コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
翌朝、エステルは朝食を作り、食卓を整えていた。
あとはパンを出すだけね、と台所に戻ろうとしたところで、起床したアルファルドがやって来て目が合った。
昨日の今日なので、さすがにまだ少し気まずい。
「お、おはようございます。昨日は申し訳ありませんでした。今日からしっかり気をつけて頑張りますので、よろしくお願いいたします」
ぺこりとお辞儀をすると、アルファルドがぼそりと返事した。
「いや、私も過敏すぎたかもしれない。……申し訳なかった」
「……え!?」
アルファルドの口から「申し訳ない」という言葉が出てきたことに、エステルは驚いた。
今まで、彼から酷い言葉を投げつけられたときだって謝罪などしてもらったことはなかったのに、一体どうしたのだろうか。
エステルが呆然としていると、アルファルドはさらに驚くことを口にした。
「結界の範囲内であれば、君が一緒ならミラを外に出してもいい。あとで分かりやすくしておく」
「ほっ、本当ですか!? ありがとうございます! よかった……」
まさかアルファルドが禁止を解いてくれるとは思わなかった。 エステルが喜びの声をあげると、ちょうどミラが寝ぼけまなこで起きてきた。
「おはよう。今、エステルの声が聞こえたけど、何かいいことがあったの?」
まだ状況を分かっていないミラに、エステルが朗報を伝える。
「アルファルド様がね、これからは結界の内側だったら、私と一緒にミラも外に出ていいって言ってくださったのよ」
「えっ! 本当に!? これからはお外で遊んでもいいの?」
一気に眠気が覚めた様子のミラが、大きな目を見開いてアルファルドを見上げる。
「ああ、本当だ」
「嬉しい……。ありがとう、アルファルド!」
よほど嬉しかったのか、ミラが勢いよくアルファルドに抱きつく。
ミラの行動に驚いて、手のやり場に迷っているアルファルドが、なんだか微笑ましい。
「朝ごはんを食べたらお外で遊びたいな」
「ああ、エステルと遊んでくるといい」
「アルファルドもだよ。三人で遊ぶの」
「……私も?」
自分も含まれているとは思わなかったらしいアルファルドが戸惑いぎみに聞き返す。
「うん! 昨日のベリー摘み、すごく楽しかったから、アルファルドも一緒にしよう? それでジャムを作るの」
「……分かった」
ジャム用のベリーは昨日たくさん摘んだが、ミラとアルファルドが一緒に摘むというなら、ぜひやらせてあげたい。
(ふふっ、ジャムが1年分くらい作れそうね)
会話しながら席に着く二人を微笑ましく眺めながら、エステルは焼きたてのパンを食卓に運ぶのだった。
◇◇◇
朝食を終えたあと、エステルはミラとアルファルドと一緒に庭へ出た。
「それじゃあ、今日もたくさんベリーを摘みましょう」
「うん!」
「……」
アルファルドに説明は不要だろうと思い、そのまま摘み始めてもらったエステルだったが、10秒後、それが誤りだったことを知る。
ブシュッ!
いきなり横から赤い飛沫が飛んできて、エステルは仰天した。
「きゃあっ!! アルファルド様、手が……!?」
手のひらが赤く染まったアルファルドを見て、まさか怪我でもしたのかとエステルが焦る。
しかし、アルファルドは無表情のままエステルを見つめて、ぽつりと呟いた。
「……潰してしまった」
どうやらベリー摘みは初めてだったらしく、一度にまとめて摘もうとして握りつぶしてしまったらしい。
血まみれのような見た目が若干怖かったが、意外な不器用さにどこか愛嬌が感じられて、エステルは思わず笑ってしまった。
「ふふっ、ベリーは一粒ずつ摘んだほうがいいですよ。もっと付け根のほうを持って、優しく摘むと潰れずに採れますから」
「アルファルド、ほら、こうやって摘むんだよ」
「なるほど、こうか……?」
昨日、摘み方を覚えたミラが一生懸命アルファルドに教えてあげる様子がとても可愛いらしい。
それから、ミラのお手本のおかげもあり、すぐにベリー摘みをマスターしたアルファルドがどんどんベリーを収穫してくれ、あっという間にカゴがいっぱいになった。
「ミラもアルファルド様もお疲れ様でした」
「もうジャム作れる?」
「ええ。でもその前に、よく洗って、しっかり水気を拭かないと。これだけ量があると、ちょっと大変そうだけど……」
ふたカゴ分のベリーを目の前にして苦笑していると、ミラがアルファルドの服をちょんと引っ張った。そして期待に満ちた眼差しで見上げる。
「アルファルドの魔法なら、簡単にできるよね?」
「……」
「アルファルドも早くジャムを作りたいよね!?」
「…………仕方ない」
ミラのきらきらした眼差しに負けたのか、案外アルファルドも早くジャムを作りたかったのか、真実は分からないがアルファルドが魔法を使う。
すると、あっという間にベリーが綺麗に洗われ、水気も切られて、準備万端の状態になった。
「なんて素晴らしい魔法なの……!」
