【異世界・転移した学園/校庭・朝】
夜がほどける。
森の上に薄い霧が出て、空が青白くなる。
鳥の声――と似た音が遠くで鳴る。けれど、聞き慣れた日本の朝の音じゃない。
ここが“異世界”だと、朝日がいちばん静かに教えてくる。
体育館の中では、眠れた子も眠れなかった子も、同じ顔で朝を迎えていた。
泣き疲れて眠った子のまぶたは腫れている。
眠れずに朝を待った子の目は乾いて赤い。
先生たちは交代で動き、点呼を取り直し、配る水の順番を変え、
「朝だよ」「大丈夫」と声をかけ続ける。
ハレルは校舎の影で、朝の光を見上げた。
胃の痛みは消えない。
でも、朝が来たという事実だけが、少しだけ背骨になる。
(夜を越えた)
(でも、越えただけだ)
床に残った“円”――穴の残りは、体育館にまだある。
ガムテープの線の向こうで、薄い冷気が吸い上がっているのが分かる。
「……ダミエが来る」
アデルが短く言う。
言葉の端に、疲れが滲んでいる。
リオはマスクのまま、体育館の方を一度見た。
(生徒の顔をこれ以上曇らせたくない)
でも、曇るものは曇る。隠しても曇る。
ヴェルニが肩を回す。
「朝ってのは気分が悪いな。夜の方が“覚悟”だけで動ける」
「余計なこと言うなよ」
アデルが即座に切る。
ヴェルニは笑って、黙った。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/西区・路地・朝】
イルダの朝は、静かすぎた。
獣の唸りも、黒い影も減った。
ダミエとイデールの班が押し返した成果だ。
けれど、静かになったぶん、別の音が耳に刺さる。
路地の奥で、誰かが叫んだ。
「見つかったぞ!」
石畳の上に、男が倒れていた。
血は少ない。けれど胸元が裂け、焼けた縁が残っている。
刃ではない。煤の熱に近い。
見回りの兵が唇を噛む。
住民が震える声で言った。
「兵士でした……鎧を着て……紋章を……」
「警備局の紋章……白い外套の部隊の……」
イデールが膝をつき、傷の縁を見て、顔から笑みを消した。
「……影が混ざってる。たぶん、黒い煤の方」
ダミエはフードの下の目だけを細める。
「……偽物でも、本物でも、最悪」
短い言葉が、朝の路地に落ちた。
“兵士の形をした何か”。
それが夜に歩く。
それだけで、街の安心は崩れる。
ダミエは通信結晶を握った。
学園へ向かう準備をしながら、アデルへ報告を送る。
そして、低く付け足す。
「……学園だけ、守ってても終わらない」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した駅周辺/駅舎・朝】
駅の屋根はある。
改札もある。ホームもある。
けれど、駅の外へ出た瞬間、景色が壊れていた。
駅前のビル群はなく、森がある。
舗装路の先が崖のように落ち、線路が途中で“空”に消えている。
それでも駅の中には、人がいた。
サラリーマン。学生。OL。駅員。電車の車掌。
夜のうちに、ここが“異常”だと分かってしまった顔。
駅のコンビニは、扉を閉めていた。
中にいる店員は、レジの裏に隠れるように座っている。
非常用のライトが、棚の影をぼんやり伸ばす。
車両の中にも、まだ人がいる。
眠れずに座席で朝を迎えた人。
スマホで何度も電波を探して、諦めた人。
「ここどこだよ」と言い続ける人。
誰かが泣き出し、誰かが「泣くな」と怒鳴り、
そしてすぐに「ごめん」と言う。
改札前では、駅員が声を張っていた。
「外へ出ないでください! 今は駅構内が一番安全です!」
その声が震えているのに、止まらない。
止めたら崩れるから。
駅の窓の外――森の縁を、黒い影が走ったように見えて、
みんな同時に息を止めた。
朝日が昇っても、安心は来ない。
ただ、夜が終わっただけだ。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸エリア/クロスゲート関係地・施設内】
朝日が昇る。
湾岸の建物群の隙間から、白い光が差す。
城ヶ峰、日下部、特殊部隊、そして同行の警察関係者が、
クロスゲート関係地の内部に入っていた。
