コメント
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コメントありがとうございます😊 この辺は実はA国の闇部分もあったりします。
emさんのピンチに気づいてくれた人居たけど...時すでに遅し
※注意書きをよくお読みの上、それでもおkな方のみお進みください。
※ちょっとでもアカンと思ったら、即座にブラウザバックしてください。
ワンクッション
「……という供述だったわけだが、事実と相違ないか?」
『……入院中に聞かされて、気分のいい尋問ではありませんでしたが……。まあ、概ね相違ないですね。私が誘った、という供述以外は』
電話越しのエーミールが、クサクサしたと言わんばかりに吐き捨てる。
『尋問』は、電話越しにエーミールにもリアルタイムで中継されていた。音声だけでも手に取るようにわかるくらいに凄惨な尋問に、エーミールは辟易した様子だ。
電話越しにカチリとライターを着ける音がしたが、すぐに『病室のタバコは禁止!』と、看護婦の罵声が聞こえてきた。
「……入院中くらい、我慢できないのか?」
『病院に運び込んだのは、貴方でしょう?タバコも吸えなければ本も読めないなら、今すぐ退院したいですよ』
「はっはっはっ。まあ、しばらくは大人しくしとけ。まだ尋問の続きがあるから、切るぞ」
『……どうでもいいことまで聞かないよう、お願いしますよ?』
「努力はする。今夜にでも面会に行くよ」
『来なくていい』
「そう言うな。じゃあ、また後でな」
『おい』
エーミールが何か反論しようとしたが、グルッペンは構わず電話を切った。
「さて、プロフェッサー。話はこれからが本番ですよ?」
グルッペンは手にしていた乗馬鞭を振るい、空気を切る音が部屋の中に響く。
「良い鞭ですね、教授。……一体何人の血を、この鞭に吸わせてきましたか?」
その夜遅く、エーミールがうとうとしていると、遠くから病院スタッフの靴とは違う足音に、目を覚ました。
「やあ。起きていたか、エーミール」
「寝ていたよ。貴様が来るまではな」
「警戒しすぎだ。エーミールが警戒すべき相手は、もう接触してくることはない」
「たった今、最も警戒すべき相手が、目の前にいるのですがね」
「冗談としても痛烈だな」
グルッペンが肩をすくめ小さな声で笑うと、椅子を引いてエーミールの枕元近くに腰かけた。
「それにしても、フランコ教授のスキャンダルは根が深すぎた。政治学部だけの話でも、昨今の話というだけのものではない。学長が大人げなくすがってきたよ。何とか揉み消せってな」
「スキャンダルの揉み消しを君に頼むとは、よっぽど切羽詰まっているとしか思えませんね」
「まったくだ。だが、願ったり叶ったりだね。学長の意向通りに、しばらくは『お屋敷に住んで』もらうよ。キミに起こった事件が、キャンパスに漏れることは、もうない」
「……君には随分と大きな借りができてしまいましたね」
エーミールは大きなため息を吐くと、寝返りを打ってグルッペンに背中を向けた。
「まあ、その事については、いずれ。そろそろ時間だから、行くよ。無理言って、五分だけ面会時間もらったからな」
そう言うとグルッペンは立ち上がり、エーミールの耳元に口を近づけた。
「じゃあな、エーミール。……愛してるよ」
軽いリップ音をさせてから、グルッペンはエーミールから離れると、再び靴音を響かせて病室から去っていった。
足音を背にしながら、エーミールは目を見開き毛布を強く握りしめた。グルッペンが囁いた言葉が、呪いとしてエーミールを縛りつけようとする。
逃げなければ。
またあの腕(かいな)の中に囚われたら、永遠に逃げることなど出来はしない。あの男に傅(かしず)き、頭を垂れ、差し出された足の甲にキスをする。飼い殺された蝶は、月の灯りに恋い焦がれ求めながらも、籠の中から永久に飛び立つことは出来ない。
イヤだ。
せっかく。
せっかく自由に飛び回ることが出来たのに。
ようやく誰にも邪魔されない、自由に飛び回れる羽を手に入れられるのに。
また誰かのコレクションとなり、標本の中に並べられ、ピンで刺される。
しかし。
エーミールは、グルッペンの手腕と行動力、そして組織力を思い出す。
確かにフランコ教授を『消す』ために、エーミールはグルッペンをフランコにぶつけた。エーミールの過去を知る、長年の煩わしいつっかえは去った。だが、毒を制するための毒が、更なる猛毒となりエーミールにまとわりつく。
逃げなければ。
だが、どうやって?
