アパートの前まで来ると、ひとつの人影が外階段に座って待っていた。思わず身じろぎし、街灯を頼りによく見ると、その人影がゆらりと立ち上がった。
「蓮…」
「亮平」
蓮の様子はいつもと違っていた。いつものどこか怒ったようなピリピリした感じではなく、憑き物が落ちたように穏やかな表情をして、亮平のところまで歩いて来ると、大丈夫か?と優しく聞いた。
「え?」
「泣いてるから…」
蓮の指が、掬うように亮平の涙を拭う。初めてそこまで泣いていることに気づいた亮平は、思わず蓮にしがみついた。
「亮平?」
蓮は拒否するでもなく、揶揄うでもなく、優しく腕の中に亮平を収めて、背中をさすっている。胸の中で震えて涙を流す亮平をただ黙って長い間抱いていた。
「ごめん……蓮、ありがとう」
落ち着き、離れようとした亮平を、蓮がグッと抱きしめる。
「俺がいるから」
「………れん?」
「俺が、お前のそばにいるから」
そして、蓮は、亮平の耳元に唇を寄せた。
「俺はお前が欲しいから。俺が絶対幸せにするから」
「えっ!」
驚いて顔を上げた亮平から逃げ、蓮は離れると、弾かれるように全速力で家の方へと駆けて行った。取り残された亮平は、しばらく固まり、それから蓮が放った言葉を確かめるように一人言を言った。
「えっと……え??」
嫌な気はしない。
胸がこれまでになく、どきどきしている。
昨日まであんなにそっけなかった蓮が、急に優しい言葉を掛けてきて、自分のことを欲しいと言った。ついさっきまで、自分の頭の中は両親のことでいっぱいだったのに、と亮平は戸惑う。
「なんで……?俺、嬉しい……」
頬がどんどん熱くなる。
今すぐ蓮を追いかけて、事の真意を確かめたい気もするが、今は蓮がくれた優しい言葉を繰り返し頭の中で反芻してもいたい。
亮平は夢見るような心持ちで、アパートの階段を上ると、部屋へと帰って行った。
蓮が物音がしないように玄関から入ると、運悪く弟の真都と鉢合わせた。
「あれぇ?どこ行ってたの?」
まだ小学生のくせにませたところのある真都は、答えをなんとなく知りながら、兄を試すように不敵に笑う。まったく可愛くない弟だ。成績も昔の自分より遥かに優秀な要領の良い弟。
「別にどこでもいいだろ」
「ふぅん」
真都はにやにやしながら、まだ蓮を見ている。ほとんど見下ろす必要がないほど、自分と同じ背丈なのも腹が立つ。身体はヒョロヒョロしているが、手足が長く、モデルのようにスタイルの良い真都は学校では目立った人気者だった。
「反抗期はいいかげん卒業?」
「うるせぇよ!」
拳を振り上げると、そそくさと逃げて行く。そして、階段を上がりながら、その調子で初恋も実るといいね〜と無責任にけらけらと笑っていた。
「……………初恋…」
蓮は振り上げた拳に力を込め、被りを振ると、自分も後を追うように部屋へと戻って行った。
「ごめん、俺のせいで」
小さく縮こまりながら、岩本は申し訳なさそうに繰り返し謝っている。翔太は気にすんなと彼を宥めた。
「亮平はこれまで反抗期とかなかったから、逆に燃えてる。俺も人並みの親の苦労してみたかったし」
「…………」
アパートへの帰り道。レストランで二人分のチョコレートパフェをあっさり完食した岩本を思い出し、翔太はクスクスと笑った。
「相変わらず甘党なんだな、照」
「へっ???……ああ、うん……」
空気を変えようとしたのに、岩本は変わらず思案顔だ。そして、いきなり翔太の服の袖を掴んだ。おっと、と翔太が立ち止まり、振り返った。
「俺に下心がない、と言ったら嘘になる。俺は、翔太とまた一緒になりたい。翔太は?」
翔太の顔が曇る。
見上げる顔が少し歪んだ。
「無理だよ……」
「だって亮平くんだって、両親が仲良い方がいいだろう?」
「バカ。そんな簡単じゃないよ……んっ……」
人気のない夜の道で、少し大胆になった岩本は翔太の唇を奪った。翔太は一度受け止めてから、岩本の胸を押し、ゆっくりと身体を離した。
「………だめ」
「どうして?」
「とにかくだめ」
「翔太……」
「亮平にも、俺にも時間が必要なの。15年て、そんな短い時間じゃないだろ」
聞き分けのない子供をあやすように言う翔太の言葉に、岩本は口を噤んだ。今すぐ抱きしめて何もかもを自分の手の中に取り戻したいのに、物事はそう単純にはできていないようだ。15年の歳月、募るばかりだった想いをぶつける相手がやっと目の前に現れたのにと、岩本の心はもどかしさでいっぱいになっていた。
「ごめん、俺、自分のことばっかで」
「ん。照も、少しずつ、父親になってってくれればいいから」
「え、それって?」
「あ、復縁とか、そういう意味じゃないぞ。まだそんなことは考えられない。俺、今は亮平が一番なんだ」
「………わかったよ……」
「よぉし。良い子だ」
項垂れる岩本を、翔太は慰める。その目は優しいが、どこか人を寄せ付けない孤独が潜んでいるように見えた。孤高という言葉が似合う、愛する人。翔太はまた、どこかで自分の想いを隠している。岩本は掛ける言葉を見失って、仕方なしに切り替えた。
「俺、今日はこれで東京に戻る。……でもまた会いに来てもいい?」
「うん。またな。亮平に会ってくれて、ありがとう」
「こちらこそ、会わせてくれてありがとう。とても可愛い息子だった」
「だろ?俺の自慢なんだよ。トンビが鷹を生んだってやつ。照にもちょっと似てるかな」
「そうかな?いつか仲良くなれるといいな」
「絶対になれる。頭のいい、とても優しい子だから」
「ありがとう。いい子に育ててくれて」
「うん、ほら」
翔太は両手を広げてハグを求めた。岩本は翔太と、労いのハグを交わし、アパートまで送ると、駅へと向かって足早に去って行った。
コメント
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🖤💚最高すぎる😊
今回も最高でした♪ 続き楽しみですっ!!
ついに🖤💚が始まりそうで嬉しい🤭 💛と💚も仲良くして欲しいなあ🥹