湊の身体を思うと救急車を呼ぶのが最適なようだが、子供たちだけの家に入って、保護者の許可なく病院に運んでくれるのだろうか。
冷静なんだか違うんだかわからない思考で、私が選んだのは元義母だった。
出てくれるかわからなかったが、祈る思いで番号をタップした。
五回目のコール音に涙が溢れそうになった時、その音はやんだ。
『もしもし? 千恵さん?』
救いの神は、五か月前と変わらない穏やかな声で私の名を呼んだ。
「ご無沙汰しています。お義母さん、突然で申し訳ないのですが、急いで子供たちのところに行ってもらえませんか? 湊が発作を起こしているんですが、親がいないんです。梨々花が私に電話してきて、今向かっているんですけど――」
『――千恵さん、落ち着いて』
きっと、無意識にすごく早口でまくし立てていたのだろう。
私の呼吸は荒く、肩を上下させていた。
『マンションに行けばいいのね?』
「はい……」
喉の奥がしょっぱい。
ぱちぱちと瞬きを繰り返すと、涙がワイドパンツに降った。
喉を震わせてなんとか酸素を取り込む。
「きゅ、救急車を呼びます。でも、子供たちだけだと――」
『――すぐに行くわ。ちょうどね? お買い物の帰りに行こうと思っていたの。十分か、十五分で着くと思うから、梨々ちゃんに伝えてくれる? 救急車にも一緒に乗るから心配しないで』
「ありがとう……ございます」
さっきの梨々花のように涙声で呟いた。
『千恵さん? 落ち着いて。ね?』
私はスマホを持っていない方の手で涙を拭うと、顔を上げた。
「はい。よろしくお願いします」
次は救急車。
だが、かけてみて知ったことだが、札幌にいる私から東京の消防局は動かせず、なにやらくどくどと説明を受けたが途中で切った。
無礼なのは承知の上だが、最後まで聞く時間が惜しかった。
梨々花に電話をかけると、ほっとしたように私を呼んだ。
「梨々、よく聞いて。お祖母ちゃんが来てくれるから、その前に救急車を呼んでほしいの。ママの電話じゃ東京につながらなくて。スマホはこのままにしておくから、ね?」
スピーカーにして娘が一一九番にかける様子を聞く。
その間も、少し離れた場所で息子の咳が聞こえる。
きっとすごく緊張していただろうに、梨々花は落ち着いて住所と弟が喘息の発作を起こしているが親は不在で薬がないことを伝えた。母親に言われて電話をしていることも。
そうしているうちに、インターフォンの音がした。
「梨々! お祖母ちゃんかも」
バタバタと足音が遠ざかっていく。そしてすぐに、戻ってきた。
『ママ! お祖母ちゃんが来た』
肩から力が抜ける。
『湊くん、もう大丈夫よ』と優しい声で孫をなだめる声が聞こえる。
『梨々ちゃんも、よく頑張ったね』
『おばーちゃん……っ』
どうして、真っ先に駆け付けるのが私じゃないんだろう。
どうして、他人の手に委ねられるなんて思ったんだろう。
どうして、ただじっと連絡を待つなんて非情なことができたんだろう。
母親なのに――――!
『千恵さん?』
「はいっ」
急に間近で呼ばれて、反射的に返事をする。
『もう大丈夫よ。ハイヤーを待たせてあるから、梨々ちゃんも病院に連れて行くわ。吉川《よしかわ》さんにも来てもらうし、安心してちょうだい』
吉川さんは、元義母宅のお手伝いさんだ。
私が紀之と結婚した時にはもう住み込みで働いていた。
一人息子は結婚しているが子供がいないからと、梨々花と湊のことを孫のように可愛がってくれた。
「ありがとうございます。私ももうすぐ空港に着くので、病院が決まったらメッセージを入れるように梨々花に伝えてください」
『わかりましたよ。あなたも落ち着いて、気を付けてね』
ちょうどタクシーが空港に到着し、私は封筒から一万円を二枚取り出して運転手に渡し、五千円ちょっとのお釣りをもらわずに車を飛び出した。
バッグの中でスマホが鳴っていることに気づいたが、確認せずに出発カウンターに行き、一番早い羽田行きのチケットを現金で買った。
封筒のお金は、元旦那からもらった貴金属を売ったお金。