せっかく手に入れた自由のための取っ掛かりを捨てて、再びやり直す時間は、もうない。
あの男に傅き、囚われ続けるか。
全てを捨てて、すぐさま逃げるか。
小刻みに震える体を毛布でくるみ、エーミールは考えに考え抜いた。
「はっ……はぁ……っ、はっ!」
日の出前の暗い道を、エーミールは走った。
着の身着のままで連れて来られた病院には、荷物らしい荷物はない。現金の持ち合わせもあまりない。だが、もうなりふり構っていられなかった。
冷静なエーミールが、グルッペンに傅いてでも目的を果たすべきだと主張した。確かに、一時の恐怖に駆られ逃げるより、後々のためにも残るべきだ。だが、恐怖に言葉さえも失った心が、エーミールを突き動かした。
『……愛してる』
グルッペンの言葉が、毒を含んでエーミールの全身に走る。
「黙れ…ッ!黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッ!!」
エーミールは走りながらも頭を抱え、脳裏に響く毒の言葉を振り落とそうと、何度も何度も頭を左右に振った。
始発の地下鉄がそろそろ動く。
できるだけ、何処か、誰も知らないところへ、急いで。
「はっ、は……っ!」
SUBWAYの案内板が見えた。
あれに、あそこまでたどり着けさえすれば。
エーミールはすがるように手を伸ばし、地下鉄の駅に向かって走る。
もう少し。もう少しで……
地下鉄への入り口を見つけ、走り込もうとしたその時、何者かが後ろからエーミールの腕を強く握りしめた。
終わった……
恐怖と絶望が、エーミールの全身から力を奪い、エーミールはその場にへたりこんでしまった。
「許して……許…して……」
「何処へ行くつもりだった?」
背後からの言葉に、エーミールは振り向きもせず、ひたすら首を左右に振る。
「ごめんなさい……ゆるして……ゆるして…くだ…さい……」
「後先考えずに無計画につっ走るなど、キミらしくないな、エーミール」
グルッペンは座り込んだエーミールの耳元で、少しだけ怒気の孕んだ声で囁いた。
「まだクスリが残っているようなら、もうしばらく入院しておくか?」
話す言葉に含まれる優しさとは裏腹に、グルッペンの意味するは、拒否の強要。
従うしかない。
エーミールは小刻みに震える体で、ゆっくりと首を左右に振った。
「いいだろう。だが、まずは病院に戻ろう。そこにタクシーを待たせてある。行くぞ」
絶望に顔を青くしながら、エーミールはグルッペンの言葉に力なく頷き、引き起こされるままゆっくりと立ち上がった。
立ち上がったエーミールの左頬に、パンッという音と共に鋭い痛みが走る。グルッペンの右掌がエーミールの頬を叩いたと気付くのに、少しだけ時間がかかった。
「ごめん…なさ…い…」
「行くぞ」
踵を返しタクシーへ向かって歩くグルッペンの後ろを、エーミールはふらふらと続く。
「乗れ」
タクシーの後部座席に押し込まれるように乗り込んだエーミールの隣にグルッペンが座ると、タクシーはドアを閉めて走り出した。
「……フランコ教授名義になっていた、五年前の論文を読んだが…。アレの本当の著者は、キミだな?エーミール」
エーミールは肩をビクリと震わせたが、怯えながらも小さく頷いた。
「まだティーンエイジャーでもないうちから、あれだけの論文を書けるとは。さすがだな」
「……書き上げた後で…、再考の余地があると思ったけれど…。返してもらえなかった……」
「だがあの論文で、フランコは教授になれた。実質、十二歳のキミが、教授足り得る実力があったということだ」
「その後も…三回ほど、アイツのための論文を…書かされた…」
「それも驚いたが、キミが今、十七歳というのも驚いたぞ。てっきり、俺より年上だとばかり思っていた」
「……老けた顔してるのは、お互い様でしょう。私も貴方を見た時、ずっと年上の間違いでは、と思いましたよ」
「はっはっはっ。嫌味が言えるくらいには、落ち着いたか。退院の手続きが終わったら、すぐに行くぞ」
「何処に……?」
「退院祝いに、ちょっとした趣向をこらしている。まあ、楽しみにしていてくれたまえ」
「ちょっとした趣向……ね……」
楽しそうに鼻唄を唄うグルッペンとは対極に、エーミールは諦観の籠った重いため息を吐いた。
タクシーはまもなく、エーミールの入院していた病院に着く。
エーミールが病院から逃亡したことで、院内はちょっとした騒ぎになっていた。グルッペンがエーミールを連れて帰ると、エーミールは病院スタッフから叱られはしたものの、グルッペンの取り成しで事を荒げずに済んだ。
退院の手続きをグルッペンがしている間に、心配そうな顔をした小柄な黒人の担当看護婦が、エーミールの傍にそっと近づいてきた。
「大丈夫……ですか?ミスター・エーミール」
「……ええ。ご迷惑おかけしました、ミズ・スミス」
エーミールは薄い笑顔を浮かべると、ミズ・スミスに向かって深々と頭を下げた。
エーミールに頭を下げられ、ミズ・スミスは逆に困惑して手を振る。
「ち、違います、違います!そう言うことではなくて…」
「エーミール。手続きは終わった。行くぞ」
何か言おうとしたミズ・スミスの言葉を遮るように、グルッペンが間に割って入る。
「はい、今行きます。お世話になりました、ミズ・スミス」
エーミールの透き通った笑顔に、ミズ・スミスは言葉を失い、去り行くエーミールを見送るだけになってしまった。
「あー…。やっと退院してくれたわね、あのヤク中」
「病室でタバコを吸うわ、大人しく寝てるかと思えば脱走するわで、アンタも大変だったんじゃない?」
同僚看護婦が、心底清々したと言わんばかりに、退院患者の悪態をついていたが、当のミズ・スミスの悲しそうな表情に、同僚看護婦は怪訝な思いを抱く。
「アンタ……?」
「……彼が本当に必要だったのは…、怪我の治療でも休息でもなく…、彼を匿ってくれるシェルター(避難所)だったのかも……」
そう思ったものの、彼女には最早できることは何もない。淋しそうに笑う退院した男の無事を、ただ神に祈るだけだった。
【続く】