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「うわぁ……、それはキツイなぁ?」
真さんが棒読みで言った。
「あ、それでこの弁当か」
真さんは弁当のステーキを箸でつまんで持ち上げた。
「サーロインステーキと牛肉煮弁当、税込み三千二百四十円。これ、和泉さんが蒼に買って行ってやってくれって金くれたんだよ」
「それで……って?」
真さんが買ってきたのは、ご飯の上に牛肉煮、さらに米沢牛サーロインステーキがのった豪華弁当。
「そろそろ、蒼がしんどくなる頃だからって言ってたけど、この状況を読んでたのかもな。百合さんの謹慎のことも知ってたし、謹慎中でも情報は入ってるらしいな」
「真さんも、百合さんのことは咲から聞いてたんですか?」
俺は無理やりに、口いっぱいにステーキを頬張った。
ピンチに直面して食欲をなくしてるなんて、和泉兄さんにも咲にも知られたくない。
「ああ……。そうなるだろうってことはな」
知らされてなかったのは、俺だけかよ。
「庶務課を辞めることは?」
「聞いてたよ」
「理由は? 咲が今、どこで何をしているかは?」
俺は前のめりになって、矢継ぎ早に質問した。
「まぁ、落ち着け」
真さんはペットボトルのお茶を俺に渡した。俺は受け取って、一気に半分ほど流し込んだ。
「お前に聞かれたら教えるように言われてるから、ちゃんと話すよ」
やっぱり、俺だけ置き去りかよ――。
百合さんが謹慎処分になるだろうことも、咲が庶務課を辞めることも聞かされていなかったことへの不安や疎外感で、俺はすっかり捻くれた考えをするようになっていた。
「咲は清水の被害者女性に会いに行ってるよ」
「え……?」
予想していなかった。
「清水のPCにあった写真に写っていた女性で、身元が特定できた人全員に会うって」
「なんで……」
「お前が言ったんだろ? 『被害者が増える前に、被害者が晒し者にならないように処理したかった』って」
あ……。
確かに言った。ホテルで、咲に指輪を返される前。
「事件が大きくなって、一番大事なことを忘れていたよ。黒幕が誰であれ、目的が何であれ、一番の被害者は弄ばれた女性たちだ。咲でさえ後回しに考えてしまった女性たちのことを、お前は一番に考えた」
「それは……。だけど、俺は何も……」
「お前の言葉を聞いて、咲は表に出る覚悟を決めたんだよ」
表に出る覚悟……?
ランチから戻った秘書課の女性たちの話し声が、会議室の前を通り過ぎて行った。
「被害者女性に直接会うってことは、咲の素性を明かさなきゃいけない。庶務課の一社員だと名乗るわけにはいかないだろう? 極秘戦略課の課長って肩書で、女性たちを安心させなきゃいけない」
「だから、庶務課を辞める?」
「それがすべてではないけど……。まぁ、潮時だったんだろうな」
潮時……。
侑も同じことを言っていた。
「こうなることを考えずに、百合さんが和泉社長に協力したと思うか?」
そうだ。
百合さんのことはよく知らないけど、少なくとも和泉兄さんは百合さんを巻きもむことのリスクは承知だったはず。
では、なぜビッグプロジャクトが進行中の今、俺たちに清水の悪事を暴かせた?
なぜ充兄さんに嗅ぎつけられるリスクを冒して、川原と接触した?
「百合さんと和泉社長が元恋人以上の絆があっても、俺達にはわからない。けど、咲がお前のために自分の身の振り方を変えたのには、百合さんと和泉社長のそれと同じように、恋人以上の絆みたいなものがあるからじゃないのか?」
絆……?
「少なくとも、俺が知っている限り、咲が他人のために自分の考えや行動を変えるなんて初めてだよ」
初めて……。
俺は咲と付き合い始めて『初めて』のことが多かった。女の部屋も、女の手料理も、女と朝を迎えることも、女に指輪を贈ることも、愛してると言うことも……。
『初めて』が多い分だけ『特別』になっていった。
咲も、俺と同じように想ってくれていたのだろうか。
ずっと、俺ばかりが咲を愛して、欲しがって、離れられなくなっているのだと感じていた。
けれど、咲にとっても俺は『初めて』で『特別』になれていたのだろうか……。
「蒼、自信を持て」と、真さんが言った。
「え……?」
「お前、ひどい顔してるぞ」
「ひどい顔にもなるでしょ。恋人には会えないし、畑違いの仕事には慣れないし、その上二百億なんて……」
俺はため息をつきながら、弁当の残りをかけこんだ。拒否反応を示す胃を黙らせるために、お茶で流し込む。自分の胃との格闘に必死で、真さんが呟いた言葉に気が付かなかった。
「そうだな。さすがにこれは助っ人が必要だな――」
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