テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
気が付くと、僕は家の床に横になっていた。
慌てて体を起こして、カーテンを開ける。
辺りはすっかり暗くなっていた。
辺りは異様に静かだ。
深夜だろうか。
これは相当眠り込んでしまったらしい。早く帰らないと――。
「あれ、帰るってどこに?」
ここは自分の家なのに、僕は何を考えているのだろう。
まだ寝ぼけているのかもしれない。
その時、玄関の扉がガチャッと開かれた。
「ごめんね。遅くなっちゃった」
ソプラノの優しい声が聞こえた。声の主は、ヒールの靴を脱いで部屋に入ってくる。
あれ、これは誰だっけ。
「なんで電気つけてないの? わかった。今起きたんでしょ」
電気が付くと、いたずらっぽく笑う彼女がいた。端正な顔立ちをしている。
切れ長の瞳は、知性を感じさせた。
それで、僕の寝ぼけた頭は覚醒した。俺の彼女じゃないか。
着ている白い花柄のワンピースに、彼女の長い黒髪がよく似合う。
このワンピース、プレゼントして正解だったな。俺は満足げに頷いた。
「急いでご飯作っちゃうね」
彼女は鼻歌をうたいながら、キッチンに向かった。
料理を作りながら、彼女の今日仕事であった話をしてくれた。
楽しい話も、むかつく話も。
あまりにも感情豊かに表情を変えて話すものだから、俺はつい笑ってしまった。
その時、俺のポケットで何かが振動した。
手を入れてみると、スマホがある。
取り出して見てみると、電話のようだ。
画面には、白紙さんと文字が書かれている。
「ああ、まゆかか」
ボソッと呟いて、思わずはっとした。
彼女の方を見ると、特に俺の発言に気付いた様子はない。
俺はほっと胸をなで下ろした。
「できたよ」
気付けばテーブルには、おいしそうな料理が並んでいた。
肉じゃがやポテトサラダ、報連相のおひたし。どれも俺が大好きな料理ばかりだ。
「今日もうまそうだな。いただきます」
俺が箸を手に持つと、またスマホが震えた。
最初は無視しようと思ったが、また電話のようでバイブレーションが止まらない。
根負けしてスマホを見ると、また白紙さんの着信が表示されていた。
いつまで経っても、鳴り続けている。
彼女の表情は暗いものに変わっていった。
まずい。このままでは怒らせてしまう。
「今すぐ飯食うから!」
俺はもう一度、箸を手に持った。
そして料理を食べようとすると、一度収まったと思ったスマホが、また震え始める。
彼女はついに怒りの形相に変わった。
彼女を怒らせると、大変なことになってしまう。
前もそれで……。
「あんたもまた、私を捨てるのね……」
呪詛のような言葉が、彼女の口からこぼれた。
それに、俺の中の何かが爆発した。
「仕方ないだろ! 最近、お前変なのにはまってて怖いんだよ!」
彼女は最近、何かよくわからないものに傾倒しているのだ。
それに向かう姿勢はまるでゾンビのようで、恐ろしかった。
「許せない、許せない……」
彼女の顔が、変化していった。
まず頬が突然こけていった。
ダイエット成功者のタイムラプスでも見ているかのようだった。
ほとんど骨と皮の状態になると、頬の皮が剥がれていく。
艶のある美しい髪も、途端に乱れていく。着ていたワンピースも、泥や黒い汚れがついていった。
彼女の様相が崩れていくのと同時に、テーブルの上に並べられた料理もぐずぐずに腐っていた。
辺りに、腐臭が漂い始める。
一体何が起こっているのだろう。
彼女を怒らせてしまった罪悪感が見せた幻だろうか。
そこまで考えたところで気付いた。
僕には、彼女なんていない。
こいつは――。
立ち上がったのは、昼に見たあの女だった。
ほとんどが骨になっていて、食べ残しのように所々に皮がついているだけだった。
目の位置には、眼球がない。そこには空洞があるだけだった。
「ひっ……」