こんなに楽に手間が省けてしまうなんて、アルファルド様々だ。 感動するエステルの横で、ミラがぴょんぴょんと跳びはねる。
「エステル! 早く作ろう!」
「ふふ、今日のミラはせっかちさんね」
待ちきれない様子ではしゃぐミラに和みつつ、エステルは手早く必要なものを用意する。
「ジャムを作るには、このお鍋にベリーとたっぷりのお砂糖を入れて煮込むのよ」
本当はレモン汁も入れたいところだが、あいにくここにはないので今回はベリーと砂糖だけで作ることにする。
ミラと一緒に材料を混ぜ、鍋を火にかける。
「焦げつかないように、こうやってヘラで混ぜながら煮込むの」
ミラが踏み台に乗り、興味津々で鍋の中を覗きこむ。
「エステル、僕もまぜまぜしていい?」
「いいわよ。でも、熱いから気をつけてね」
「うん! ベリーのジャム、おいしくなーれ、おいしくなーれ」
可愛い呪文を唱えながら、ミラが一生懸命にぐるぐるとかき混ぜる。その天使のような姿に、エステルは天国はここにあったのかと心の中で祈りを捧げた。
それから、途中でかき混ぜ役を交代しながら順調に煮詰め、とうとうベリーのジャムが完成した。
「やったぁ! 僕、初めてジャムを作ったよ!」
瓶に詰めたジャムを眺めながら、ミラが嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「頑張ったわね。まだ熱いし、1日寝かせたほうが美味しくなるから、明日の朝食で食べましょうか」
「うん、そうする! 楽しみだね、アルファルド!」
「……そうだな」
ミラと同じく、アルファルドの紫色の瞳も、瓶詰めのジャムへと注がれていた。
◇◇◇
エステルが台所の後片付けを終えると、ミラはソファでうとうとと眠たそうにしていた。
「ミラ、眠くなっちゃった?」
「うん……」
「ジャム作りで頑張ってくれたものね」
ミラの頭をなでてやると、ミラがもじもじした様子で「エステル、あのね……」と話しかけてきた。
「どうしたの、ミラ?」
「えっとね、ちょっとお願い事があって……」
「なあに、言ってみて?」
「あのね……僕、エステルのおひざで寝てもいい?」
甘えるように上目遣いで見上げてくるミラに、エステルの胸がきゅんと高鳴る。
(なんて可愛いお願いなの……!)
きっと、この間読んだ絵本で、小さな男の子がお母さんのひざで眠るシーンがあったから、その影響だろう。 こんなお願い事だったら、いくらでも聞いてあげたい。
……とエステルは思ったが、近くで本を読んでいたアルファルドがガタッと音を立て、珍しくミラに口出しした。
「ミラ、あまりそういう……無理なことを言うんじゃない」
もしや、自分のことを気にかけてくれているのだろうか。
だが、どこかのおじさんや知らない子に頼まれたならともかく、ミラだったらまったく無理だなんて思わない。
ひざの一つや二つ、ミラがすやすやと眠りにつくまで、なんだったら目が覚めるまで貸したって構わない。
「アルファルド様、大丈夫ですよ。ミラのお願いなら大歓迎です!」
「いや、しかし──」
「ミラ、はいどうぞ」
妙に渋るアルファルドを無視し、エステルがミラの横に座って膝を差し出す。
「ありがとう、エステル」
エステルの膝の上にころんと横になったミラは「エステル、大好き」と言って幸せそうに笑ったあと、すぐに寝息を立て始めた。本当に眠かったらしい。
すぅすぅと寝息まで可愛らしいミラに、そっとブランケットを被せる。
すると、アルファルドが気まずそうに謝ってきた。
「……ミラがすまない」
「そんなこと気にしないでください」
無邪気に眠るミラへ困ったような視線を落とすアルファルドに、エステルが笑って答える。
「私もミラが大好きだから、こうして甘えてくれてすごく嬉しいんです」
膝の上の温かな感触が愛おしい。
いい夢が見られますようにと願いを込めながら、ミラの柔らかな髪を優しくなでる。
「……」
アルファルドはそんなエステルをどこか複雑な顔で見つめると、「そうか……」と一言呟いて部屋を出て行ってしまった。
(今日のアルファルド様は、なんだか不思議な感じ……)
いつも気難しくて近寄りがたかったのに、朝から謝罪してくれたり、一緒にベリー摘みもしてくれ、少し親近感が湧いてきた。
(もしかしたら、ちょっとずつ距離が縮まってきた……?)
ひとつ屋根の下に暮らしているのだから、できるならアルファルドともいい関係を築きたい。
(素っ気ないところもある……というかほとんど素っ気なさしかないけど、なんだか憎めないのよね。ミラと見た目が似てるせいかしら?)
ミラの顔にかかっていた髪の毛をそっと耳にかけてやり、その天使のような寝顔を眺める。
(──この家に来られてよかった)
ここでは、聖女としてではなく、ただのエステルとして接してもらえる。
それがとても居心地よかった。
エステルは、ミラの柔らかな頬をなでながら、神殿では得られなかった穏やかな幸せを噛みしめた。