「すみません、大丈夫ですか」
差し出された手、そうして顔を上げればアメジストの綺麗な瞳を持った、端正な顔が目に飛び込んできて、私はその見知った顔にあっけにとられていた。
「え、あ、ブライト?」
「……え、エトワール様?」
ぶつかってきた相手、ブライトもまさかぶつかった相手が私だと思わなかったのか、驚いて指しだした手を引っ込めるかという勢いで私を凝視していた。丸くなったアメジストの瞳は揺れ、額には汗が滲んでいた。よっぽど慌てていたのだろう。
私は、取り敢えずブライトの手を取って立ち上がり、彼の気遣いで乱れてしまったドレスや髪を整えながら礼を述べた。
それにしても、ブライトはこんな所で何をしていたのだろうか。かなり焦っていた様子だったし、私を見つめているはずの瞳も泳いでいるようで、一刻も早くこの場から立ち去りたいとでも言うようだった。
そんな彼に私は疑問を抱きながらも尋ねた。
だが、彼はハッとした表情になると、私から逃げるように一歩後退ると何でもないですよ。と笑顔を繕った。何でもないわけないし、こういう時隠そうとするのはブライトの悪い癖だった。私がそんな感じで、彼を睨み付けていると、降参というようにブライトは息を吐いて肩を落とした。
「エトワール様、悪いのですが、弟を見ませんでしたか?」
「弟? ブライトの? えっと、ファウダーのこと?」
はい。とコクリとブライトはうなずく。
私は彼の突拍子もない、何の脈絡もない質問に首を傾げるほかなかった。会場で会ったときは、ブライトだけだったし、彼が弟来ているという感じにはあの時は思わなかったからだ。雰囲気的には、一人で来た。という感じだったし、ブライトの性格上、この間の事もあって弟を連れてくるとは考えにくい。だからこそ、ブライトの質問の意味が分からなかったのだ。
「えっと、その、ブライトは弟と一緒に来てたの?」
「え……あ、はい」
「また、嘘ついているでしょ」
私の指摘に、ビクッと体を震わせるブライトにやっぱり嘘なんだな。と確信する。しかし、嘘をつく理由もわからないので私はただ黙って彼を見るしかなかった。
そうして、暫くすればブライトは観念したように口を開く。そんなに悩むことなのだろうかと、いつも思うけれど、きっとそれはブライトの癖なのだろう。初めから見破られる嘘をつくのは良い加減にして欲しい。それが身に染みてしまっているのは見て取れるけれど、私と話すたび毎回こうでは……何て思いつつ、私と話すたび彼の嘘がだんだんと崩れて言っているような気さえした。
何て言うか、嘘をつくのが下手になったと言うか。
私に嘘をつきたくないというようにも捉えられて、それは自惚れかも知れないけれど、彼の中で私に嘘をつくのは。何て思ってくれているのではないかと、変わってくれているのではないと勝手に想像してしまった。
「はい……実は、先ほど会場から出て行く弟の姿が見えまして。エトワール様のお察しの通り、今日は僕だけがパーティーに参加させてもらっていたんですが」
「いないはずの、弟が会場にいたって事?」
「はい。そういうことです」
「……見間違いとか?じゃなくて……?」
私が恐る恐る聞けば、ブライトはふりふりと首を横に振って否定した。
だとしたら、恐怖だ。と私は身震いした。いないはずの弟が、連れてきていないはずの弟が会場にいてふらりと姿を消してしまったなんて。ブライトは、ブラコンというイメージが合ったけれど、実際は弟のことをいいように思っていないようだったし、そんな弟が一人会場にいたとしたら、彼はどんな気持ちだろうか。
ちらりとブライトの顔を見れば、青ざめており、その額から汗が滴り落ちていた。
「見間違い……だといいんですが」
「その様子だと、そうじゃないっぽいよね……怖っ」
