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課長のパンケーキは及第点だ。
そこいらの冷凍食品とかよりずっと美味しい。
でも、教わったのはおばあちゃんぽい料理だけじゃないと言うところを見せたかったので、小麦は丁寧に二回ふるって、卵と牛乳の分量にもこだわった。
そうしてできたパンケーキは我ながら絶品で、ハチミツをかければ最強と言えるできになった。
さて、王子様が絶品パンケーキとレモンティーを相方にネット新聞をお読みになっている間に、わたしはシャワーをお借りすることにした。
バスルームはもちろんユニットじゃないし、しかも広い。バスルームだけで、わたしの部屋のユニットバスくらいの広さがあった。
それにしてもなんだか意外だな。
絶対洗面所に女の子の物がありそうな気がしたけれど、そんなもの一切見当たらなくて、拍子抜けした。
バスルームもすごくシンプルで、いかにも男の人のって感じがする。
部屋に女の人を上げない主義なのかな。
そういえば、
「ここまで許したのはキミが初めてだよ」
って言ってたな。
意外にわたしが思っているよりガードが固い人なのかもしれない。
女慣れしてそうだれど、実は。
…って。
じゃあもしかして、今のわたしの状況って、すごく特別なこと、なのかな…。
「亜海」
急に浴室の外から呼ばれてびくりとなった。
「バスタオルここに置いておくから。終わったら洗濯機の中に入れておいて」
「あ、はいありがとうございます」
…びっくりした。
そう言えば、わたし名前で呼ばれてるんだった…。
課長がそこまでわたしの料理を気に入ってくれたのがおどろきだけれど…そうとなれば、こっちももう少し課長のことを信用してもいいのかな。
この関係も不安に思うほど厄介なものではないかもしれない。
バスルームの扉をそっと開けた。
うん、課長はもういない…。
洗面所の横にバスタオルが置いてあった。
取った拍子にキラリとなにかが落ちた。
ネックレスだ。いけない、ここに置いたのを忘れていた。
とネックレスを拾おうとしたところで、わたしの目に入ったものがあった。
赤いポーチ。
いかにも女性者のポーチが、買い物かごの隅に隠れるように落ちていた。
あまり日本では見ないようなお洒落なデザインだ。ひとつひとつ色合いのちがう赤がタイル状に並んでいて、とても素敵でいかにも大人の女性が使っていそうなデザインだった。
そっと手に取って…悪いとは思っても中を見てしまう。
ブランド物のルージュやビューラーと言った必須の化粧道具が入っていた。
…そっか。やっぱりね。
課長ほどの人だもの。やっぱり女の子の一人や二人は来てるよね。
やっぱり、都会の男の人は怖い。
口先で調子のいいことを言って女の子を安心させておいて、裏では好き勝手やっているんだ。
アブナイ、危うく騙されるところだった。
このポーチを落とした人も、自分だけはと思って騙されているんだろうか。
教えてあげたいけど、もしかしたら割り切って付き合っている可能性もある。わたしには到底まねできない大人の付き合いってやつをしている人なのかもしれない。
「亜海。そろそろ他の連中が出社するから準備しないと」
課長の声が聞こえた。
どっちにしたってわたしには関係ないことだ。
課長とは利害関係が一致しただけのビジネスの付き合いなんだから。
ただ、このポーチの持ち主に憐れまれるのは嫌だった。
急いで服を着て忘れないようにネックレスをすると、ポーチをもとの隅に戻して洗面所を出た。
※
まだ誰も来ない内に下の階に行くために、わたしと課長は勤務開始一時間前に部屋を出た。
非常階段を降りエレベーターで三階まで行って、特別開発課のフロアへ続く方のドアにそっと耳を当てる。
しんとしていて、物音がしない。
ロックを解除してそっと開けてみると、まだ誰もいなかった。
特別開発課から出ると、わたしはぺこりと頭を下げた。
「お世話になりました」
「いやいや、それはこちらのセリフだし。それを言うなら『よろしくおねがいします』の方が合ってるんじゃない?」
からかう言葉には答えず、わたしはこれ見よがしに特別開発課のカードキーを財布に慎重にしまって見せた。
「ではここで失礼します」
「総務部まで送っていくよ」
「いえ、けっこうです」
つんと踵をかえしてスタスタ歩き出すと、課長も遅れてついてきた。
「急に機嫌が悪くなったね」