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第124話「残量」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・早朝前】
体育館の空気が少しだけ冷たくなる時間帯。
夜が終わる前の、いちばん弱い時間。
泣き疲れて眠る子の呼吸だけが、妙に大きく聞こえる。
床に残った“円”は、まだ消えていなかった。
先生がガムテープで線を引き、体育館の一角を立入禁止にしている。
それでも、そこだけ空気が違う。
冷たい。薄い。吸われる感じがある。
サキはスマホを握りしめ、残量表示を見つめていた。
数字が少ない。
さっきから何度見ても、増えない。
「……充電できないのかな」
サキが小さく言った。
ハレルが息を吐く。
「現実ならコンセントあるのに」
体育館の壁を見回す。
非常用のコンセントはある。けれど停電している。
学園の電気が死んでいる以上、刺しても意味がない。
近くで聞いていた先生が、気まずそうに言った。
「発電機なら……部活用の備品倉庫に小さいのがあるかもしれない」
「でも……動くかどうか」
「ガソリンも……」
教頭が首を振る。
「今は探す人員を割けない。外は危険だ。倉庫へ行くだけでも危ない」
現実的な判断だ。
生徒を守る側の人間の判断。
サキは唇を噛む。
「……じゃあ、私のスマホ、減る一方?」
声が震えている。怖さじゃない。責任の重さで。
ハレルはサキの肩に手を置いた。
「減るのが悪いってわけじゃない。守れたから減った」
「でも……次がある。だから考えよう」
「考える」
その言葉を、ハレル自身が自分に言い聞かせる。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館裏・器具庫前】
アデル、リオ、ヴェルニ、そしてハレルとサキが集まっていた。
セラは姿を見せず、声だけが薄く混じる。
ノノの声はイヤーカフ越しに届く。
「スマホの充電」
アデルが端的に言った。
「できるか」
リオが首を振る。
「こっちの世界に“電気”はあるけど、同じ規格じゃない」
「水晶板の端末と似てるところもあるが、スマホは別物だ」
ヴェルニが肩をすくめる。
「俺の火で温めても増えねえだろ」
「それはやめて」
サキが即答した。
言い方が可笑しくて、ヴェルニが一瞬だけ笑いそうになり、すぐ真顔に戻る。
ノノの声が入る。
『たぶん、普通の方法じゃ無理』
『でも“鍵”が絡むなら別。
スマホが鍵みたいに扱われてるなら、
充電も“資源”じゃなくて“権限”で動いてる可能性ある』
ハレルが眉を寄せる。
「権限……?」
『うん。電池が減るのは、端末の電力っていうより、境界へ払ってる“代償”に近い』
『だから増やすには、逆にどこかから“返してもらう”必要がある』
「返してもらうって……どこから」
ハレルが言うと、セラの声が静かに重なる。
《回路です》
《こちらの世界の魔術回路ではなく、“プログラム層”の回路》
《あなたの父が使った円と、同じ種類の》
ハレルの喉が鳴る。
父。
また父の影が出てくる。
《ただし――試せば、また穴が増えます》
セラの声が少しだけ沈む。
《代償を減らす方法は……まだ見えません》
アデルが即決しないのは珍しい。
だが今は即決できない。
使えば守れる。使えば削れる。
そのジレンマが、円の形をして床に残っている。
リオが言った。
「つまり、スマホは“回復アイテム”じゃない」
「使うほど減る。戻す手段は、まだ不明。――だから使う回数を絞る」
サキが小さく頷く。
「……はい」
分かっている。
分かっている顔が、余計に痛い。
ヴェルニが腕を組んだまま言う。
「なら、穴を塞げるやつが先だろ。ダミエ」
「呼んでる」
アデルが短く返す。
「イルダの守りが落ち着いたら学園へ回す」
ノノの声が速く返ってくる。
『今、ダミエ動かしてる。イルダの穴を最低限塞いだら、学園に向かわせる』
『ただ、学園以外にも転移場所が増えてる。人手が足りない』
その一言で、空気が少し重くなる。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/職員室】
教頭と担任たちは、夜明け前の簡易会議をしていた。
生徒の体調。食料と水。トイレの誘導。
そして――外の危険。
ハレルがそこへ入る。
先生たちの顔が一斉に向く。
「雲賀くん、何か分かったか」
ハレルは一拍だけ迷い、でも言った。
「……ここ以外にも、転移した場所がある可能性が高いです」
教頭の眉が寄る。
「学園以外に?」
「現実側でも転移が増えてるって聞きました」
ハレルは噛み砕いて説明する。
「駅の周辺とか、街の一部とか」
「もし、そこも異世界に飛んでるなら
――向こうにも、現実の人が取り残されてるかもしれない」