怖いのは私じゃなくて、ブライトだろうに、彼は私の前だからか笑顔を保っていた。それが余計に恐怖を引き立たせるというか、顔が悟っているからか見間違いじゃないと強く訴えかけてきているような気がした。でなければ、ただ幻覚を見たヤバい奴になってしまうわけだし。
となると、矢っ張り――――
「それって、転移魔法とか使ってきたって事?」
「そう、ですね……そうなりますね」
「……」
「違います」
私が無言の圧をかければ、ブライトはもう何も通用しないと思ったのか観念して口を開いた。
転移魔法は高度な魔法だし、光魔法の魔道士は多くの魔力を持っていかれるため頻繁に使えない。たった一人移動させるだけでも大変だし、長距離となれば尚更だった。だから、ここからそこまで距離がないとは言え(辺境のアルベドの領地と比べれば)、皇宮まで転移させるとなるとかなり魔力を持っていかれるだろう。それに、皇宮とか聖女殿には何重にも結界魔法が張ってあるわけで簡単に出入りはできない。近くまでは転移できたとしても後は歩く必要があったのだ。それに、もしここまでこれたとしても、ブライトの弟は病弱みたいだったしここに来るまでに疲れてしまうのではないかと考えた。これは、あくまで私の考えだけど。
ブライトは、続けて言葉を紡ぐ。
「家の魔道士には、ファウの言うことは極力聞かないようにと言っているのです。魔法を使ってというなら尚更。なので、例え脅されたとしても家の魔道士達が魔法を使ったとは思いません」
「そうなんだ……言い切れるの?」
「はい」
と、ブライトはきっぱりと言い切った。
よほど、家の者を信用しているのか、紅蓮の誰かさんとは違って、使用人の全員のことを信じている様子のブライトには寛大なものを感じつつ、本当に言いきれるものなのだろうかと、私だったらちょっと無理かなあとも思った。まあ、何にしろ、ブライトがそう思っているなら、それを否定するわけでもないし、もしブライトがファウダーの危険性について説いてれば氏四人達もそれに従うのだろう。
話していればの話だ。
「ですから、あり得ないのです。皇宮までは距離がありますし、徒歩できたなんて事は絶対ありません。転移魔法にしろ、負荷がかかりますし、弟の身体のことを考えれば、途中でばててしまっているでしょう。だから、あり得ないのです」
「でも、見たんでしょ?」
「はい……ですから、こう、探していて……」
そう、ブライトはいって言いよどんだ。
何か引っかかることでもあるのだろうかと思ったが、それを話してはくれないようだった。私も、できるのであれば彼の弟捜しを手伝ってあげたいが、そんな怖いお化けみたいな現れ方をした彼の弟を探すなんてとてもじゃないけど、一人ではできなかった。手分けして探すというのが最善なのだろうが、本当に怖くて一緒に行動しなきゃ探してあげられないぐらいに。
そもそも、私は探すなどとは口にしていないのだが。
「それで、その、大変申し訳ないのですが……こちらからぶつかっていて、あまりにも酷いと十分承知の上で言うのですが、僕はまた弟を探してこようと思っています」
「う、うん……」
「本当に申し訳ありませんでした」
ブライトはそう言って頭を下げた。
確かに、思い返せばぶつかられたし、ブライトの言うとおりぶつかってきて謝ってそれじゃあ弟を探してきます。とはまた失礼というか、せわしい人だとは思うけれど、彼の心情を考えたらそうはいっていられないのだろう。ブライトの表情が雰囲気がそれを物語っているし、一刻も早く見つけて捕まえなければとも見えた。何にそこまで焦っているか知らないけれど、この間の事を考えれば、ファウダーに何かしら危ない力があるのは見て分かる。それが周りに危害を及ぼすものであるなら、ブライトは尚更彼を見つけないとと思うだろう。
私は、ちらりとブライトを見た。
まだ何か隠しているような彼を見ていると、今すぐ問い詰めて全て吐かせたくなった。でも、そんなこと私には到底できないなあと思って彼を見つめることしかできなかった。
