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第7話 【ウォル】が紹介したハンドルネームが高騰する。
夜の部屋は、いつも通りの形をしていた。
机の上の光だけが動き、
画面の中だけが騒いでいる。
【ウォル】の端末が震えた。
震えが止まる前に、また震えた。
指で拾う。
拾いきれない。
通知の数が増えるたび、
画面の端の小さな数字が、息をするみたいに膨らむ。
【ウォル】は椅子に座ったまま、背もたれに寄りかかった。
それから、すぐ前へ戻る。
癖みたいに、机を二回叩く。
端末を切り替える。
ハン!!オークション(NeXBid)の画面が開く。
読み込みの輪が回る。
回り続ける。
【ウォル】は鼻で笑って、画面を戻す。
戻らない。
指が滑り、もう一度戻す。
輪が止まり、
数字が出る。
一つ跳ねる。
すぐに、また跳ねる。
笑いが出る。
軽い。
喉の奥で乾く。
カメラを起こす気はないのに、
【ウォル】の目線はレンズの位置を探してしまう。
そこに誰かがいる前提の目だ。
端末がまた震える。
SNSの通知。
切り取り。
貼り付け。
同じ画面。
同じ数字。
誰かが、数字を丸で囲んでいる。
誰かが、矢印を引いている。
【ウォル】はそれを見て、口角だけ上げた。
歯は見せない。
机の上の飲み物に触れる。
冷えている。
指先が冷たくなるだけだ。
ハン!!オークションに戻る。
数字がまた動く。
動き方が変わる。
さっきまで、階段だった。
今は、跳ぶ。
跳ぶたび、画面が一瞬止まる。
【ウォル】は笑いながら、
笑いながら舌打ちしそうになる。
止まる。
動く。
止まる。
それでも数字は上へ行く。
部屋の外から、遠い生活音がひとつだけ来る。
すぐに消える。
【ウォル】の部屋では、
端末の振動だけが続く。
同じ頃。
別の部屋で、
別の端末が同じように震えていた。
二十代前半の人物は、膝の上で端末を握りしめていた。
指先が画面の縁をなぞる。
その癖が、今夜は止まらない。
ハン!!オークションの一覧が、何度も読み込み直される。
名前の列。
数字の列。
さっきまで見えていた行が消え、
戻ったときには、数字が変わっている。
息が遅れて出る。
買うつもりではなかったはずの名前が、
一覧の上へ登っていく。
心臓の音が、耳に近くなる。
端末を持つ手がわずかに汗ばみ、
画面が滑る。
もう一度、一覧を更新する。
更新の輪が回る。
止まる。
数字が上がっている。
その数字が、
自分の一日分の手触りと噛み合わない。
指が、入札の場所へ行きかける。
戻る。
また行きかける。
口を開く。
声は出ない。
机の角に膝が当たり、
鈍い痛みが残る。
それでも目は画面に戻る。
同じ名前。
同じ数字。
同じ跳ね方。
別の部屋。
三十代後半の人物は端末を二台並べ、
片方にハン!!オークション、片方にSNSを映していた。
SNSの流れは速い。
名前だけが何度も出る。
切り取られた画面。
同じ入札ページ。
同じ更新ボタン。
指先が、淡々とスクロールを続ける。
顔は変わらない。
ただ、目だけが速い。
一つ、投稿が目に止まる。
画面の上のほうに固定されている。
その投稿の下に、
同じ言葉が繰り返される。
買え。
今だ。
乗れ。
三十代後半の人物は、端末を置き直す。
置き直しても、画面の熱は消えない。
指で、入札ページを開く。
読み込みの輪が回る。
止まる。
また回る。
ページが表示される。
数字は上がっている。
表情は動かない。
でも、指が一度だけ止まった。
止まったまま、戻らない。
息を吸う。
吐く。
入札の欄に触れる。
数字を入れる。
確定の前で止まる。
指が戻る。
入力欄の数字を消す。
もう一度入れる。
消す。
その繰り返しが、
今夜の呼吸みたいになる。
画面の隅に、エラーが出る。
一瞬。
消える。
SNSでは、別の言葉が増えていく。
重い。
落ちる。
止まった。
誰かが怒り、
誰かが笑い、
誰かが煽る。
三十代後半の人物は、画面を見たまま、
机の上のペンを一本転がす。
転がる音が、小さく鳴る。
その音だけが、現実だった。
ハン!!オークションの数字が、また動く。
今度は大きく。
跳ねる。
三十代後半の人物は、
入力欄に入れていた数字を、
消さないまま、確定を押した。
音は鳴らない。
画面が少し止まり、
読み込みの輪が回り、
戻る。
入札が通っている。
その瞬間に、
SNSの流れがまた速くなる。
自分の入札が、誰かの画面に映るはずはない。
