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*****



次の満月の夜。


俺は約束の三十分前に公園にいた。


いつものベンチに座ろうとした時、女性が踵を鳴らして歩く音に気付いた。


満月が来たのかもしれないと、俺は目を凝らした。


まだ、雪こそ降っていないが、いつ降り出してもおかしくないほど寒い。


「なんなのよ、これ!」


十メートルほど離れた場所で靴音が止まり、金切り声が響いた。


五か月振りに会う、元妻だった。


手に何か握り締めているようだが、よく見えない。だが、話の流れから、それが、俺の依頼によって弁護士が送った不倫の証拠の数々と慰謝料の請求書だろう。


「久し振りだな、もと奥さん」


俺は皮肉たっぷりに言った。


言いたくもなるだろう。


最後に会った五カ月前は、「行ってきます」「行ってらっしゃい」と言葉を交わしたのだ。


それが、出張から帰ると家はなく、離婚届が提出されていた。


里奈はカツカツと俺に近づき、持っていた封筒を投げつけた。


それらは俺の胸に当たり、足元に落ちた。


「取り下げて!」


「どうして」


「お金なんかないわよ!」


「俺から持ち逃げした貯金があるだろう」


「そんなもの、とっくにないわよ!!」


知っていて、言った。


「なら、男に出してもらえば?」


「そんなもの――!」


それも知っていて、言った。


里奈は会社を辞め、一緒に暮らしていた最寄駅から五駅離れた場所で暮らしていた。


男と二人で。


「なんなのよ、今更! もう終わったことじゃない!」


「なにが終わったんだか知らないけど、時効は成立してないからな」


「うるさい! とにかく、取り下げて! お金なんてないんだから!!」


目の前の女は、一緒に暮らしていた頃の面影を失くしていた。


ふわふわして可愛かった。


ちょっとおバカなところも可愛かった。


猫のように甘えてくるのも、少し我儘なところも可愛かった。


それが、今やただのヒステリックなバカ女。自分のしたことの重大さも、浅はかさも、言っていることがどんなに矛盾しているかも、わかっていない様子。


あまりの変わりように、笑うしかない。


「なに笑ってんのよ!」


「お前は何を怒ってる? 慰謝料を請求されるだけのことをしたんだろう?」


「あんたが私を放っておくからじゃない!」


「出張のことを言っているのならお門違いだ。お前の不倫はそれ以前からだろう!」


「そんなこと――」


「――無様ね」


里奈の声を遮った、低く落ち着いた声に、俺は顔を上げた。里奈は振り返る。


「満月……」


ちょうど街灯の下に、満月がいた。


踝くらいまである長いコートを着て、肩に掛けたバッグを脇に挟み、両手をポケットに入れて、立っていた。


「髪……」


ひと月前は腰まであった長い黒髪が、顎のあたりまで短くなっている。


今はどうでもいいことなのに、とても気になった。


コツコツと踵を鳴らし、ゆっくりと近づいてくる。


「私から|俊哉《としや》を奪ったこと、後悔してないんじゃなかったの?」


「してないわよ!」と、里奈の怒りの矛先が満月に向く。


だが、満月は顔色を変えるどころか、無表情を崩さずに続ける。


「だったら、ご主人の要求に応えなさい」


「なによ、偉そうに! あんたには――」


「――俊哉と幸せになるためなら、お金なんていらないんでしょう?」


里奈が、ぐっと息を止めたのがわかった。


満月の言葉は、きっと里奈が満月にぶつけた言葉だろう。


「あなたがこうしてご主人に直談判してること、俊哉は知っているの?」


「……っ」


「そんなはずないわよね。なら、ご主人から慰謝料を請求されたことも話してないのね。彼なら、借金してでも払うでしょう」


「知った風なことを――」


「――知っているのよ。これでも元妻だから。あの人は、責任から逃げるような男じゃない」


「だから言えないんじゃない!」


「慰謝料を請求されている事実より、慰謝料を払ってまで一緒にいることを選んだあなたが自分に黙って別れた男に会いに行く方が、俊哉はよっぽどツラいと思うけど?」


俺は歯をギリッと噛みしめた。


俺はこのひと月、再び満月に会えるだろうかと、そればかり考えていた。


事の顛末を知っても、冷静でいられたのは彼女のお陰だ。


あの夜、彼女に拾われることなく、この事実を知っていたら、俺は今とは違う決断を下していたかもしれない。


離婚の無効を申し立てたり。


もちろん、里奈に愛情があってのことじゃない。


復讐だ。


そうせずに、真っ当な対応が出来たのは、俺の心に満月がいたからだ。


長いひと月を終えて、ようやくこうして会えたのに、里奈が現れて喚きだしたせいで、俺はまだ彼女と一言も交わせていない。


「里奈。帰って男に全部話せ。お前が何を喚いても、俺は慰謝料の請求を取り下げたりは――」


「――里奈!」


満月の背後から、男が駆け寄ってくる。


里奈はその影を見て、いきなりボロボロと涙を流しだす。


満月は振り返らない。


じっと、里奈を見ていた。無表情で。


「里奈!」


「俊哉……く――」

満月を抱いて、満月の夜に抱かれて

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