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「は、はい……なんでしょう?」
仁さんの鋭い視線に射抜かれ、俺は思わず喉を鳴らした。
病室に差し込む午後の光が、ひどくまぶしく感じられる。
窓の外では、夏の終わりを告げるような、どこか気だるい蝉の声が遠く聞こえていた。
白いシーツの清潔な匂いと、消毒液の微かな香りが混じり合い、どこか現実離れした
時間が止まったかのような空間を作り出している。
心臓がドクドクと不規則なリズムを刻み、手のひらにはじっとりとした汗が滲む。
仁さんの表情は相変わらず読めず、その瞳の奥に何が潜んでいるのか俺には全く分からなかった。
ただ、その沈黙と視線が、俺の全身を硬直させるには十分だった。
「楓くん、最初病室に突っ込んできたとき、もしかして俺がこいつのこと殺そうと思ってるとか、思ったんだったよな?」
仁さんの言葉は、まるで氷の刃のように俺の心臓を鷲掴みにした。
その声は低く、しかし感情の起伏は読み取れない。
ベッドに横たわる友人の姿が、妙に大きく
そして儚く見えた。
彼の呼吸器が規則的な音を立てるたびに、その命の脆さを突きつけられているような気がして胸が締め付けられる。
病室の空気は重く、まるで鉛のように俺の肩にのしかかっていた。
俺は息をのんだ。仁さんの言葉の真意を探るように、彼の顔を凝視する。
しかし、その顔は無表情で、感情の欠片も読み取れない。
ただ、その視線だけが、俺の心の奥底を見透かすように鋭かった。
「いや、その…あの時は、将暉さんが『よく、友人の命日のときに言ってたんだ』いっそのこと兄弟を解放して、共に逝っちまうのもアリか、って』って言ってたと聞いて…仁さんが、自暴自棄になってたら危ないと思って……!」
俺は焦るように、早口で言葉を紡いだ。
言葉が喉の奥で詰まりそうになるのを必死でこらえ、弁解するように身振り手振りも交える。
両手は無意識のうちに、ぎゅっと握りしめられている。
爪が手のひらに食い込み、微かな痛みが走った。
その時、仁さんの目がゆっくりと細められた。
その表情の変化に、俺の心臓はさらに大きく跳ね上がった。
まるで、俺の心の奥底を見透かされているような気がして全身の毛穴が開くような感覚に襲われた。
俺は正直に答えると、仁さんは「やっぱりな」と呟いて
何か考えながら遠く窓の外の空を見つめていた。
その横顔は、深い疲労と諦めを滲ませているようだった。
まるで、長い旅の果てにたどり着いた場所で
全てを諦めようとしているかのような、そんな寂しさが漂っていた。
彼の瞳の奥には、言葉にできないほどの苦悩が渦巻いているように見えた。
病室には、生命維持装置の規則的な音が静かに響くだけで
その音だけが、この部屋に存在する生命の証のように感じられた。
その静けさが、かえって俺の胸を締め付けた。
「安心しろ、俺はこいつを殺そうだなんて微塵も思ってない……ただ、どうしたらいいか分からないんだ」
仁さんの声は、先ほどまでの鋭さを失い、か細く震えていた。
その視線は、ベッドの上の友人に向けられる。
その瞳には、深い愛情と、それ以上の苦悩が混じり合っていた。
彼の手が、友人の手をそっと握りしめるのが見えた。
その仕草に、俺は胸が締め付けられるような思いがした。
彼の肩が微かに震えているのが見て取れ、その背中があまりにも大きく
そして同時に、あまりにも小さく見えた。
「解放したら、こいつは楽になるのか…このままの方がこいつのためなのか……判断ができなかった」
彼は、まるで自分自身に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を選んだ。
その言葉には、途方もない苦悩と、どうすることもできない無力感がにじんでいた。
彼の声は途切れ途切れで、一つ一つの言葉が
彼の心の奥底から絞り出されているようだった。
その重さに、俺はただ立ち尽くすしかなかった。
「だから、今日で終わりにしようと思っただけだ」
その言葉は、まるで重い鉛のように俺の胸に落ちた。
仁さんの表情は、まるで全てを諦めたかのように虚ろだった。
「終わりって……チューブを外すか…ずっとこのままでいさせるか……ってこと、ですよね?」
俺は、ベッドに繋がる無数のチューブに目を落とした。
それらが友人の命を繋ぎとめているのか
それともただ苦しみを長引かせているだけなのか
俺には判断できなかった。
いや、大切な人間がそんな目にあったら誰しもが頭を悩ませることだろう。
しかし、仁さんの苦しみが、その選択の重さから来ていることは痛いほど理解できた。
病室の空気が、さらに重くのしかかる。
「あぁ……でも、なかなかそれができずにいた」
仁さんは俺の言葉にそう返すと、大きなため息とともに口元を手で覆った。
その指の隙間から、疲労困憊した彼の表情がわずかに覗く。
彼の肩が小さく震えているのが見て取れた。
俺はその様子をじっと見つめていたが、やがて彼に向かって一歩近付いた。
彼の隣に立ち、その苦しみを少しでも分かち合いたいと強く願った。
俺の心の中には、彼を一人にさせてはいけないという強い思いが湧き上がっていた。
「あの……仁さん、俺、仁さんが自分で全部背負おうとするの、見てられないです。俺も一緒に、考えたい」
「もし、どうしたらいいか分からないなら、わかるまで一緒に悩ませてください。だから……最善を、決めましょう」
俺の言葉は、震えていたかもしれない。
それでも、仁さんの心を少しでも軽くしたいという一心で、真っ直ぐに彼の目を見つめた。
俺の心の中には、彼を支えたいという純粋な気持ちと、仁さんの大事な人のために何かをしたいという強い願いが渦巻いていた。
「楓くん……ありがとう、な」
仁さんが顔を上げて俺の言葉に反応してくれて
その瞳に微かな光が宿るのが見えた。
彼の表情に、かすかな驚きと、そして安堵の色が浮かんだように感じられた。
俺は付け加えるように続けた。
「それにきっと…仁さんが、どっちを選んでも、兼五郎さんは仁さんのこと恨んだりしないと思いま
す」
道標も正解も、誰も教えてはくれない
だからこそ、一緒に悩んで最善の応えを考えたい。
そう思った一心で、言葉を紡ぐ。
「……俺は話したこともない赤の他人なので…勘ですけど、仁さんを本当の兄弟のように大事にしてた人、なら…仁さんが自分のことで何年も苦しんでる方が、嫌だと思うんです」
俺がそこまで言うと仁さんは驚いたような顔をしてから、「そうか」と微かに微笑んだ。
その笑顔は、今まで見た中で一番柔らかくて、どこか安心するものだった。
張り詰めていた病室の空気が、ふっと緩んだように感じられた。
彼の目元に浮かんだ疲労の色が、少しだけ薄れたように見えた。
その笑顔は、俺の心にも温かい光を灯してくれた。
「…………そう、だよな……俺も、そろそろこいつの為にも決断しないと、なんだよな」
仁さんは静かにそう呟いた。
その声には、ようやく重い荷物を下ろせたかのような、安堵の響きがあった。