それでも、胸の奥が微かに熱い。
すぐにその熱が薄れる。
次の入札が来る。
数字が上がる。
自分の数字は、もう古い。
三十代後半の人物は、指を組む。
組んだ指が硬い。
そして、笑わない。
【ウォル】の部屋に戻る。
机の上で端末が震え続けている。
【ウォル】はそれを拾い、SNSを開く。
自分の名前。
自分の顔。
自分の声。
切り取りの短い映像が、何本も並ぶ。
タイトルの言葉が、同じ方向を向いている。
上がる。
跳ねた。
止まった。
落ちた。
また上がる。
【ウォル】は椅子を回し、
窓の方を一瞬見る。
外は暗い。
静かだ。
部屋の中だけが、
別の夜を持っている。
ハン!!オークションを開く。
読み込みが遅い。
【ウォル】は画面の上で指を回し、
ページを更新する。
更新。
更新。
更新。
輪が回る。
止まる。
回る。
止まる。
数字が出る。
跳ねる。
【ウォル】は小さく声を出す。
笑いに似た声。
机を二回叩く。
癖の音。
端末を持ち上げ、
画面を自分の顔の近くへ寄せる。
数字が、そこにある。
自分が話しただけの名前が、
自分の部屋を飛び出して、
別の場所で育っている。
それが嬉しいのか、
怖いのか、
区別が付かない。
【ウォル】は唇を噛む。
すぐに離す。
SNSを開く。
タイムラインは、同じ画面で埋まっている。
誰かが、入札の瞬間を録っている。
誰かが、失敗した画面を録っている。
誰かが、読み込みの輪を笑っている。
笑いは軽い。
まだ平和だ。
でも、平和の形が少しだけ歪む。
【ウォル】は指で投稿欄を開く。
何か書こうとして、やめる。
何を書いても、
今夜の流れを変えられない。
投稿欄を閉じる。
ハン!!オークションに戻る。
数字がまた跳ねる。
【ウォル】は息を吸い、
ゆっくり吐く。
吐いた息で、画面が曇りそうになる。
曇らない。
端末が震える。
また震える。
通知。
更新。
切り取り。
煽り。
机の上の冷えた飲み物が、
触れられないまま置き去りになる。
別の部屋の二十代前半の人物は、
入札の手前で、指を止め続けていた。
入札の欄は、
押せば指が沈むだけなのに、
沈めた瞬間の自分が想像できない。
その名前を持った自分。
その名前で呼ばれる自分。
呼ばれるたびに、
どこかの誰かが笑っている気がする。
指が戻る。
戻って、また近づく。
結局、入札しないまま、
一覧を更新する。
数字が跳ねる。
それを見て、
肩の力が抜ける。
抜けたのに、胸は落ち着かない。
ただ見ているだけでも、
今夜は手が疲れる。
三十代後半の人物は、
入札が通った後も、
画面から目を離せなかった。
自分の数字が、
すぐに飲み込まれていく。
飲み込まれていく様子が、
妙にきれいだ。
波が来て、
消して、
また来る。
その波の中心に、
名前が一つある。
あの名前。
誰かが言った。
【ウォル】が見せた。
それだけ。
それだけで、
市場の空気が変わる。
端末の振動が、止まらない。
三十代後半の人物は、
二台の端末を少し離す。
離しても、視界に入る。
視界から逃がせない。
指先が、また入札欄へ行く。
数字を入れる。
確定を押す。
読み込みの輪。
戻る。
通る。
すぐに抜かれる。
通る。
すぐに抜かれる。
笑わないまま、
同じ動作を繰り返す。
それが、
今夜の作法になる。
【ウォル】は、端末を伏せる。
伏せたのに、振動が続く。
机が小さく鳴る。
鳴るたびに、
自分の名前が誰かに呼ばれている気がする。
【ウォル】は端末を起こし、
ハン!!オークションをもう一度見る。
数字は、さっきより上にある。
跳ね方が速い。
目が乾く。
瞬きが減る。
口角が上がる。
上がったまま、固まる。
その夜、
市場は初めて、
影響力で動いた。
誰かの財布より先に、
誰かの画面より先に、
誰かの声が、値段を押した。
【ウォル】は笑いながら、
笑いの形のまま、
自分の指を見た。
自分の指は、何も押していない。
それでも今夜の数字は、
【ウォル】の指紋みたいに、
画面の奥で増えていった。
窓の外は静かだ。
部屋は狭い。
でも画面の向こうは、
広くて、
熱くて、
止まらない。
【ウォル】は端末を閉じない。
閉じたら、
今夜が終わる気がする。
終わらせたくない気がする。
震える端末を両手で押さえ、
指の腹で画面をなぞる。
数字がまた跳ねる。
その跳ねた数字が、
どこかの誰かの息を変えた。
その夜、
名前は、
ただの文字じゃなくなった。
画面の外へ漏れ出すものになった。