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◻︎夫の宝物とは?
海山由理恵は光太郎に、壁塗りの前にやるべきことを教えてくれた。
まずは、家具類をすべてどけること、油汚れなどは極力落としておくこと、塗らないで残すところはマスキングテープを貼っておいて養生をしておくこと。それらを、ふむふむと書き留めていく光太郎。
私はさっき光太郎が言った“宝箱の鍵”、というものが気になっていた。
___あれかな?
思い当たる箱が、光太郎の書斎兼寝室にあることを思い出した。プラスチック製の50×30×25サイズのコンテナのような箱。釣りの道具でも入れているのかと思っていたけど、釣りの道具ならほとんどがガレージの奥に置いてある。家の中にあるのに鍵をかけているのは、家族にも見られたくない不審なものが入れてあるということだ。
そう考え出したら、その箱に入れてある物が気になって仕方がなかった。ご丁寧に鍵までかけてあるのだから、よけいに興味をそそられてしまう。
___もしかして?浮気の証拠とか?
なんて勘繰る。夫の光太郎は妙に乙女チックなところがあって、思い出の品というものを大事にとっていたりする。どこかへ出かけた時のチケットとか、お土産を入れてあった袋とか、プレゼントのリボンとか。
キッチンの改装計画を立てている光太郎を見ながら、あれこれ考える。そしてどんどん気になる。思わず目が合った。
「ん?なに?涼子ちゃん」
「え?あ、なんでもない。さすが海山さんは、プロだなぁと思って見てたとこ」
「まぁ、これでご飯食べてきましたからね。でも、今はいい道具や材料があるので、そんなに難しくないですよ。土台から作り替えるというのでなければ」
「そうなんですね。キッチンがうまくいったら、他のところもやりたくなるかも?」
気がついたら、すっかり夕方になっていた。キッチンのあちこちの寸法も測り、必要なものもピックアップできたようだ。
「じゃあ、本格的にやる時は、また伺いますから」
そう言うと、海山と本村は帰って行った。私は、出しっぱなしだった茶托やお菓子を片付けながら、光太郎に訊いてみた。
「ね!さっきのアレのやつに、何が入ってるの?」
「アレ?」
「鍵だよ、何かをしまってあるんでしょ?」
「……うん」
「誰にも知られたくないもの?」
「まぁ、知られたくない、かな?」
「でもさ、万が一のことがあったら、遺された家族はそれを見てしまうかもしれないよ。それでもいいの?」
「気になる?涼子ちゃん」
「気になるよ、何だろうってさっきから考えてる。わざわざ鍵をかけてるんでしょ?」
ちょっと待っててと言い残すと、光太郎は二階へ上がって行った。ほどなくして戻ってきたその手には、思っていた通りのプラスチック製の箱があった。
「これの鍵なんだ。で、中は……」
カチャリと音がして、その箱の鍵は開けられた。
「ちょっと待って!見てもいいものなの?」
見たかったくせに、いざ見せてもらうとなるとなんだかとても悪いことをさせているような気になってきた。
「いいよ、ほら」
パチンと開けられた箱の中には、折り紙で作られた勲章や、写真、古びたお守り、それから……
「これ、おぼえてる?」
光太郎の手には、懐かしい折り方をした手紙があった。
「あ、それってもしかして私の?」
「そう、あ、中身は見せないからね」
若い頃流行った、セーラー服みたいな形の折り方の手紙には記憶がある。光太郎と出会ったとき、私には結婚を申し込んでくれた恋人がいた。けれど、その人との結婚にはどうしても踏み切れず、いろんな悩みを光太郎に相談するうちに、私はすっかり光太郎のことを好きになってしまった。
その時の気持ちを、毎日のように手紙に書いて渡していたような記憶がある。今思い返すと、恥ずかしくて仕方ない。
「そんなもの、とっておいたの?私はてっきり捨ててしまったと思ってたよ」
「これはね、この一通だけは、宝物なんだ。でも、どの手紙かは教えてあげない、僕の心にバシッときたやつなんだ、これは」
何通書いたかわらかない、光太郎への手紙。あの頃は携帯電話もなく、簡単に話をするチャンスもなかった。友達の先輩として紹介された光太郎は、年上だったこともあってあの頃の私にはとても大人に見えた。だから最初はまるで優しい兄のような感覚で、相談を持ちかけていたと思う。
「何を書いたやつなんだろ?全然記憶にないや。とにかくグチばかり書いてたような?」
「そうだったかもね。このまま流されるように結婚するのは嫌だと、よく言ってたね。で、僕は妹のように相談に乗ってたけど。この手紙を読んだ時、初めて自分の気持ちに気づいてさ、その時付き合ってた彼女に、めちゃくちゃ頭を下げて別れてもらったんだよね」
「え?うそ!あの時、彼女いたの?」
「うん、あれ?言ってなかったっけ?」
結婚30年を過ぎた今になって知らされた事実。
「うわ、じゃあ私、略奪婚してたの?」
「それを言うなら僕もだよ、涼子ちゃんの結婚を止めて自分が結婚したんだから。とにかく、人生のターニングポイントになった手紙が入れてあるんだ。これは僕の一生の宝物なんだよ」
光太郎は、その手紙を大事そうに両手に包んだ。
「わかった、いまさら私も見ないけど。そんなものを入れてたんだね。あとは、それは子どもたちの思い出の品?」
「そう、僕にとっては全部宝物。これは棺に入れてもらうつもりで集めてあるんだよ。だからもしもの時は、この箱の中身を僕の棺に入れてね」
「えーっ!それって早すぎる終活だよ」
「この年になると、いつ何があってもおかしくないからさ。涼子ちゃんもそんなものがあったら、わかるようにしておいてね」
「あったらね、私にはないかな、そういうものは」
やっぱりこの人はロマンチストだと思った。