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抱きたい――そう、言われて流されるように押し倒されたまではよかった。
「……わりぃ」
「春ちゃん?」
別に嫌いとかじゃない。ただ、空白の十年を埋めるには、こんなんじゃダメだと思ったんだ。順序とかすっ飛ばして、身体を重ねられるような、俺達にとってあの十年っていう空白は簡単には埋められない。
小学生の頃に海外へと旅だった幼馴染みであり親友であった、現恋人の神津恭《かみづゆき》は長い三つ編みにした亜麻色の髪を垂れ下げ、若竹色の瞳で俺を見下ろしていた。
恐怖とかそういう感情よりも、すっぽりと抜けた穴になった所に感情がつめられなくて、このまま抱かれても生産性も何もない、愛も何もない行為になってしまうのが怖くて、俺は恋人を拒んでしまった。神津は、俺を見て悲しそうに笑ったが、俺の上から退くと、ボフンと横に寝転がった。
「そうだね。ごめん、春ちゃん。怖かった?」
「いや、怖くねえよ……一応、恋人だし」
「一応って何~」
と、神津は子供のように俺の頬をつついていた。強がってるのか。その本心を隠すように笑う恋人の顔を見ていると申し訳なくなった。確かに身体も震えているし、怖かった、と聞かれるくらい、神津の事を不安にさせているのも分かった。ただ、勇気がない、俺のせい。
俺――明智春《あけちはる》は、十年も離れていた天才ピアニストの恋人――現探偵、神津恭との初夜に失敗し、彼の大きな手に包まれ、胸の中に閉じ込められた。
――――――
――――――――――
「依頼が来ねえ!」
「春ちゃん今日機嫌悪いね~」
俺は事務所のソファの上で寝転がりながら、机に向かって仕事をしている神津を睨みつけた。
だが、神津はそんなこと気にする様子もなく、書類にペンを走らせている。
くそっ! と、俺は毒づいた。そして、勢いよく立ち上がると、そのまま神津の所まで行き、バンっと彼の目の前のテーブルに手を叩きつけてやる。
「つか、お前は何してんだよ」
「僕? 僕は僕の仕事。春ちゃんと違って、依頼は山ほど来るからね~」
「嫌味か?」
むっと口を尖らせて、俺は再びどかっとソファに座ってやった。
数ヶ月前に立ち上げた探偵事務所。勿論所長は俺で、社員も俺と一応神津、社名はそのまま明智探偵事務所。元は、警察を目指していたが、上司と色々あってからやめた。ほんと、一年、二年もったかぐらいで、あれだけ目指していたはずなのに、意外とあっさりやめられるもんなんだなと、感じた。思い出がなかったわけじゃない。少なくとも、警察学校時代は――
「依頼……なあ……」
仕事がないならまだしも、こうやって事務所を構えてから依頼は指で数えるほど。それに比べ、神津の所には次々に依頼が舞い込んでくるのだからそりゃあ、イラつくだろう。
といっても、神津は世界的に有名な「元」プロのピアニストだったし、それでもって神津の母親はプロのヴァイオリニスト。海外での神津の活躍は何も知らないが、依頼が舞い込んでくると言う点から見て、あっちでも事件を解決しその頭脳や洞察力その他諸々全てを評価されているのだろう。俺とは大違いだ。これでも、神津に自分がそこまで劣っているとは思いたくないのだが。
(まあ、それもあるが一番は……)
俺はちらりと神津を見た。亜麻色の髪はたらんと三つ編みに結われ垂れ下がっており、若竹色の瞳は垂れ目で、きりっと眉は上がっている。端正な顔立ちで、その横顔も美しい。
そう、神津は容姿も良いのだ。
それはもう女が放っておかないだろうと思うくらいには綺麗な顔をしていて、背も高い。俺なんかよりよっぽど男らしいし、性格だって紳士的だ。
そんな神津は俺の恋人な訳で。会わなかった十年の間に、何を食べてそんなにイケメンに育ってしまったのか。俺はそこまで身長が伸びなかったのにもかかわらず、彼奴は一八〇近くはあるだろう。
俺はふぅとため息をつくと、神津が不思議そうに首を傾げた。たらんと垂れ下がる亜麻色の三つ編みは、いつみても丁寧に編み込まれている。
「何? 春ちゃん」
「いや、何でもねえよ……仕事してろよ。山ほどあるんだろ?」
「そうだね」
つい見惚れていたとかそういうのは決して言わないし、悟られないためにも誤魔化したが、俺はその後もちらりと神津を見ていた。彼は、依頼書に目を通しつつ、真剣に考えているようで、俺の視線など気にならないようだった。
(澄ました顔してんのがむかつく……)
俺は、相当あの神津との初夜を引きずっているというのに、神津は何事もなかったように振る舞っていて、それが余計俺の神経を逆撫でしていた。
昨日、俺達は初夜に失敗した。俺が拒んだから。
俺達は幼馴染みで、家も隣同士。母親も学生時代からの付き合いでそれはもう、長い付き合いになるはずだった……しかし、神津の母親は天才ヴァイオリニストで、父親も海外転勤が多いため、神津もそれについていくことになった。それがかれこれ十年前。俺達は今、二十二歳。
それも十年の間、神津は俺に連絡一つよこさなかった。ただ、引っ越し際に俺のファーストキスを奪って、恋人だね、って笑って……それか時効にならずに、十年間離ればなれの恋人になってしまったわけだが。つい先月「帰る」の一言連絡を入れた神津は俺の元に帰ってきた。また熱烈なキスを再会一番にかまして――
「春ちゃん」
「……ん、だよ」
上の空だったせいか、突然神津に声をかけられて、思わず間抜けな返事をした。
「何か悩んでるの?」
「……別に」
「うっそだぁ、絶対何かあるでしょ」
と、手を止めた神津がこちらを見た。若竹色の瞳に見つめられては俺は固唾をグッと飲み込むことしか出来ない。
「僕に言えないこと?」
「……いや、言えない事じゃねえけど」
じゃあ何? と神津は優しく微笑みながら首を傾げる。こいつの顔は、変わってない。十年前は幼さが残っていたが今はその幼さすら感じない。大人の魅力。それでも、神津だと分かるのは、俺も少なからずこいつのことを好いているから……
(いや、単純に、俺好みの顔っつうか……)
そんな神津に俺は観念し、口を開いた。
正直に言えば、神津との距離感が分からなくなった。だからどうすればいいのか迷っているということを告げようと口を開く。
「俺は……神津、俺はな――」
そう言いかけたとき、ピンポーンと無機質なチャイムの音が事務所内に響いた。
その後も鳴り響くチャイムに、俺と神津は顔を合わせる。タイミングが悪すぎると、俺はイライラしつつも、依頼であればいいなと期待もし、事務所の玄関へ向かう。
「はーい、どちら様ですか?」
「よお、久しぶりだな。春」
「高嶺か!?」
「オレもいるよ~久しぶり、ハルハル」
「颯佐まで……」
と、扉を開けるとそこに立っていたのは、赤黒い髪の男と、青黒い髪の少し背の低い男……俺の警察学校時代の同期、高嶺澪《たかねみお》と颯佐空《さつさそら》だった。