廊下は冷たい。
配線の束。床に転がる樹脂の欠片。
何かの端末の残骸。
壁に残る焦げ跡。
「古い施設」の匂いがする。
昔ここで何かが行われていて、急いで放棄された匂い。
日下部がノートパソコンを抱えて言った。
「……奥。反応、濃いです」
城ヶ峰は頷き、前へ進む。
扉を二つ抜けると、広い部屋に出た。
そこだけが異質だった。
部屋の中心に、巨大なサーバーが立っている。
新品に近い。埃がない。
古い残骸の中に、ひとつだけ“今の時代の機械”が生きている。
サーバーは動いていた。
ファンの音が低く回り、細いランプが規則的に点滅している。
そして――その周りの床を、円形の“陣”が囲っていた。
魔法陣みたいな円。
だが、魔術の匂いではない。
青白い光の文字列が輪郭を作り、床に走っている。
プログラム。
文字の列が、円を描いて“固定”している。
日下部の喉が鳴る。
「……これ、学園側の“円”と同じ匂いです」
「でも、規模が違う。ここ、中心にしてる」
城ヶ峰が低く言った。
「動いてる理由がある。……止め方を探る」
サーバーの横に、パソコンが一台置かれていた。
キーボードに手垢がある。
誰かが最近触った痕跡。
日下部が一歩踏み出した。
「ログを――」
「待て」
城ヶ峰が手で制した。
不用意に触れれば“確定”する。
嫌な直感が、背中に張り付く。
その直後だった。
サーバーの細い隙間から――黒いものが滲んだ。
液体の影。煤。
ずるずると伸びて、床に落ち、ゆっくり形を作る。
人の形。
白衣の輪郭。
技術者のような姿。
顔はぼやけているのに、口だけが妙に滑らかに動く。
「最近のリプレースってさ、冗長化の設計が甘いと怖いんですよね」
「RAID構成、何にしてます?」
「ログ取れてます? 監査、通ってます?」
世間話みたいな口調で、専門用語が並ぶ。
普通の人間の会話のふり。
でも、目が合わない。
声が、どこか二重に聞こえる。
隊員が銃口を上げた。
城ヶ峰が短く言う。
「撃つな」
「でも――」
「効かない」
城ヶ峰は言い切った。
「音だけで人が崩れる。撃つな」
影の技術者が、ゆっくり首を傾けた。
そして、こちらに一歩寄る。
日下部の背中が冷える。
(この距離、やばい)
(触れられたら――)
その時、塞がれた窓の隙間から朝日が差した。
光が、影に当たる。
一瞬、影の動きが止まった。
白衣の輪郭が縮む。
煤が、嫌がるみたいに後退する。
「……避けた?」
隊員が呟く。
城ヶ峰の目が鋭くなる。
「弱点だ」
「ライト」
城ヶ峰が短く言うと、隊員が強力なライトを構え、影へ当てた。
白い光。
影が、さらに縮む。
城ヶ峰は窓を塞いでいる板へ向かい、力を込めて引き剥がした。
釘が鳴り、木が裂ける。
朝日が一気に部屋へ流れ込む。
影の技術者が、初めて“嫌そうな声”を出した。
「……ああ、そういうのは、設計思想に合わないんだよね」
「眩しいの、やめてもらえる?」
言い方は丁寧なのに、腹の奥が冷える。
影は後退し、サーバーの隙間へ滑り込もうとする。
その瞬間、床の円が一拍だけ強く光った。
サーバーのランプが、呼吸みたいに点滅する。
日下部が叫びそうになるのを堪えた。
(連動してる)
(円が、サーバーを守ってる)
影は最後に、さらりと言った。
「そのログ、触ると戻れなくなりますよ」
そして、煤の筋になって消えた。
光の中から逃げるように。
朝日の届かない隙間へ。
部屋に残ったのは、動いているサーバーと、床の円だけ。
城ヶ峰は即座にスマホを取り出し、木崎へ、そして警察関係の上へ共有を投げた。
文字は短い。現場向きだ。
――「湾岸のクロスゲート関係地で稼働サーバー確認。
床に円形の発光陣(プログラム様)。
黒い影(白衣技術者型)出現。銃無効。
強光・朝日で一時退避行動。サーバー稼働継続。解析必要」
送信を終え、城ヶ峰は日下部を見る。
「今の、頭に入れろ。弱点は光」
日下部は息を飲み、頷いた。
「……学園側にも伝われば」
「伝える」
城ヶ峰は言い切った。
「繋ぐ。全部」
動いているサーバーが、低く唸っている。
まるで“世界の混濁”そのものの心臓みたいに。