「エトワール様」
「何? 探しに行くんじゃないの?」
「ええ、そうです。探しに行かなければとは思っているのですが」
「まだ他に何かあるの? 私にも探して欲しいの?」
そう尋ねれば、ブライトは違うと首を横に振った。違うなら何なのだろうと、首を傾げていれば、ブライトは「リース殿下が探していた」と私に告げた。私はそれを聞いて、先ほどの胸の痛みが戻ってきた気がしたのだ。
それは、トワイライトにダンスのパートナーをと手を差し出すリースの姿。
脳裏にそれが強く呼び起こされ私は胸元をギュッと握った。その様子を心配したブライトがどうかしたんですか? と顔を覗かせたが、私は首を横に振ることしか出来なかった。
「エトワール様、何処か体調が?」
「う、ううん……ちょっと、いや、何でもないの。嫌なこと思い出して」
「嫌なこと?」
リースに選ばれたトワイライトのこと、トワイライトを選んだリースのこと。それが、悲しくて辛かったなんて口が裂けても言えなかった。
ブライトが私に何かを隠すように、私も取り繕って笑顔を貼り付ける。それを見たブライトは、顔をしかめたが、何も聞いてこなかった。私がそうしたように彼も聞いてはいけないのだろうと感じたんだろう。まあ、ここで聞かれても……という感じだが。
焦っているという割には、一向に私の元から去らないブライトに私は如何したのだろうと顔を上げる。顔を上げれば、とても心配そうな、それでも他のことに気をとられているようなブライトの顔を見て一体どっちを優先したいんだと鼻で笑いそうになった。だが、それをグッと堪えて私は笑みを向ける。
「どうしたの? 弟のこと探しに行くんでしょ?」
「ですが……エトワール様を放っておけません。そんな、苦しそうな、悲しそうなかおをしている貴方を」
と、ブライトは言った。
私は、そんな風に見えていたのかと驚いたが、実際そうなんだと思う。リースのことが気にかかって仕方がない。あの時だって、リースに手を引かれていったトワイライトが羨ましくて仕方がなかった。あんなに嬉しそうに笑うトワイライトが。嫉妬とかそういうのなのかも知れない。失望とか、そう言うのかも知れない。
だから、体調が悪いとかそう言うのではなかったから、ブライトは自分の事を優先させて欲しいと思った。私に気遣う理由が分からなかった。
「どうして……?」
私の口からぽろりとでた言葉を、ブライトは目を細めて拾いあげた。
「エトワール様だからです。僕にとってエトワール様は…………大切な人ですから」
そうブライトは言うと、私の手を握った。彼の手のひらから伝わる温度に、ぶわっと何かがこみ上げてきたが、私はそれを抑え、彼の顔を見た。本気で心配してくれているのだとわかり、私は嬉しくなったが、それと同時に嫌な胸騒ぎを覚えた。ブライトに対してじゃない。空がゴロゴロと鳴り出しから、風の音がうるさかったから。まるで、嵐が来るとでも言うように。
「エトワール様?」
「あ、あ……いや、ありがとう。その、心配してくれて。私も、ブライトのそういう所大好きだし、私にとってもブライトは大切な師匠……友達だから」
「……はい」
一瞬間はあったものの、ブライトは微笑んだ。
私はその笑顔にほっとしていると、先ほど何かに怒って歩いて行ってしまったアルベドがこちらに向かってはしってくるのが見えた。
「おい、エトワール。いつまで待たせて……って、ブリリアント卿」
「レイ卿? 何故貴方がここに?」
ブライトがアメジストの瞳を丸くしたと同時に、アルベドはブライトに握られている私の手を見て眉間に皺を寄せ舌打ちをした。
(ん? 待って、また何か不味い状況……?)
一方的に火花を散らしているというか、睨み付けている黄金の瞳を見て私の背筋に冷たいものが走った。
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