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目を閉じると浮かぶ、高貴な令嬢であろうとすまし顔をしてみせる、マリエッタのツンとした顔。
僕の表情は緊張感がなさすぎるからもっと引き締めろと怒る顔に、言い方が悪かったと、ひっそりと落ち込んでいる顔。
苦手なことも納得いくまで何度だって諦めずに挑んで、やり遂げた時には即座に報告してくる、嬉し気な顔。
そして、なによりも。
「ね、ルキウスさま。ルキウスさまは私を大好きなようだから、私もいちばんに、なかよくしてあげてもよくってよ?」
強気な言葉とは裏腹に、照れくさそうに頬を染めて。
チラチラと僕を見上げてくるマリエッタは、さぞかし不安だったに違いない。
「ありがとう、マリエッタ。すごく嬉しいよ」
そう返した途端に、心底嬉しそうに笑ってくれた顔。
「ま、とはいえ」
ミズキの声が、僕の意識を引き戻す。
「将来を決めるには、まだ早すぎる年だろう? 見たところ、十もいってないようだしねえ。じっくりとよく考えて――」
「その必要はないよ」
僕はミズキをまっすぐに見つめながら、
「僕は、マリエッタと婚約する。……必ず、婚約してみせる」
「……そそのかしたのは私だけれどもね、本当にいいのかい? お前さんは、まだまだこれから世界が広がっていく。知識も、人間関係もね。夢はただの夢で終わってしまうかもしれないし、お前さんだって、心から好いた相手が出来るかもしれない」
「心配ないよ。だって僕は、マリエッタが可愛くてたまらないもの。この気持ちがもっと膨らむことはあっても、他に移ったり、無くなってしまうなんてあり得ない」
「……そうかい。強い子は好きだよ」
ミズキは優しい声でそう言うと、僕の”湯呑み”というカップにお茶を追加で注いでくれる。
「私のところには、いつでも来てくれて構わないからね。好きなように頼っておいで」
そうして決意を固めた僕は家に戻るなり、父上にマリエッタとの婚約を願い出た。
父上は驚いていたけれど、僕とマリエッタが既に仲が良かったこともあって、特に深く追求もせずにマリエッタの父上に話をしてくれた。
回答は、早かった。
マリエッタが喜んで了承してくれたからではない。マリエッタの父上が、二つ返事で了承してくれたからだ。
というのも、僕の父上は王立黒騎士団の遊撃隊副隊長で、昔、紫焔獣に襲われたマリエッタの父上を助け、傷を負った過去がある。
僕の父上は”よくあることだから気にする必要はない”とマリエッタの父上に言ったそうだけれど、マリエッタの父上は恩義を感じているらしく。
その日を境に両家の交流は深まっていったという。
騎士階級である僕と、侯爵家の令嬢であるマリエッタ。
僕らが幼い頃から頻繁に顔を合わせていたのには、そうした背景がある。
(マリエッタには、悪いことをしちゃったな)
僕のせいで、彼女は五歳という幼さで婚約の自由を奪われた。
これから誰を愛そうと、僕との婚約を破棄しない限り、僕の妻になるしかない。
(かわいそうなマリエッタ)
だから、せめて。せめて彼女が少しでも僕を好いてくれるように、立派な男になってみせよう。
強さはもちろん、世界の誰よりも愛して、大切にして。
たとえ僕を一番に愛せなくとも、僕と結婚して、悪くなかったと思ってもらえるように。
そして、もし。マリエッタにあの悪夢の”運命”が訪れてしまった、その時は。
彼女を害する全てをこの手で薙ぎ払って、一緒に、どこまでも逃げてみせよう。
(王子だろうが聖女だろうが、マリエッタを殺させなんかしない)
誓ったあの日から一回りも二回りも大きくなった両の手は、すっかり皮膚を硬くして、剣に馴染むようになった。
マリエッタとは大きなトラブルもなく、良い関係で大人になれていたし。僕の妨害も相まって、アベル様とは接点もなければ婚約の話なんて一度も出ていなかったから。
悪夢は悪夢で終わってくれるだろうと、安心していたのに。
(まさか、マリエッタのデビュタントが引き金になるなんてね)
聖女はまだ見つかっていない。アベル様が愛し、婚約破棄の原因となり得る聖女だ。
アベル様とマリエッタが婚約を結んだ後に、満を持して現れるという筋書きなのだろうか。
だとすると、二人の婚約が果たされなかった場合は、聖女が現れない可能性も――?