職員室が静まる。
先生たちが同時に想像する。
自分たちだけじゃない。
他にも“突然消えた人たち”がいる。
担任が掠れた声で言った。
「……助けに行けるのか」
ハレルはすぐに首を振る。
「今は無理です。俺たちも守りで手一杯」
「でも、考えないといけない。ここだけ守っても、外で増えたら意味がない」
教頭が目を伏せる。
それでも、次の瞬間には顔を上げた。
「分かった。まずはここを崩さない」
「その上で、情報を集める。外の兵士の人たちと連携して」
“情報”。
現実を知らないまま、守り続けるのは無理だ。
だから昨夜、真実を言葉にした。
その続きが、今朝に来ている。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸エリア/クロスゲート関係地・外周道路】
夜明け前の湾岸は、風が冷たい。
潮の匂いに混じって、ガラスを削ったような乾いた匂いがする。
“白い粉”の匂い。日下部が言っていたやつだ。
臨時指揮車両が止まり、城ヶ峰と日下部、数名の隊員が降りた。
周囲は倉庫とフェンス。無人のはずなのに、空気だけがざわついている。
日下部はノートパソコンを抱え、地図ソフトを立ち上げた。
画面の点が、ここで濃くなる。
輪の縁。
そして、輪の縁の上に――小さな円印がひとつ灯る。
「……ここも、円が出る」
日下部の声が掠れる。
「学園側と同じ種類の“痕”。
……向こうが何か使ったか、こっちで何か起きるか」
城ヶ峰はフェンス越しに建物を見る。
窓がない。換気口だけが並んでいる。
元データセンターの外観に近い。
「クロスゲートの“残り香”だな」
城ヶ峰が低く言った。
「使ってない施設のはずなのに、息をしている」
隊員がライトを照らす。
白い粉が舞い、光の中でちらついた。
その時、城ヶ峰のスマホが震えた。
木崎からの着信。
『今、近い。そっちは?』
「湾岸。関係地だ。合流点を送ったはずだ」
『見えてる。……ひとつ言っとく。
現場、一般の警官も自治体も入ってきてる。混ざるぞ』
「分かってる」
木崎が一拍置いて、声を落とした。
『さっき、OL型が一体消えた。痕が残った。日下部の“円”と同じ形だ』
「……確定か」
城ヶ峰の声が硬くなる。
『ああ。便利なもんほど痕を残すって言ってたろ。こっちでも残ってる』
通話が切れる。
日下部が画面を指でなぞる。
「……輪の縁が、また揺れてます」
「向こう(学園側)が使ったのか、こっちがこれから使わされるのか――」
城ヶ峰は即決した。
「入る」
「今この場所を押さえる。中に“次の中心”があるかもしれない」
隊員が頷き、装備を整える。
銃を構える手つきが固い。
相手が“撃って止まるもの”じゃないと、全員が知り始めている。
日下部が唇を噛む。
「……佐伯と村瀬から、追加の情報も来るはずです」
「クロスゲートの“白い施設”の記憶。場所の匂い」
城ヶ峰は頷く。
「使えるものは全部使う」
フェンスの向こうで、金属が小さく鳴った。
風のせいにしては、音が低すぎる。
――誰かが、中から触ったみたいな音。
全員が止まる。
ライトが一点に集まる。
城ヶ峰は小さく指を立てた。黙れ、の合図。
そして低く言う。
「……来るかもしれん」
夜明け前の湾岸で、クロスゲートの関係地が“息をする”音がした。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・円の前】
サキは立入禁止の線の外から、床の円を見つめていた。
光は薄い。
でも、消えない。
「……これ、残ってる」
サキが言う。
「消したはずなのに」
ハレルが頷く。
「穴が残ったんだと思う。……塞がないといけない」
サキのスマホが、掌の中で小さく震えた。
通知はない。
ただ、画面の隅に小さな表示が出る。
《残量:低》
《穴:未処理》
サキは息を呑む。
「……穴、未処理って……書いてある」
ハレルの背中が冷える。
“アプリ”が状況を判断している。
誰が作ったのか。
誰が見ているのか。
セラの声が、耳の奥に薄く触れた。
《だから急いでください》
《混濁は、穴を覚えます》
ハレルは円から目を離し、体育館の奥――眠る生徒たちを見る。
守るべきものがここにある。
でも、世界はここだけじゃない。
守り方を間違えたら、全部が飲まれる。
ハレルは息を吸って、吐いた。
胃の痛みは消えない。
でも、動かなければもっと痛くなる。
「……まずは、穴を塞ぐ」
「それから、外の転移地点の情報を集める」
「……そして、現実へ戻る道を探す」
サキが小さく頷いた。
「うん」
夜明け前の体育館で、円だけが薄く光り続けている。
消えない光が、次の戦いの“入口”みたいだった。
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