思わず僕の口から悲鳴が漏れた。
そこで、がちっと捕らわれたように体が動かなくなった。
これは金縛りだ。指先一本、動かせない。
できることは、まばたきと眼球を動かすことだった。
女はゆっくりとした動きで、キッチンへ向かうと包丁を持って戻ってきた。
「結局、またこれで殺すしかないのね」
女は空洞で包丁を見つめながら言った。
僕はきっと、このあと殺される。
頭は冷静に状況を理解していた。
体を動かせない今、僕はどうしたら逃げられる。
僕の前に、女が立つ。
真っ黒い空洞は、僕の何もかもを飲み込んでしまいそうだ。
僕の心臓がけたたましく騒いでいる。それと一緒に、呼吸も荒くなっていく。
女の振り上げた右手に、包丁が鈍く光った。
――ああ、終わりだ。
そう思ったときだった。
「それは辞めた方がいいな」
僕と女以外の声が聞こえた。
キィと扉の開く音がした。
目線だけ動かすと、扉の向こうには光だけが広がっている。
その光が一人のシルエットを浮かび上がらせていた。
「お前は……」
女が苦虫をかみつぶしたような顔をした。
足音は、ゆっくりとこちらに向かってくる。
顔が見えたとき、僕は思わず泣き出しそうになってしまった。
ああ、僕は、この人を待っていた。彼は、僕のヒーローだ。
「待たせたな」
白紙さんがいつものふてぶてしい笑みを浮かべた。
僕にはそれが、心強かった。
「お前は嫌いだ。嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い……」
女が白紙さんを指さして、ぶつぶつと呟き始める。
明らかに先ほどよりも、憎悪が増しているのがわかった。
「そうだろうな。だったらこの男は諦めて、さっさと元の場所に帰れ。俺はこいつから離れることはない」
白紙さんは、僕と女のそばに来て、口を開いた。
決して大きな声ではないのに、よく聞こえた。
「これはお前のためでもある。元の場所に帰れ」
お前のためとはどういう意味だろう。はったりだろうか。
白紙さんと女の距離は、大体三歩くらいだろうか。
女がその気になれば、白紙さんもひとたまりもないはずだ。
一体、どうするつもりなのだろうか。
「うるさい! まずは目障りなお前から消してやる!」
女は包丁を振りかぶって、白紙さんに向かって駆け出した。
「白紙さん!」
立ち上がって駆け出そうとしたが、まだ体は動かない。
白紙さんは女をじっと見据えたまま、動かない。
立ち向かうことも、守りもしない。このままでは白紙さんが――。
「しねええええ!」
女が白紙さんに肉薄し、包丁が彼の喉元まで届く――。
その時だった。
息が詰まるような圧迫感が僕を襲った。
金縛りになっていてよかった。
この後、一歩でも動いてしまえば命を取られる。
そう確信した。
カラン。
包丁が、床に落ちた。
一体、何が起こった。
僕が瞬き一つしたときに、女の上半身が消え失せていた。
まるで腹から無理矢理ねじ切ったような断面をしていた。
そしてもう一つ瞬きしたときには、下半身も消えていた。
それと同時に、あの圧迫感は消え去った。
「俺は一応言ったからな」
もうその忠告を聞く相手はいない。
白紙さんの言葉は、部屋の中に溶けて消えていった。
白紙さんの背中に何かが見えた気がした。
コメント
1件
おお……第6話、めちゃくちゃ引き込まれました。最初の「家で寝てた」という日常からの、彼女の変貌、そして「僕には彼女なんていない」という真実の突き落とし方が鮮やかで、背筋が冷えました。白紙さんの登場シーン、光の中から「それは辞めた方がいいな」って、まさにヒーロー。あのタイミング、痺れますね。彼の背中に何か見えたのも気になるし、なぜ彼女が消えたのか、まだ謎が残ってる感じがして、続きが待ち遠しいです。伏線の回収、楽しみにしてますね!
#最後はハッピーエンド予定
#衝撃のラスト
山根利広
1,673
73