「マリエッタ様、いい子だね」
目の前の、あの日から多少髪が伸びた程度しか変わっていないミズキが、マリエッタの姿を思い起こすようにして言う。
「いくらお前さんの馴染みだとはいえ、こんな得たいの知れない店で怪しげな相手から、初めて見るお茶と菓子を出されてさ。普通のご令嬢なら、嫌がって口を付けないだろうよ。良くて礼儀程度に、お茶に口をつけるフリかな。だというのに、あんなキラキラした目で美味しい美味しいって平らげちまって、心の温かな国なんでしょうねって」
ミズキはクツクツと喉を鳴らして、茶化すように細めた目で僕を見る。
「十にも満たない子供に将来の伴侶を決めさせるなんて、我ながら酷なことをしちまったと良心が痛んでいたんだけども。あんな純粋で綺麗な子がお相手なんじゃあ、必要のない心配だったね。今日の今日まで紹介してくれなかった理由がよく分かったよ」
「いくらミズキとはいえ、マリエッタに手を出したらただじゃおかないよ」
「おやま、そんなに私は信用ないかねえ。あの子の破滅回避に向けて、さんざん悩み合った仲だというのに」
顔を袖で覆ってさめざめと泣くふりをしてみせるミズキに、僕はため息をひとつ。
「だからこそ、だよ。ミズキは僕とあの夢と共有しているぶん、他よりもマリエッタに思い入れがあるのだもの。気に入った相手には、とことん甘いだろう、キミ」
「なあに、ルキウスほどではないさ」
「マリエッタの一番がアベル様なのは仕方ないとはいえ、二番の座は誰にも取られたくないんだよね」
「それは私が決めることではないよ。これまで”婚約者”として側にいたというのに、随分と弱気なもんだねえ、ルキウス?」
楽しそうに笑うミズキには、僕の心情なんて絶対に伝わらない。
マリエッタに好いてもらえるように、マリエッタに、選んでもらえるように。大切に、大切に。
女性が好むだろう紳士のつもりで接し続けた結果、”妹扱い”だと一蹴されてしまった、僕の心情なんて。
「……ミズキには分からないよ」
「あっはは! いくら”黒騎士”の二つ名を得ようと、若いねえ、ルキウス」
「……ミズキ、そろそろ本当の歳を教えてくれたっていいんじゃない?」
「そうしてやりたいのは山々なんだけれどね、自分でもとっくに忘れちまったのさ」
(また誤魔化して……)
いったい、年齢を隠すことにどんな意味があるというのだろうか。
じとりと見遣る僕に、ミズキは「すまないね」とやっぱり楽し気に笑いながら言う。
それからふと、瞳を慈愛に緩めて、
「頑張りな、ルキウス。若いからこそ、お前さんだからこそ出来ることがある。星は回り始めた。”真実の恋”に出会ってしまったマリエッタ様が悪女に堕ちるか否か、踏ん張りどころだよ」
「……わかってる」
「もののついでだ、お前さんの星まわりも視ておくかい?」
「遠慮しておくよ。僕、運命ってヤツが大嫌いなんだ。自分の道は、自分で選びたいからね」
「こんな時でもお前さんは、変わらないねえ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
救ってみせる。僕が。
たとえその心が、死ぬまで”運命の人”に向いていようとも。
僕は、僕だけは。なにがあってもマリエッタを、信じ続けてみせる。
「……望むところだよ」
ミズキにではなく、僕は見えない”運命”とやらに向かって呟く。
「キミがいくら悲劇を望もうと、マリエッタは譲ってあげないよ」