラ……。ごめんね、ミラはお外に出たらいけないって言われているから……」
エステルも可哀想に思ったが、家主の命を破るわけにもいかない。 気の毒だが仕方ないと思おうとしたのだが。
「どうしても、だめ……?」
寂しさに耐えられないというように、ミラが大きな目を潤ませて尋ねてくる。
こんな天使の化身のような幼気な子の訴えを跳ねのけるなど、普通の人間にできるだろうか。
(いえ、できるはずがないわ……!)
エステルはあっさりと陥落した。
(家から出てはだめといっても、庭くらいだったら世話係のわたしがいれば大丈夫よね)
エステルはそう結論づけ、ミラを手招きした。
「ミラ、こっちへいらっしゃい。一緒にベリーを摘みましょう」
「うんっ! ありがとう、エステル!」
それから、エステルはミラと一緒にベリーを山ほど収穫した。
一粒かじって味見をしてみたり、庭に出るのが初めてだと言うミラに野花の名前を教えてあげたり、ときに笑い声をあげながら楽しく過ごした。
──そこへ、アルファルドがやって来るまでは。
ひとしきり庭遊びを楽しみ、そろそろ家の中に入ろうかとエステルがベリーの入ったかごを持ち上げたとき、後ろから冷えびえとした声が聞こえてきた。
「ミラを外には出すなと言ったはずだ」
心臓を突き刺すような鋭い声。
エステルは慌てて振り返った。
「す、すみません……! 庭くらいならわたしも付いていますし、大丈夫かと思って……」
「言い訳は無用だ。私はミラを外に出すなと言った。こんな簡単な約束も守らず、勝手なことをするなら、出ていってもらうしかない」
「そんな……!」
ただの脅しではない、本気の表情だ。
ミラもそれを悟り、焦ったように声をあげた。
「待って、アルファルド! 僕が外に出たくてエステルにお願いしたの。だから、悪いのはエステルじゃなくて僕だよ。ごめんなさい、もうしないから許して……」
ミラが必死でアルファルドに許しを乞う。
いつもなら、ミラが頼めばアルファルドは言うことを聞いてくれた。
だから今回も許してくれるのでは……とエステルは期待したが、アルファルドは首を横に振った。
「だめだ。私に確認もせず勝手なことをする者をこの家に置くことはできない。エステル・ガーネット、今日中に出て行ってくれ」
アルファルドが淡々と追放を言い渡す。
容赦ない宣告に、エステルの頭は真っ白になったが、アルファルドの言うことはもっともだ。
家主の言いつけを自己判断で破った自分がすべて悪い。
どんなにここを出たくなくても、ミラから離れてしまいたくなくても、信頼を失ってしまった以上、もうここで居候させてもらうことはできない。
エステルは小さく深呼吸すると、か細い声で返事した。
「……はい。呪いの依頼料は必ず貯めてお返しします。短い間でしたが、お世話になりました」
アルファルドに一礼し、早足で家の中へと向かおうとする。
しかし、そんなエステルを引き留めるように、小さな手がすがりついてきた。
「やだっ……! 行かないで! 行っちゃやだよ、エステル!」
ミラが涙声で駄々をこねる。
「ミラ、手を放せ」
アルファルドが言い聞かせるが、ミラはぶんぶんと首を振って拒否する。
「やだ、エステルが行くなら僕も一緒に行く!」
「無理だ。聞き分けてくれ、ミラ」
「やだったらやだ!」
エステルの手をミラが両手で握りしめる。
「ミラ……」
アルファルドが、どこか困惑した様子で眉をひそめる。 普段、聞き分けのいいミラのわがままに驚いているのかもしれない。
「ミラ、お前を守るためなんだ。彼女のような不注意な者には任せられない」
「知らない! エステルのことを悪く言わないで! アルファルドの馬鹿!」
「ミラ……?」
ミラの言葉に、アルファルドの目が大きく見開かれる。
「馬鹿」と言われたことに相当なショックを受けたらしい。
ミラのわがままも珍しいが、アルファルドの表情がこれほど崩れるのを見るのも初めてだ。
エステルの手を握ったまま離さないミラに、深刻な表情で立ち尽くすアルファルド。
このままでは埒があかないと思ったエステルは、アルファルドに向かって深々と頭を下げた。
「──アルファルド様、今回のことは本当に申し訳ありませんでした。今後は何でもしっかり確認しますので、どうか今回だけはお許しいただけないでしょうか」
誠心誠意謝り、一度だけ許してほしいとお願いすると、アルファルドはしばらく無言でエステルを見つめたあと、ゆっくりと口を開いた。
「……分かった」
いつもより随分と小さな声だった。
その日の夜。
ミラがひとりでエステルの部屋へとやって来た。
「えっとね、エステルにおやすみなさいを言おうと思って。……あと、今日はごめんなさい……」
「いいのよ、気にしないで。結局、アルファルド様には許してもらえたんだし。ね?」
「うん……。エステルが出て行かなくてよくなって、僕、本当に安心したんだ」
「わたしもよ。ミラと一緒にいられて嬉しい」
エステルがぎゅっとミラを抱きしめると、ミラも嬉しそうに頭を寄せてくれた。
(本当に可愛い子……)
まだ出会っていくらも経っていないのに、ミラはエステルにとって、すっかり大切な存在になってしまった。
さらさらの髪も、きらきらした丸い目も、ふくふくのほっぺたも、すべてが愛おしい。
抱きしめていた腕をほどき、ミラの小さくて形のよい頭をよしよしと撫でる。
「ミラ、元気で幸せに育ってちょうだいね」
思わずそんな願い事をささやくと、ミラは驚いたようにエステルを見つめ、幸せそうに微笑んだ。
「ありがとう。僕、エステルのこと大好き。ずっと一緒にいてね」
それから、自分の部屋へと戻るミラを見送ったあと、エステルはあの愛しい子が健やかでいられるよう自分がしっかり守らなければと、自室でひとり決意したのだった。